尾崎秀実という人物のつづき12(修正)
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/03/26 12:19 投稿番号: [8182 / 8458]
■10.「東亜における新秩序」の人柱
尾崎が「中央公論」昭和14年1月号に発表した「『東亜共同体』の理念とその成立の客観的基礎」では、近衛の「東亜新秩序」声明を引用して、「『東亜共同体』は事変解決の方策の不可欠な重点となった」と述べつつ、こう言い切った。
一身を擲(なげう)つて国家の犠牲となつた人々は絶対に何等かの代償を要求して尊い血を流したのではないと我々は確信するのである。東亜に終局的な平和を齎(もたら)すべき「東亜における新秩序」の人柱となることは、この人々の望むところであるに違ひないのである。
確かに日華事変に出征した将兵の間には、この戦争が来るべき日中和平の礎になると考えて、一身を擲った人々も少なくなかったであろう。茅野老に和平工作を依頼した上海派遣軍司令官・松井石根大将もその一人であった。松井大将は孫文の大アジア主義に共鳴して「大亜細亜協会」会長にもなっていた。
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しかし尾崎の狙う「東亜共同体」とは、日本と蒋介石政権が共倒れして、両国で共産主義革命が実現した後に成立するはずのソ連・日本・中国による「赤い東亜共同体」であった。共産主義社会になれば、絶対的な平和が訪れる、そう信ずる尾崎にとって、確かに日華事変での犠牲者は「東亜に終局的な平和を齎すべき『東亜における新秩序』の人柱」なのであった。
共産主義革命後の「終局的な平和」の為なら、国民を欺いて日中戦争に駆り立てて「人柱」にすることも許されると尾崎は信じていた。尾崎は「帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめ」、「戦争を通じてプロレタリア革命を遂行すること」と命じたコミンテルンの忠実な使徒であった。
(文責:伊勢雅臣)
これは メッセージ 1 (keisatsufushouji さん)への返信です.
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