済南事件1 出兵に反対する関西財界
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/12/27 19:20 投稿番号: [1350 / 2250]
1928年
(昭和3年) 、蒋介石が第二次北伐を開始すると、
日本は南京事件の二の舞はゴメンと、居留民保護の為に山東出兵を決めました。
さて国民党軍が来るまえ、済南には北軍
(孫伝芳軍と張宗昌軍)
がいました。
児島襄著
『日中戦争1』
文春文庫
155〜156p
《 四月十三日、済南 ― 徐州のほぼ中間のエン州で、米人宣教師W・セイモアが射殺された。
エン州は、孫伝芳軍のうち、李宝章が指揮する第三軍の守備地域であったが、
その日、李宝章軍の撤退のために駅は混雑していた。
宣教師セイモアは、夫人とともに李軍の将校に訊問されたが、乗車を許可されたので
荷物をとりにもどりかけたとき、背後から拳銃で射撃された。
射撃した将校が財布と鞄をうばったあと、市民多数が夫妻の死体にむらがり、
文字どおりに身ぐるみはぐ掠奪をおこなった、という。
ニュースは済南にもつたわり、日本人居留民の不安をさそった。
四月十六日、済南駐在武官酒井隆少佐の急電が参謀本部にとどいた。
「意見具申。 帝国ハ出兵ヲ決心スベキ時期ニ
到著
(ちゃく)
セリト認ム」
・・・
同時に、青島総領事藤田栄介、済南総領事代理西田畊 (こう) 一からも、
同趣旨の出兵要請電が外務省に到着した。》
156p
《 参謀総長鈴木荘六大将は、しかし、出兵を不要と考える部内の意見にもとづき、
政府が決定するならやむを得ない、との趣旨を陸相白川義則大将につたえた。
だが、翌日、四月十七日の閣議では、ほとんどの閣僚が積極的に出兵に賛成した。》
*
しかし、日本には、出兵を好まない人もいました。
159p
《 第二次山東出兵には、予想以上に野党のほか関西財界の反対が強かった。
出兵は中国の排日気運と国民党政府の反日感を刺戟
(しげき)
するので、
北伐が成功して国民党が天下をとったときは、
対中国貿易の面で手痛い報復をまねきかねない − との思惑による。》
*
何か、今の平和主義者とそっくりの意見ですね。
そして、何度酷い目にあっても、中国に行きたがる、今の経団連とそっくりです。
しかしてこれは、昭和3年の話です。
あの平和主義者の能天気な感覚は戦前からあったのです。
ついでに言えば、大正2年の第一次南京事件のとき、
日本人が日の丸をかかげていたにも関わらず殺された件で
外務省阿部
守太郎政務局長は
「国旗は一つの器具に過ぎぬ」
と言ったんですね。
そして、中国との宥和を進めました。
そういう態度に怒った二人の若者が、阿部局長を殺す事件がありました。
平和主義者的感覚は大正2年にもあるのです。
古いでしょう。
註:
「到著」
は
「到着」
の古い字体。
今、我々が使っている
「着」
は俗字で元は
「著」
です。
これは メッセージ 1348 (kireigotowadame さん)への返信です.
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