侵略国日本は国際社会の前科者

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尾崎秀実という人物のつづき11(修正)

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/03/26 12:12 投稿番号: [8181 / 8458]
■7.茅野老の日中和平工作■

  尾崎のグループは国内世論を誘導するだけでなく、実際に国民党政権との和平の動きを妨害した。孫文の中国革命に協力し、蒋介石以下の国民党首脳部とも親しい間柄にあった茅野長知は、上海派遣軍司令官・松井石根(いわね)大将の依頼により、昭和12年10月頃から、日中和平に乗り出した。

  茅野老は国民政府からも信頼されており、翌13年4月には即時停戦、日本の撤兵声明発表などの合意に至った。茅野老が帰国してこの案を説明すると、近衛首相も板垣陸相も承認して、この線で和平実現に努力することになった。茅野老は早速、上海から香港へ渡って、国民党政府と接触し、5人の代表を東京に派遣する事となった。

  しかし、茅野老が再び帰国して、交渉の結果を報告すると、板垣陸相の態度は全く変わっていて「中国側に全然戦意なし、この儘(まま)で押せば漢口陥落と同時に国民政府は無条件で手を挙げる。日本側から停戦声明を出したり、撤兵を約束する必要はなくなった」という。

■8.天才的な謀略■

  茅野老が「それはとんでもない話だ。国民政府は長期抗戦の用意が出来ている。そんな情報はどこから来たのか」と問いつめると、板垣陸相は、同盟通信の上海支局長をしていた松本重治が連れてきた国民政府の外交部司長・高宋武から直接、聞いたという。

  茅野老が香港に行く途中の上海で、松本と会って、交渉の過程を話したのだが、この松本重治は尾崎の年来の友人であり、共に「朝飯会」のメンバーとして近衛首相のブレーンともなった人物である。後に茅野老は松本との会談を「運命の日」だったと述懐している。

  松本が連れてきた高宋武は、日本側に「国民政府はもうすぐ無条件降伏する」と伝える一方、蒋介石にも「中国があくまで抗戦を継続すれば、日本側は無条件で停戦、撤兵する」という偽りの電報を打っていた。こうした謀略によって、茅野老の和平工作はあと一歩という所で水泡に帰し、その後、高宋武、松本重治、尾崎秀實らによる汪兆銘政権樹立の動きとなっていく。

  汪兆銘は国民党の副総裁であり、あくまで党を分裂させずに、蒋介石にコミンテルンの謀略に乗った抗日戦争を止めさせるよう願っていたのだが[a]、その汪兆銘を担ぎ出して親日政権を作らせ、それを以て日本と国民政府の戦いを続けさせようという尾崎らの謀略はまさに天才的としか言いようがない。

■9.操られていた近衛内閣■

  近衛首相は、事変が始まった後、早期停戦を目指してドイツを仲介国とする交渉を行ってきたが、昭和13年1月には新たな親日政権の成立を期待して、「今後国民党政府を相手にせず」という第一次近衛声明を発表していた。茅野老の和平工作はこの後に何とか蒋介石政権との和平を確立しようとしたものであった。

  しかし、その望みも消えて、同年11月、近衛は日本・満洲・支那3国の連帯を目指した「東亜新秩序」建設に関する第二次声明を発表。これは尾崎らの「東亜共同体」構想そのものである。この声明の中で「国民政府といえども従来の指導政策を一擲(いってき、投げ打って)し、その人的構成を改替して更生の実を挙げ、新秩序建設に来たり参ずるに於ては、敢へてこれを拒否するものにあらず」と汪兆銘の動きに期待した。

  まさに「見えない力にあやつられてゐたような気がする」という近衛の述懐通り、近衛内閣は尾崎の描いた筋書きに乗せられていたのである。こうして日華事変は泥沼化していった。
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