入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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12月6日のそれぞれの動き

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/08/03 18:35 投稿番号: [131 / 2250]
中国南京

南京市内は日本機の空襲による火煙でおおわれ、外周防備にあたっていた第八十三軍、
第七十一軍、第二軍団の敗兵が続々と市内に逃げこんできた。

首都衛戍司令官唐生智は、市内の外国人に退去を勧告するとともに、
夕刻、城門の閉鎖を命じた。

(児島襄著『日中戦争4』183〜184p)



第十軍

国崎支隊は、郎渓で水上機動の準備を行い、六日、同地を出発、

第十軍司令官は、杭州方面の敵にたいし、軍の左側背を掩護するため、

石湾鎮に歩兵半大隊、湖州に歩兵一大隊、下泗安に歩兵一中隊、広徳に歩兵一中隊、
ネイ国に歩兵半大隊を配備していたが、

六日、第一・第二後備歩兵団が湖州付近に到着したので、右の警備をこれら兵団に移譲し、
師団残置部隊を原所属に復帰させた。

(戦史叢書『支那事変   陸軍作戦1』425p)



海軍の揚子江啓開

六日、第一警戒部隊は江陰水道の啓開作業を続行、前路掃海隊は北水道の略掃、
保津隊は南水道の掃海を実施した。

夜半、第一掃海隊の第一、第二小隊は第一警戒部隊に編入された (第三小隊は七日編入)。

これは第二、第三掃海隊が特設掃海隊で流れの強い江上の敵前掃海に不安があるため、
この際有力な掃海兵力を第一警戒部隊に編入し、

遡江作戦を進ちょくさせようとしたものであった 〔第一掃海隊は第一小隊 (掃五、掃六)、
第二小隊 (掃二、掃四)、第三小隊 (掃一、掃三) の六隻から成る〕。


前路警戒隊は内火艇四隻をもって 08:00〜17:30 クーパーバンク南方機雷礁の
小掃海を実施し、機雷一二個を拘束、内八個を爆破処分し、残り四個に浮標を付した。


  南水道の掃海   閉塞線に可航水路を啓開す

「保津」 艦長は福姜沙水道の清掃、同水道西口― 閉塞線間南寄り江面の探掃及び略掃、
陸戦隊による江岸一帯の管制機雷の調査、特別作業隊の作業協力などを命ぜられた。

またこの日から当分の間第二十四駆逐隊から准士官以上の指揮する掃海隊(二対艇小掃海) が
「保津」 に派遣され、同艦長の指揮を受け、

かつ宮里大佐指揮の特別作業隊から機雷処分隊が同艦長に協力することとなった。

まず林少佐指揮の曳船四隻は閉塞線下流付近の再掃海を実施し、
また前路警戒隊から派遣の小掃海隊は閉塞線南端水路の掃海を17:30まで実施したが、

閉塞線上流の掃海には不適と認められ原隊に帰った。

「保津、勢多」 は閉塞線下流で右作業の支援に任じ、かつ内火艇により
閉塞線啓開水路の探査を実施したところ、約四〇〇米の間に可航水路を発見した。

そこで曳船四隻がこの水路の掃海を実施、水道の両側に標識旗を立てた。


保津、第二十四駆逐隊の陸戦隊員は終日粛山−黄山間江岸一帯の管制機雷衛所などを捜索、
粛山管制所で電纜による爆破を企てたが成功しなかった。

第二掃海隊は 16:00 旗艦安宅に合同した。

(戦史叢書『中国方面海軍作戦1』460〜461p)
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