南京虐殺事件否定派の見苦しい曲解(5)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/01 19:47 投稿番号: [1194 / 2250]
前述の
最後の部分で触れた
村瀬守保氏の記録についても
触れておきたい。 村瀬氏は、給部隊として 南京戦の後を
辿りながら、貴重な戦場の 記録写真を多数 撮影した。
その中には、揚子江岸における 大虐殺を証明するうえで
貴重な現場を 撮影した写真も 含まれている。
以下、『村瀬守保写真集 私の従軍中国戦線』から引用する。
(16) 南京制圧
第一線に近づくにつれて、部落を通過するたびに虐殺死体が
目立ち始めました。 (略)土間にひく アンペラを探して
穴蔵のようになっている奥の部屋に踏み込むと、下半身裸の
婦人が、下腹部を切り裂かれて、死んでいます。
少し奥には、五〜六歳の子供が、うつぶせに死んでいました。
プーンと、血生臭いにおいが、立ちこめています。 (略)
このような虐殺死体は、随所に見られました。 婦人に暴行を
加えて虐殺し、女性の性器に棒を差し込んでおくような、
残虐な事例も何回か目にしました。
南京の攻略が大幅に遅れたので、第一線部隊の兵隊は、
厳しい命令を受けて、目が血走っていました。
小休止で一緒に休んだ時の話をきくと、「南京一番乗りは
師団の至上命令だ。南京へいけば、女はいくらでもいるし、
酒もある。速くいったものは、やりたいほうだい、何でも
やれるぞ」 と上官からハッパをかけられているのです。
(略)
(17)大虐殺のうわさが…
ようやく足止めが解除されて、ある日荷物受領に揚子江岸の
下関埠頭へ行きました。 すると、広い河岸が一杯に死体で
うまっているのです。 岸辺の泥に埋まって、幅十メートル
位はあろうか、と思われる 死体の山でした。
揚子江岸で大虐殺が行われたという その現場でしょうか、
軍服を着た者はほとんどなく、大部分が平服の、民間人で、
婦人や子供も交じっているようでした。
死体に油をかけて、焼こうとしたため黒焦げになった死体も、
数多くありました。 死臭で息もつけない中を、工兵部隊が
死体を沖に運んで 流す作業を やっていましたが、
こんなやり方では、一〜二ヵ月はかかりそうでした。
(写真キャプション) 虐殺されたのち 薪を積んで、
油をかけられて焼かれた死体。ほとんどが平服の民間人
でした。
(写真キャプション) 揚子江岸には、おびただしい
死体が埋められていました。 虐殺した後、河岸へ
運んだのでしょうか、それとも河岸へ連行してから
虐殺したのでしょうか。
おそらく 南京虐殺否定派は、村瀬氏を ウソつき、または
妄想家の類と、例によって 根拠もなく 決めつけるだろう。
あるいは、村瀬氏が見たのは 兵士の死体であり、民間人と
いうのは間違いだと 主張するものも 出てくるに違いない。
参考として、第十六師団歩兵三十三連隊第二大隊に所属した
兵士の証言を 以下に 付記しておこう。
うちの中隊で警備に出るとき、揚子江の水際で死体を
ぎょうさん見ました。 兵隊やのうて住民みたいでした。
河べり一面に 死体が 寝ころんでるように ぎっしり
つまっていました。 かわいそうとは思うたが、戦争や
から やむを得ないわな。 上の人の命令やから・・・
触れておきたい。 村瀬氏は、給部隊として 南京戦の後を
辿りながら、貴重な戦場の 記録写真を多数 撮影した。
その中には、揚子江岸における 大虐殺を証明するうえで
貴重な現場を 撮影した写真も 含まれている。
以下、『村瀬守保写真集 私の従軍中国戦線』から引用する。
(16) 南京制圧
第一線に近づくにつれて、部落を通過するたびに虐殺死体が
目立ち始めました。 (略)土間にひく アンペラを探して
穴蔵のようになっている奥の部屋に踏み込むと、下半身裸の
婦人が、下腹部を切り裂かれて、死んでいます。
少し奥には、五〜六歳の子供が、うつぶせに死んでいました。
プーンと、血生臭いにおいが、立ちこめています。 (略)
このような虐殺死体は、随所に見られました。 婦人に暴行を
加えて虐殺し、女性の性器に棒を差し込んでおくような、
残虐な事例も何回か目にしました。
南京の攻略が大幅に遅れたので、第一線部隊の兵隊は、
厳しい命令を受けて、目が血走っていました。
小休止で一緒に休んだ時の話をきくと、「南京一番乗りは
師団の至上命令だ。南京へいけば、女はいくらでもいるし、
酒もある。速くいったものは、やりたいほうだい、何でも
やれるぞ」 と上官からハッパをかけられているのです。
(略)
(17)大虐殺のうわさが…
ようやく足止めが解除されて、ある日荷物受領に揚子江岸の
下関埠頭へ行きました。 すると、広い河岸が一杯に死体で
うまっているのです。 岸辺の泥に埋まって、幅十メートル
位はあろうか、と思われる 死体の山でした。
揚子江岸で大虐殺が行われたという その現場でしょうか、
軍服を着た者はほとんどなく、大部分が平服の、民間人で、
婦人や子供も交じっているようでした。
死体に油をかけて、焼こうとしたため黒焦げになった死体も、
数多くありました。 死臭で息もつけない中を、工兵部隊が
死体を沖に運んで 流す作業を やっていましたが、
こんなやり方では、一〜二ヵ月はかかりそうでした。
(写真キャプション) 虐殺されたのち 薪を積んで、
油をかけられて焼かれた死体。ほとんどが平服の民間人
でした。
(写真キャプション) 揚子江岸には、おびただしい
死体が埋められていました。 虐殺した後、河岸へ
運んだのでしょうか、それとも河岸へ連行してから
虐殺したのでしょうか。
おそらく 南京虐殺否定派は、村瀬氏を ウソつき、または
妄想家の類と、例によって 根拠もなく 決めつけるだろう。
あるいは、村瀬氏が見たのは 兵士の死体であり、民間人と
いうのは間違いだと 主張するものも 出てくるに違いない。
参考として、第十六師団歩兵三十三連隊第二大隊に所属した
兵士の証言を 以下に 付記しておこう。
うちの中隊で警備に出るとき、揚子江の水際で死体を
ぎょうさん見ました。 兵隊やのうて住民みたいでした。
河べり一面に 死体が 寝ころんでるように ぎっしり
つまっていました。 かわいそうとは思うたが、戦争や
から やむを得ないわな。 上の人の命令やから・・・
これは メッセージ 1193 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.