南京虐殺事件否定派の見苦しい曲解(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/01 19:42 投稿番号: [1190 / 2250]
数多くの
日本軍兵士、国際機関の関係者、そして被害者たちの
証言や記録資料によって、残虐行為が 組織的に行われた事実を
伝えている。 そのすべてを信用しなくとも、少なくとも南京で
捕虜の大量殺害や 民間人に対する違法行為が 多発した事実を
うかがい知ることができ、軍の公式文書とも 整合性が取れる。
いずれも、現地における 体験に基づいて「あった」 「見た」
「体験した」 という、客観的で 具体的なものだ。
一方、南京事件を 必死で否定しようとする者の 論拠は、
「なかったはずだ」 「疑わしい」 「あるとは思えない」
といった類の、一部の論者が振り回す主観論に依拠している。
中には、自称体験者による 「なかった」 「見なかった」
という、数少ない証言を持ち出す場合もあるが、圧倒的多数の
記録を 怪しい、疑わしい、ウソ、捏造 と決め付けておいて
都合のよい証言だけを真実だと言い張るのは 厚顔無恥な話だ。
否定派には、記録資料に対する無理な 曲解が多い。 例えば
亜細亜大教授の東中野修道は著書『南京「虐殺」の徹底検証』で
第16師団長 中島今朝吾中将の日記に関して 言及している。
これは、捕虜の大量殺害を 記録している資料として有名だが
著者は、独自の解釈を加えて、虐殺はなかったと主張している。
中島中将の 12月13日付の記述は、以下のようなものだ。
「大体捕虜はせぬ方針なれば 片端より之を片付くることと
なしたる共千五千一万の群集となれば 之が武装を解除する
ことすら出来ず 唯彼等が全く戦意を失ひ ぞろぞろついて
来るから安全なるものの 之が一端掻擾せば始末に困るので
部隊をトラツクにて増派して監視と誘導に任じ 十三日夕は
トラツクの大活動を要したりし 乍併戦勝直後のことなれば
中々実行は敏速に出来ず斯る処置は当初より予想だにせざり
し処なれば参謀部は大多忙を極めたり」
普通に考えれば、「捕虜にせぬ方針」で、「片端から片付け」る、
というのは、捕虜にしないで 殺してしまう、という 意味に
とるのが常識的解釈だろう。 ところが、南京否定派にかかると
「捕虜はせぬ方針」とは、「投降兵は 武装解除後に追放して
捕虜にしない方針」である という意味に 解釈するらしい。
田中正明著 『南京事件の総括』 でも、
「この中島中将の『捕虜ハセヌ方針』というのを一般に誤解して、
南京の捕虜は かたっぱしから殺害したかのごとく 主張するが、
決してそうではない。」 として、銃を取りあげ 釈放するという
意味だ、などと 主張している。
しかし、東中野などの 否定派は、「中島日記」 を引用する時、
意図的か否かは分からないが、次の部分を 完全に無視している。
「此七八千人、之を片付くるには相当大なる壕を要し中々
見当らず 一案としては百二百に分割したる後適当の処に
誘きて 処理する予定」
捕虜を追放するのに、なぜ 「大なる壕」 が必要なのか。
また、100人単位に分け 適当な所に誘導する必要があるのか。
証言や記録資料によって、残虐行為が 組織的に行われた事実を
伝えている。 そのすべてを信用しなくとも、少なくとも南京で
捕虜の大量殺害や 民間人に対する違法行為が 多発した事実を
うかがい知ることができ、軍の公式文書とも 整合性が取れる。
いずれも、現地における 体験に基づいて「あった」 「見た」
「体験した」 という、客観的で 具体的なものだ。
一方、南京事件を 必死で否定しようとする者の 論拠は、
「なかったはずだ」 「疑わしい」 「あるとは思えない」
といった類の、一部の論者が振り回す主観論に依拠している。
中には、自称体験者による 「なかった」 「見なかった」
という、数少ない証言を持ち出す場合もあるが、圧倒的多数の
記録を 怪しい、疑わしい、ウソ、捏造 と決め付けておいて
都合のよい証言だけを真実だと言い張るのは 厚顔無恥な話だ。
否定派には、記録資料に対する無理な 曲解が多い。 例えば
亜細亜大教授の東中野修道は著書『南京「虐殺」の徹底検証』で
第16師団長 中島今朝吾中将の日記に関して 言及している。
これは、捕虜の大量殺害を 記録している資料として有名だが
著者は、独自の解釈を加えて、虐殺はなかったと主張している。
中島中将の 12月13日付の記述は、以下のようなものだ。
「大体捕虜はせぬ方針なれば 片端より之を片付くることと
なしたる共千五千一万の群集となれば 之が武装を解除する
ことすら出来ず 唯彼等が全く戦意を失ひ ぞろぞろついて
来るから安全なるものの 之が一端掻擾せば始末に困るので
部隊をトラツクにて増派して監視と誘導に任じ 十三日夕は
トラツクの大活動を要したりし 乍併戦勝直後のことなれば
中々実行は敏速に出来ず斯る処置は当初より予想だにせざり
し処なれば参謀部は大多忙を極めたり」
普通に考えれば、「捕虜にせぬ方針」で、「片端から片付け」る、
というのは、捕虜にしないで 殺してしまう、という 意味に
とるのが常識的解釈だろう。 ところが、南京否定派にかかると
「捕虜はせぬ方針」とは、「投降兵は 武装解除後に追放して
捕虜にしない方針」である という意味に 解釈するらしい。
田中正明著 『南京事件の総括』 でも、
「この中島中将の『捕虜ハセヌ方針』というのを一般に誤解して、
南京の捕虜は かたっぱしから殺害したかのごとく 主張するが、
決してそうではない。」 として、銃を取りあげ 釈放するという
意味だ、などと 主張している。
しかし、東中野などの 否定派は、「中島日記」 を引用する時、
意図的か否かは分からないが、次の部分を 完全に無視している。
「此七八千人、之を片付くるには相当大なる壕を要し中々
見当らず 一案としては百二百に分割したる後適当の処に
誘きて 処理する予定」
捕虜を追放するのに、なぜ 「大なる壕」 が必要なのか。
また、100人単位に分け 適当な所に誘導する必要があるのか。
これは メッセージ 1185 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.