中国の反日デモ

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中国脅威論>優しい社会には絶句

投稿者: kubotakaaki2005 投稿日時: 2006/04/13 17:32 投稿番号: [73475 / 95793]
カンボジアは北海道の2倍程度の面積の国だ。人口は約1千万人。首都はプノンペン。
このカンボジアをこの世の地獄へ叩き込んだのは中国が支援していた毛派共産主義者暴君ポルポトだった。
民衆に人気の高いシアヌークの名を全面に押し出すことでクメールルージュは多数の志願兵を得た。ここで解放軍の実質上のトップにポルポトが踊り出た。
ただしこの時点ではポルポトは温厚で、農民と共に汗を流し、田畑を耕したりもした。兵士達も皆、友好的だったという。
そしてベトナムがアメリカと合意して戦線を離脱したにも関わらず、ポルポト率いるクメールルージュは解放(朝日新聞の当時の記事)したのである。
解放軍は首都プノンペンに入るとすぐに民衆を着の身着のままで強制的に地方の農村部に移した。逆らう者は容赦なく殺した。同様の行いが全ての都市でなされた。
これらはあまりに迅速に実行されたので国外に逃げられた人は
ほとんどいなかったそうだ。
そして国内を「平定」した後は以下の政策を施行した。
・私有財産の強制的な没収、貨幣制度の廃止
・電話、電報、郵便、ラジオ等の連絡機関の廃止
・バス、鉄道、飛行機等の移動手段の廃止
・全ての教育機関の廃止と書物の焼却
・仏教の禁止、寺や像の破壊、民族音楽や古典舞踊の禁止
・都市市民の農村部への強制移住
・家族のつながりは無益とし、5歳以上の子供は全て親から隔離
・自由恋愛の禁止、無作為の相手との強制的な結婚
異論を唱えた者、従わなかった者は全て処刑された。投獄なんて生易しいまねはしない。全て殺された。徹底していると普通は思うだろう。これだけでも歴史上類を見ない暴虐だと思うだろう。しかしポルポトはそうは思わなかったらしい。次にポルポトがは理想国家の建設のために協力者を集めた。「例えロンノル政権に加担していたとしても私は許す。   資産家、医師、教師、技術者、僧侶は名乗り出て欲しい。   それから海外に留学している学生も帰って来て欲しい。   理想国家を作るためには君達の力が必要だ。
  大切なのはカンボジアの未来なのだから」
国を良くするため、という言葉に共感した<インテリ>が次々と現れ、それこそ国内のほとんどの高い教養を得た人々、海外に留学していた学生達がポルポトの元に集った。
彼らはポルポト兵に連れて行かれ、二度と帰って来なかった。
ポルポトは大嘘をついていた。
彼はフランスに留学していたので民衆の集団決起の強さを知っていた。
よって理想国家を作るためどころか、将来自分に歯向かうかもしれない民衆、その指導者になれそうな教養を持った人間を一掃したかったのだ。そして民衆を少ない食事で朝から晩まで牛馬のごとく働かせた。不満を言う者、働けない者はどんどん殺した。「疲れた」と言っただけで殺されたのだ。家族に至るまで全て。密告を奨励し、ろくに調べもしないで殺した。少しでも正義感が強いとか、物事を考える者はそれだけで殺された。家族、一族もろとも。誰も信用できず、栄養が足りず、指導者もおらず、反乱の芽は種になる前に焼かれた。
国民はポルポトに従うしかなかった。ポルポト兵に入隊できるのは13歳以下の少年に限られた。ポルポトの意向通りに洗脳し易いからだ。結果、少年達はポルポトを神とあがめ、
命令があれば肉親でも殺す鉄の兵隊になった。そうしてポルポト兵は狂信的集団へと収束していった。1975年から1978年の3年間のポルポト政権の期間でカンボジアでは約300万人の死者が出た。これは国民の1/3に当る大虐殺であった。

貼り付け元 <http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/3077/sub3-78.html>
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