中国の暴虐・鄭家屯事件1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/12/02 18:49 投稿番号: [1224 / 2250]
満州における事件
〔大正5年8月15日 大阪毎日〕
《・・・・
支那兵まず発砲す〔長春特電十四日発〕
十三日午後七時頃、鄭家屯において邦人一名、支那巡警のため殴打、引致されしため、
我が川瀬領事館巡査はこれを取り戻さんと巡警局に赴きし処、支那兵は銃剣を以って威嚇し、
ついに目的を達せず、引っ還して守備隊に護衛を求めしより、
松尾中尉は二十名の兵を率い巡査を護衛して赴きたるに、
支那兵等は物蔭に隠れ、我が兵士に向かい不意に射撃を加えしかば、
我が兵もやむなくこれに応戦せしも、突然の襲撃なると、
かつ彼は非常の多数なりしため、ついに我が軍は松尾中尉以下多数の重傷を蒙り、
やむなく兵営に引き上げたり。
しかるに支那兵は勝ちに乗じて追撃し来たり、十三日夜来我が兵営は重囲の裡に陥りたり。
この急報に接する我が守備隊司令部は、関原及び四平街より応援隊を急行せしめたり。
守備兵既にかくのごとくなれば、我が居住民は危険に瀕しおれりと。
松尾中尉以下死傷〔奉天特電十四日発〕
目下鄭家屯・四平街間の電線は不通にて、日本軍隊の伝騎によりて双方の連絡を取りつつあり。
鄭家屯に於ける日支兵衝突に関し、奉天に達したる情報によれば、
十三日午後八時頃の出来事にして、初め日本の商人が支那兵に暴行を加えられしより、
交渉のため我が川瀬巡査が支那兵営に赴きしに、彼は銃を擬して近寄らしめず。
すなわち日本守備隊より松尾中尉、二十名の兵を率いて巡査を護衛し、
再び兵営に赴きしに、支那兵は一斉射撃をなせしため、川瀬巡査は即死し、
松尾中尉以下兵士十七名死傷し、行方不明の者もあり。
かくて日本兵営及び警官派出所、満鉄出張所等は、支那兵の重囲に陥り
危険はなはだしく、在住日本人は皆武装して掠奪に備え居れり。
また南門外は弾流のため支那人に負傷者多く、混乱の状態にあり。
四平街より一箇小隊の応援隊、糧食を携え出発せり。
交戦十有二時間〔長春特電十四日〕 鄭家屯に於ける我が守備兵と支那兵との衝突は、
十三日午後七時より十四日午前七時半まで継続し、
我は松尾中尉を始め下士二名、兵卒十三名及び川瀬巡査等、いずれも重傷を負い生命危篤なり。
また居留邦人は満鉄社員五名、陸軍用達一名及び女子一名を我が守備隊に
収容せしのみにて、その他は各自任意避難せしめたりと。
また十四日午前三時、四平街より我が将校一名及び兵五十名を応援のため
大速力にて急行せしめしが、その後の模様により更に後続部隊派遣さるべし。
また支那兵は我が兵と衝突の当初三百名なりしに、十四日午前三時頃に至り、
いずこよりか二百名ばかり増援し来たり、総員約五百名を以って
我が守備隊兵営を包囲し、多数を恃(たの) みて盛んに威嚇を加え居れりと。
日本官民重囲に陥る 〔鉄嶺特電十四日発〕
鄭家屯在留売薬商広松某、店員(支那人?)のために殺害せられ、
商品全部を掠奪されたり。その他在留邦人の生命及び財産の被害甚大にして、
鉄嶺の赤十字社支那は救護班を派遣せしが、何分同地在留官民は重囲の裡に陥り、
外部との連絡を断たれたるため、十四日朝以来なんらの情報達せず。
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〔大正5年8月15日 大阪毎日〕
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支那兵まず発砲す〔長春特電十四日発〕
十三日午後七時頃、鄭家屯において邦人一名、支那巡警のため殴打、引致されしため、
我が川瀬領事館巡査はこれを取り戻さんと巡警局に赴きし処、支那兵は銃剣を以って威嚇し、
ついに目的を達せず、引っ還して守備隊に護衛を求めしより、
松尾中尉は二十名の兵を率い巡査を護衛して赴きたるに、
支那兵等は物蔭に隠れ、我が兵士に向かい不意に射撃を加えしかば、
我が兵もやむなくこれに応戦せしも、突然の襲撃なると、
かつ彼は非常の多数なりしため、ついに我が軍は松尾中尉以下多数の重傷を蒙り、
やむなく兵営に引き上げたり。
しかるに支那兵は勝ちに乗じて追撃し来たり、十三日夜来我が兵営は重囲の裡に陥りたり。
この急報に接する我が守備隊司令部は、関原及び四平街より応援隊を急行せしめたり。
守備兵既にかくのごとくなれば、我が居住民は危険に瀕しおれりと。
松尾中尉以下死傷〔奉天特電十四日発〕
目下鄭家屯・四平街間の電線は不通にて、日本軍隊の伝騎によりて双方の連絡を取りつつあり。
鄭家屯に於ける日支兵衝突に関し、奉天に達したる情報によれば、
十三日午後八時頃の出来事にして、初め日本の商人が支那兵に暴行を加えられしより、
交渉のため我が川瀬巡査が支那兵営に赴きしに、彼は銃を擬して近寄らしめず。
すなわち日本守備隊より松尾中尉、二十名の兵を率いて巡査を護衛し、
再び兵営に赴きしに、支那兵は一斉射撃をなせしため、川瀬巡査は即死し、
松尾中尉以下兵士十七名死傷し、行方不明の者もあり。
かくて日本兵営及び警官派出所、満鉄出張所等は、支那兵の重囲に陥り
危険はなはだしく、在住日本人は皆武装して掠奪に備え居れり。
また南門外は弾流のため支那人に負傷者多く、混乱の状態にあり。
四平街より一箇小隊の応援隊、糧食を携え出発せり。
交戦十有二時間〔長春特電十四日〕 鄭家屯に於ける我が守備兵と支那兵との衝突は、
十三日午後七時より十四日午前七時半まで継続し、
我は松尾中尉を始め下士二名、兵卒十三名及び川瀬巡査等、いずれも重傷を負い生命危篤なり。
また居留邦人は満鉄社員五名、陸軍用達一名及び女子一名を我が守備隊に
収容せしのみにて、その他は各自任意避難せしめたりと。
また十四日午前三時、四平街より我が将校一名及び兵五十名を応援のため
大速力にて急行せしめしが、その後の模様により更に後続部隊派遣さるべし。
また支那兵は我が兵と衝突の当初三百名なりしに、十四日午前三時頃に至り、
いずこよりか二百名ばかり増援し来たり、総員約五百名を以って
我が守備隊兵営を包囲し、多数を恃(たの) みて盛んに威嚇を加え居れりと。
日本官民重囲に陥る 〔鉄嶺特電十四日発〕
鄭家屯在留売薬商広松某、店員(支那人?)のために殺害せられ、
商品全部を掠奪されたり。その他在留邦人の生命及び財産の被害甚大にして、
鉄嶺の赤十字社支那は救護班を派遣せしが、何分同地在留官民は重囲の裡に陥り、
外部との連絡を断たれたるため、十四日朝以来なんらの情報達せず。
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