Re: 優しい社会は 難しい。<ホントに<
投稿者: kubotakaaki2005 投稿日時: 2006/04/13 17:27 投稿番号: [73474 / 95793]
あさま山荘の「毛語録」
二五年前の連合赤軍事件をもう一度考え直さなければならないという思いに駆られたからでした。あの事件―もちろんそれは浅間山荘事件ではなく、そのあと明らかになった山岳ベ−スでの集団リンチ殺人事件のことですが―が起きたときのショックは、今でもまざまざと思い出すことが出来ます。
それまでも、限りなくエスカレ−トする内ゲバに、学内の支持を失いつつあったとき、山岳ベ−スでの集団殺人のニュ−スは、誇張ではなく、新左翼への信頼を一夜にしてすべて失う結果となりました。それまでは「じぶんにはできないがよくやっている」という同情の雰囲気があったものが、「馬鹿なことをやっている」という嘲笑の声に変わったのでした。
正直に申し上げて、今まで私は連合赤軍事件の当事者に対して、被害者意識を持っていました。連合赤軍の当事者こそ運動の破壊者だという気持ちでした。そのかぎりでは、連合赤軍事件は私にとってあくまで外的なもの、自己の過ちとは関係のないものと思われたのでした。
「日本の真のマルクスレ一ニン主義、毛沢東思想の革命勢力は、すでに宮本集団(注・日本共産党に対し中国側がよぶ)に対し大いに反逆しはじめた。いま、この革命勢力は急速に大きなものへ発展している。ここに日本民族の偉大な希望がかけられている」
これは、中国共産党機関紙『人民日報』の、日本共産党から中国派に寝返った「造反者たち」への激励、扇動の記事である。
こうした中国の求めにこたえて名乗りをあげた「造反者」とは、「日本共産党(山口)左派」を名乗る山口県などにできたごく一部の日本共産党を除名されたグループで、中国の路線そのままを日本にもちこんで、武装革命唯一論とか、反米反ソの統一戦線などを唱えた。中国側はこの集団の幹部を招き、新聞その他最大限にもちあげた。また「山口左派」の文化工作隊として演劇集団はぐるま座」も中国から高い評価を受けた。
さらに中国側は、日本のトロツキスト集団とも呼ばれて来た学生暴力集団の、各地での過激な暴力行動を激賞した。佐藤首相の南べトナム訪問のときに羽田空港で暴れた六七年昭和42)十月の羽田事件について『人民日報』は、
「これらの革命的青年は日本人民の誇りであり、日本民族の希望は彼らにかかっている」 と報道した。また、三里塚闘争なども、 「日本列島に春雷とどろく」 ともちあげた。
七〇年(昭和45)三月の赤軍派の日航機「よど号」乗っ取り事件、七一年(昭和46)二月には、京浜安保共闘と名乗る暴カ集団が栃木県で、銃砲店を襲い銃を強奪した事件などが各地で発生した。
これらも毛沢東の、 「鉄砲から政権が生まれる」 とした暴カ革命思想に影響されるところが大きかった。
七〇年(昭和45)四月に訪中した日本の貿易七団体と会見した周恩来は、「よど号事件」について、つぎのように語っている。
「…すばらしいことです。日本の修正主義者は、彼らをトロッキストだと悪口をいっているが、彼らは行きすぎた出来事は、すべてトロッキスとか、アナーキストとか言っています。青年運動はその初期においてはどうしても過激になりがちです。もしそうでなければ革命などはとてもできないでしょう」
七二年(昭和47)二月には、「連合赤軍」を名乗る暴カ集団が、長野県軽井沢町にある「あさま山荘」に押し入り、警官隊と銃撃戦を演じ、警官三人の死者と、十六人の重軽傷者をだす事件が発生した。
そしてこの暴力集団が、仲間多数を「総括」の名で処刑していたことも判明し、戦慄すべき事件として世間の非難を浴びた。この組織の首謀者のひとり森恒夫は、その後の供述のなかで「総括」をしたのは、
「毛沢東思想の徹底のため…」
と述べている。また永田洋子は、
「毛沢東思想に傾倒してこうなった」
と自白している。
彼らのアジトからは、北京や善隣学生会館の紅衛兵が身につけているのと同じ、赤表紙の『毛沢東語録』や『毛沢東選集』が多数発見された。カンボジアのポルポト派の小型版であった。
