国家と良心-2
投稿者: easysea009 投稿日時: 2005/05/06 16:48 投稿番号: [30408 / 95793]
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日本の「有言不実行」
初めの「日本が何度謝れば気が済むのか」という問題については、少なくとも次の二つの側面があるような気がする。一つは、謝罪の方法論であり、もう一つは一貫性の問題だ。
まず方法論についていえば、私は言葉による謝罪は異文化間で行われる限り、事実上不可能だろうと普段から考えている。要するに完全なる翻訳が不可能だということだ。深い感情を外国語に翻訳して伝えることは、外国語を少しでもかじったことのある人ならわかるように、本当に難しいことだ。ましてや、政府間のやりとりとなれば、後で責任が生じないように、えてして当り障りのない訳語が選ばれる可能性が高く、なおさらあいまいなものになりがちだ。21回といわれる日本のこれまでの謝罪のうち、どのくらいが本当に意味のある謝罪となっているのだろうか。
もちろん、ここでいう「意味ある」とは、あくまでも受けてである中国人にとって、という意味であり、日本側から見た独り善がりのものであっては決してならない。
この問題について、私が常々思っているのは、人の発する言葉が本物かどうかを見極める基準は、その人の行動にしかないということだ。要するに、実行が伴わない限り、その人の発言は嘘とまではいかなくとも、かなり信用性がないものと判断されても仕方がないということだ。
その点、日本の「有言不実行」ぶりは、日米経済摩擦が頂点に達していた90年代半ばにもアメリカ側から盛んに批判の対象にされていた点だ。この時期、私がワシントンDCの大学院でアメリカの外交政策を学んでいたことは、このメルマガでも何度かお伝えしたとおりだが、「重要なのは何をいうかではなく、何をするかなのだ。われわれは(市場開放における)日本の今後のアクションを注視する」というアメリカ側からのたび重なる批判を耳にして、日本の行動力のなさ、積極性のなさに情けないやら、憤るやら、やるせない気持ちになったのは私だけではなかった。
あの時期は、日本からアメリカに留学してきていた日本人学生にとっては、まことに居心地の悪い時代だったといえよう。アメリカの政府やマスコミから貼られたレッテル、「日本の行動は遅すぎて、しかも不十分(Too late, Too little)」が恨めしくてたまらなかったものだ。なぜ、我が国は積極果敢に大胆な政策を打ち出せないのか。それが悔しくて仕方がなかった。
時代と対象国は変われども、この肝心の行動がなかなか伴わず、たとえ伴ったとしてもたいていの場合、「遅すぎて不十分」となりがちな我が日本国の基本的行動パターンは対中国政策においても何ら変わりがない。
初めの「日本が何度謝れば気が済むのか」という問題については、少なくとも次の二つの側面があるような気がする。一つは、謝罪の方法論であり、もう一つは一貫性の問題だ。
まず方法論についていえば、私は言葉による謝罪は異文化間で行われる限り、事実上不可能だろうと普段から考えている。要するに完全なる翻訳が不可能だということだ。深い感情を外国語に翻訳して伝えることは、外国語を少しでもかじったことのある人ならわかるように、本当に難しいことだ。ましてや、政府間のやりとりとなれば、後で責任が生じないように、えてして当り障りのない訳語が選ばれる可能性が高く、なおさらあいまいなものになりがちだ。21回といわれる日本のこれまでの謝罪のうち、どのくらいが本当に意味のある謝罪となっているのだろうか。
もちろん、ここでいう「意味ある」とは、あくまでも受けてである中国人にとって、という意味であり、日本側から見た独り善がりのものであっては決してならない。
この問題について、私が常々思っているのは、人の発する言葉が本物かどうかを見極める基準は、その人の行動にしかないということだ。要するに、実行が伴わない限り、その人の発言は嘘とまではいかなくとも、かなり信用性がないものと判断されても仕方がないということだ。
その点、日本の「有言不実行」ぶりは、日米経済摩擦が頂点に達していた90年代半ばにもアメリカ側から盛んに批判の対象にされていた点だ。この時期、私がワシントンDCの大学院でアメリカの外交政策を学んでいたことは、このメルマガでも何度かお伝えしたとおりだが、「重要なのは何をいうかではなく、何をするかなのだ。われわれは(市場開放における)日本の今後のアクションを注視する」というアメリカ側からのたび重なる批判を耳にして、日本の行動力のなさ、積極性のなさに情けないやら、憤るやら、やるせない気持ちになったのは私だけではなかった。
あの時期は、日本からアメリカに留学してきていた日本人学生にとっては、まことに居心地の悪い時代だったといえよう。アメリカの政府やマスコミから貼られたレッテル、「日本の行動は遅すぎて、しかも不十分(Too late, Too little)」が恨めしくてたまらなかったものだ。なぜ、我が国は積極果敢に大胆な政策を打ち出せないのか。それが悔しくて仕方がなかった。
時代と対象国は変われども、この肝心の行動がなかなか伴わず、たとえ伴ったとしてもたいていの場合、「遅すぎて不十分」となりがちな我が日本国の基本的行動パターンは対中国政策においても何ら変わりがない。
これは メッセージ 30406 (easysea009 さん)への返信です.
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