一般のアメリカ人は知っているかな?
投稿者: kubotakaaki2005 投稿日時: 2006/03/15 02:29 投稿番号: [71048 / 95793]
日米開戦直前の1941(昭和16)年11月、ハル米国務長官が日本に突き付けた言わゆるハル・ノートの原案作成者、故ハリー・ホワイト米財務省特別補佐官は、 旧ソ連の協力者で諜報工作の対象者だった事がソ連国家保安委員会(KGB)の元対 米諜報担当者の証言で分かった。
この担当者は当時、自ら米国に赴いてホワイトに接触、ハル・ノートの核心部分に当たる「日本軍の中国からの撤退」などを、メモの形で渡した、とも証言した。日米開戦の直接のきっかけとなったハル・ノートの背後に、旧ソ連諜報機関の関与があったことが、ロシア側から具体的に明らかにされたのは初めて。
KGB(当時は NKVD)で戦前から対米諜報副責任者を努めて来たビタリー・パブロフ(81)。
同氏によると、ホワイト工作は英語で白を意味するホワイトの名前の連想から雪 (ロシア語でスニェグ)にちなみ、「雪作戦」と名付けられた。同氏は回想録「スパ イ半世紀」(未公刊)でも、「雪作戦」と題し対米工作の実態を詳細に記述しているが、その原稿も毎日新聞に提供された。
まず、この作戦を行なった動機について、パブロフ氏は「日本のアジアへの拡大がソ連極東地域への脅威になっていたし、対独戦もいずれあるとの予感があったので、 極東での第二戦線が出来るのを避ける事にあった」と指摘。米国を通じて工作を行なうとしたのは「ワシントンを呼び起こし、日本の敵対進出に警告させてはどうかと考えたからだ」と説明した。
「雪作戦」がソ連上層部により承認されたのは、40年10月で、ベリヤ内相は、「作戦の全てを秘密とし、この件に関してはいかなる痕跡をも残してはならない」と 厳命。
作戦は、翌41年5月にパブロフ氏自身が外交官の身分で渡米し、直接ホワイ トと接触。アフロメーロフ(ビル)からの伝言を伝える形で、実行に移された。二人 の接触はワシントン市内のレストランで昼食を取りながら行なわれ、パブロフ氏はホワイトにソ連側の主張を盛り込んだメモを手渡したと言う。
これは メッセージ 71047 (kubotakaaki2005 さん)への返信です.
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