第二次南京事件8 漢口1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/12/17 15:06 投稿番号: [1326 / 2250]
『もう一つの南京事件・日本人遭難者の記録』
田中秀雄編集・解説
芙蓉書房
78〜80p
《 民国十六年四月、異郷にある人々にも春は訪れ、漢口市外の日本公園には桜が咲いた。
折からの神武天皇祭日に日曜日を兼ねた三日は、照りもせず曇りもはてぬ
頃合いの花見日和、それに数日来は市面も例になく平穏であり、
打ち続いての擾乱に久しい間、外出さえも控えがちであった在留二千の同胞は、
誰誘うともなく或いは公園に競馬場に、思い思いに春光を趁
(お)
うた。
しかも何たる運命の皮肉ぞ、その日の午後、日本租界は突如として阿鼻叫喚の巷と化し、
暴徒の毒手に仆れた同胞の血は真紅の花と散らされた。
事の起こったのはその日の午後三時過ぎ、半日の散策に空気銃を手にした二名の水兵が
日本租界燮昌路の料亭
「妻鶴」
の横手に来かかると、街上に遊んでいた
支那の子供が石を投げつける、これを追い払うとまた来て投げつける。
そうしているうちに何処から出て来たのか三十位の支那人が食って掛かってきた。
それとほとんど同時に附近にいた車夫の一団が、言い合わしたように殺到して
水兵を取り囲み殴り始めた。
水兵は言葉も分らず、何のことやら分らぬが事面倒と考えたのでその一人を突き倒し、
近くの料理店
「山吉」
に逃げ込んだ。そこには二三の水兵が遊んでいたのが
この騒ぎに顔を出すと、『それ日本水兵だ、やっつけろ』
とばかり、
たちまちの間に野次馬も加わって、「山吉」
とその隣家の
「浪花食堂」
は
瞬く間に跡形もなく破壊されてしまった。
先に水兵のために突き倒された一人の車夫と、これを取り巻く群衆は
この咄嵯の際にも金儲けを忘れない。微傷一つないのに気絶を装うた。
起き上がろうとすると側の群衆がこれを抑える。
『日本水兵が支那人を殺した』『車夫がナイフで刺された』
との謡言は
電光のごとく各所に喧伝された。
当日支那側では農民協会成立大会が催され、各地からの工会代表も参加し、
応援の各団体も混じって祝賀行列をやっていた。
租界内に事変の突発した頃は、ちょうどこの一行が旧ドイツ租界から
平和街に差し掛かる頃であった。
もし憶測を許さるべくんば、この事実は、事端を作った暴民と労農団体との間に
あらかじめ打ち合わせができていたことを証拠立てるものではあるまいか。
しかしその詮索は何
(いず)
れともあれ、
前記のような謡言にこの一団が時を移さず殺到したのは言うまでもない。
かくて半時を経たざるに、租界の三分の二は暴民によって埋められ、
処々に喊声
(かんせい)
が挙がる、警笛が鳴る、格闘、乱打、
悲鳴、叫喚、久々の安息日はたちまちにして未曾有の大厄日となった。
つづく
これは メッセージ 1324 (kireigotowadame さん)への返信です.
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