入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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◆いまだに「ラーべの日記」とは笑わせる②

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2011/11/29 19:41 投稿番号: [1171 / 2250]
松井大将の元・私設秘書だった田中正明氏は、このラーベが書いた報告書や日記には数多くの矛盾点があると批判し、こう述べています。

  「12月9日、松井軍司令官は休戦を命じ、城内の唐生智軍に『降伏勧告のビラ』を空から全市にばら撒いて講和を呼びかけている。その間攻撃を中止して、10日正午まで待機した。…しかるにラーベの12月9日の日記には、『中華門から砲声と機関銃の射撃音が聞こえ、安全区内に響いている。明かりが消され、暗闇の中を負傷者が足を引きずるようにして歩いているのが見える』。全然「降伏勧告のビラ」も休戦のことも触れておらず、戦闘は続いていたことになっている。…
  ラーベの日記には『局部に竹を突っ込まれた女の人の死体をそこら中で見かける。吐き気がして息苦しくなる。70を越えた人さえ何度も暴行されているのだ』とあるが、強姦のあと『局部に竹を突っ込む』などという風習は、支那にあっても、日本には絶対ない。…
  金陵大学病院医師マッカラム氏は、『(安全区に入ってきた日本軍は)礼儀正しく、しかも尊敬して私どもを処遇してくれました。若干のたいへん愉快な日本兵がいました。私は時々日本兵が若干の支那人を助けたり、また遊ぶために、支那人の赤子を抱き上げているのを目撃しました』と、東京裁判に提出した日記の中に書いている。…ところがラーベ日記には、安全区内に毎日のように火事と強姦が続いたという“地獄絵”が描かれている。一体どちらが本当なのか?…
  ヒトラーがジョン・ラーベの原稿に信をおかず、彼を逆に入獄せしめた理由が、私にはわかるような気がする」(講談社刊『南京の真実』は真実ではない!)

  このようにラーベの報告や日記は、内容が非常に偏っており、誤解と偏見と、また、何とか日本の残虐を訴えてドイツと日本の同盟を阻止したいという思惑とが、混ざり合ったものでした。そのためその内容は、軍服を脱ぎ捨てた中国兵たちや、督戦隊に殺された中国兵たち、また安全区に隠れた中国兵らによる犯罪などの事実には一切ふれず、ただ日本軍の暴行だけを書き記すものとなったのです。
  実際、日本軍による南京占領の翌月、1月9日に南京に戻ったドイツ大使館のシャルフェンベルク事務長は、自分の目で実情を確かめた上で、「ラーベが語る日本軍の暴行事件」について、2月10日付で漢口のドイツ大使館にこう書き送りました。
  「ラーベは最近、日本兵による血なまぐさい事件をまたぶり返し、それを阻止すべく、あいかわらず奔走している。だが私の意見では、ドイツ人はそんなことを気にとめるべきではない。なぜなら南京の中国人らが日本人に頼り、仲良くなっていることは、見れば明らかなことだ。第一、暴行事件といっても、すべて中国人から一方的に話を開いているだけではないか」(再審「南京大虐殺」世界に訴える日本の冤罪)
  ラーベは、表向きは暴行事件の被害者の救済などに奔走し、中立を装うなどしていました。それでアイリス・チャン(南京大虐殺に関する本の著者)の本などでは、シンドラーに比すことのできる善人であると、持ち上げられています。
  しかしその実をみれば、ラーベは中国人将校たちをかくまって反日攪乱工作を手伝い、また自身の虚偽のリポートを通しても、自分なりの反日攪乱工作を続けていたのです。
  こうした人物が南京国際委員会の長だったわけですから、彼の姿勢は委員会の他のメンバーたちにも当然、深く影響していました。委員会の他のメンバーたちが残した日記その他の記録が同様なものとなったのは、そうした成り行きだったのです。
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