誠の道 (二宮尊徳夜話)
投稿者: sawayakanikoniko 投稿日時: 2005/05/13 16:10 投稿番号: [34124 / 95793]
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誠の道と天地の経文
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翁は言われた。誠の道というのは、学ばずに自然に知り、習わずに自然に覚え、
書籍もなく師匠もなく、そして人々が自得して忘れない、これが誠の道の本体だ。
のどが乾いたら飲み、腹が空いたら食べ、疲れて寝、覚めて起きる、皆この類だ。
古歌に、
水鳥の行くも帰るも跡たえてされども道は忘れざりけり
といっているのと同じ。記録もなく、書籍もなく、学ばず習わずにいて明らかな
道でなければ誠の道ではない。私の教えというのは書籍を尊ばない。だから天地
を経文とする。
私の歌に
音もなく香もなく常に天地(あめつち)は書かざる経をくり返しつつ
と詠んだ。このように日々、繰り返し繰り返し示されている天地の経文に誠の道
は明らかだ。この尊い天地の経文を見ずに、書籍の上に道を求める学者達の論説
は採用しない。よくよく目を見開いて天地の経文を拝見し、これを誠実に実行す
る道を探求しよう。
世界というのは、横の平面は水面をもって極まったとし、縦の直線は垂針をもっ
て極まったとする。およそこのような万古動かぬ基準があるからこそ、地球の測
量もできるのだ。これ以外の基準で測量ができようか。日時計、算術の九九など
皆自然の法則で、大昔からかわらない。こうした法則によって天文も考えること
ができ暦の計算もできるのだ。これを使わずに、いかなる智者でも仕事はできな
い。
私の説く道もまた同じ。天はものを言わないが、四季は巡り万物咲き稔るという
、文字になってない経文・言葉に表さない教え、つまり米を蒔けば米がはえ、麦
を蒔けば麦が稔るというようなことは、ずっと変らない道理なのだから、誠の道
に基いてこれを誠にする仕事をすべきだ
これは メッセージ 1 (nono7370 さん)への返信です.
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