二五年前の連合赤軍事件をもう一度考え直さなければならないという思いに駆られたからでした。あの事件―もちろんそれは浅間山荘事件ではなく、そのあと明らかになった山岳ベ−スでの集団リンチ殺人事件のことですが―が起きたときのショックは、今でもまざまざと思い出すことが出来ます。
それまでも、限りなくエスカレ−トする内ゲバに、学内の支持を失いつつあったとき、山岳ベ−スでの集団殺人のニュ−スは、誇張ではなく、新左翼への信頼を一夜にしてすべて失う結果となりました。それまでは「じぶんにはできないがよくやっている」という同情の雰囲気があったものが、「馬鹿なことをやっている」という嘲笑の声に変わったのでした。
正直に申し上げて、今まで私は連合赤軍事件の当事者に対して、被害者意識を持っていました。連合赤軍の当事者こそ運動の破壊者だという気持ちでした。そのかぎりでは、連合赤軍事件は私にとってあくまで外的なもの、自己の過ちとは関係のないものと思われたのでした。
「日本の真のマルクスレ一ニン主義、毛沢東思想の革命勢力は、すでに宮本集団(注・日本共産党に対し中国側がよぶ)に対し大いに反逆しはじめた。いま、この革命勢力は急速に大きなものへ発展している。ここに日本民族の偉大な希望がかけられている」
これは、中国共産党機関紙『人民日報』の、日本共産党から中国派に寝返った「造反者たち」への激励、扇動の記事である。
こうした中国の求めにこたえて名乗りをあげた「造反者」とは、「日本共産党(山口)左派」を名乗る山口県などにできたごく一部の日本共産党を除名されたグループで、中国の路線そのままを日本にもちこんで、武装革命唯一論とか、反米反ソの統一戦線などを唱えた。中国側はこの集団の幹部を招き、新聞その他最大限にもちあげた。また「山口左派」の文化工作隊として演劇集団はぐるま座」も中国から高い評価を受けた。
さらに中国側は、日本のトロツキスト集団とも呼ばれて来た学生暴力集団の、各地での過激な暴力行動を激賞した。佐藤首相の南べトナム訪問のときに羽田空港で暴れた六七年昭和42)十月の羽田事件について『人民日報』は、
「これらの革命的青年は日本人民の誇りであり、日本民族の希望は彼らにかかっている」 と報道した。また、三里塚闘争なども、 「日本列島に春雷とどろく」 ともちあげた。
七〇年(昭和45)三月の赤軍派の日航機「よど号」乗っ取り事件、七一年(昭和46)二月には、京浜安保共闘と名乗る暴カ集団が栃木県で、銃砲店を襲い銃を強奪した事件などが各地で発生した。
これらも毛沢東の、 「鉄砲から政権が生まれる」 とした暴カ革命思想に影響されるところが大きかった。
七〇年(昭和45)四月に訪中した日本の貿易七団体と会見した周恩来は、「よど号事件」について、つぎのように語っている。
「…すばらしいことです。日本の修正主義者は、彼らをトロッキストだと悪口をいっているが、彼らは行きすぎた出来事は、すべてトロッキスとか、アナーキストとか言っています。青年運動はその初期においてはどうしても過激になりがちです。もしそうでなければ革命などはとてもできないでしょう」
七二年(昭和47)二月には、「連合赤軍」を名乗る暴カ集団が、長野県軽井沢町にある「あさま山荘」に押し入り、警官隊と銃撃戦を演じ、警官三人の死者と、十六人の重軽傷者をだす事件が発生した。
そしてこの暴力集団が、仲間多数を「総括」の名で処刑していたことも判明し、戦慄すべき事件として世間の非難を浴びた。この組織の首謀者のひとり森恒夫は、その後の供述のなかで「総括」をしたのは、
「毛沢東思想の徹底のため…」
と述べている。また永田洋子は、
「毛沢東思想に傾倒してこうなった」
と自白している。
彼らのアジトからは、北京や善隣学生会館の紅衛兵が身につけているのと同じ、赤表紙の『毛沢東語録』や『毛沢東選集』が多数発見された。カンボジアのポルポト派の小型版であった。
これは メッセージ 73472 (yozakura321 さん)への返信です.
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