尾崎秀実という人物のつづき15
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/03/10 23:10 投稿番号: [8146 / 8458]
42、歴史に対する罪
ポツダム宣言の正式調印後、占領軍の情報参謀部は我が国の司法省刑事局の『ゾルゲ事件資料』を押収し、直ちに事件の調査を開始、ワシントンに「ゾルゲ諜報団−極東における国際諜報の実例研究」を送付した。情報参謀部長のチャールズ・ウィロビー少将は、ソ連および国際共産主義勢力の諜報謀略網が占領軍総司令部(GHQ)にも及んでいることを察知し、占領軍最高司令官と参謀長に「総司令部への左翼主義者の浸透状況」(一九四七年四月二十三日)を提出、「共産主義に対するアジアの防壁としての日本の育成はいまや危機に瀕している」と警告し、民政局長のホイットニー准将を激怒させた。日本国憲法案を起草した民政局(GS)と経済科学局(ESS)はニューディーラー(アメリカの容共主義者)の巣窟であり、明らかに左翼思想に基づく日本の「民主化」を遂行しようとしていたからである。
米ソ関係は連合国の敵である日本国の降伏を契機に親交から対立へ変化し、支那大陸では蒋介石の国民党と毛沢東の共産党との間に激烈な内戦が勃発し、GHQ内部では反共派が親ソ容共勢力を排除し始めたのである。それらの情勢変化は直ちにアメリカ本国を揺り動かした。
一九四八年二月号の「カソリック・ダイジェスト」に「アメリカを蝕むもの、モスクワの指令下に米国上層部に喰入るソ連秘密警察」と題する記事が掲載された。筆者は一九三三〜三五年まで農業金融局に、三五〜四〇年まで財務省に勤務したエドナ・ロニガンであり、彼女は次のように述べている(1)。
「国会は今、ソ連の秘密警察のアメリカに於ける目的と活動は何か?という実際問題を検討している。ソ連の秘密警察は、米国の政策をして自ら墓穴を掘らしめるため、その手先の者をアメリカの重要な地位につける仕事にたずさわらせているのだ。
ソ連秘密警察は一九三三年以来、連邦政府に浸透しようと努力して来た。その最初の細胞は明らかに農務省に設立されたのである。要員は大学の細胞から出た。スターリンは、一九二九年という遙か以前から、即ち不景気が危篤期に入ったと気づいたとき、彼は党員に命じてアメリカの大学にもぐりこませたのである。このことはニューヨーク州議会のラブ・コーダート委員会報告書に証明されている。各々の細胞は分裂して、他の細胞を生み出した。ソ連秘密警察の指導者達は、連邦政府内部の『機構図表』を持って居り、党員を次から次と重要な地位に移したのである。網状組織によって地位につけられた人々のうち、ある者は『純真』な人々であり、ある者は、夢想的な革命論者であった。しかし、大抵は、網状組織に好意を持たれれば速やかに昇進出来ることに気づいている小利口な、悪がしこい人々であった。
有能なソビエトの手先がなすべき事は、スパイではなく、政治指導者の信頼を博することであった。彼等の仕事は、高官や、その夫人達と親しくなることであり、友好的に、魅力的に、敏捷に、理知的に、同情的になることであり、昼夜にわたって、一層大きな責任を引きうける用意をすることであったのだ。そして、やがて、そのような責任ある地位が彼等に与えられたのである。
斯くの如くして、網状組織は毎年仲間達をだんだんと高い地位に移して行った。戦争が始まったとき、八年間陰謀で鍛えた古強者達は、最高政策をあやつる地位に到達していたのである。この網状組織によって選ばれた人々は、意見が分かれているあらゆる問題においてアメリカの政策を指導し始めた。ファーレィ(民主党領袖)が落伍した後、彼等は重要産業地方の投票を得る仕事を引き継ぎ、その報酬として戦争の指導権をにぎったのである。連戦連勝の米軍は、スターリンの希望通りの処で停止した。彼等は満洲と北朝鮮を共産党に与えた。」
同年夏アメリカ下院非米活動委員会において、E・ベントレーとW・チェンバース(いずれも元アメリカ共産党員)は、アメリカ共産党やイクサ・アフメーロフ、ボリス・バイコフ大佐(ソ連赤軍第四部)が、アメリカ政府内に構築したソ連の諜報謀略網の全容を告発した。また一九四九年二月十日にはアメリカ陸軍省がゾルゲ事件を新聞に公表し爆発的な反響を呼び起こした。
ポツダム宣言の正式調印後、占領軍の情報参謀部は我が国の司法省刑事局の『ゾルゲ事件資料』を押収し、直ちに事件の調査を開始、ワシントンに「ゾルゲ諜報団−極東における国際諜報の実例研究」を送付した。情報参謀部長のチャールズ・ウィロビー少将は、ソ連および国際共産主義勢力の諜報謀略網が占領軍総司令部(GHQ)にも及んでいることを察知し、占領軍最高司令官と参謀長に「総司令部への左翼主義者の浸透状況」(一九四七年四月二十三日)を提出、「共産主義に対するアジアの防壁としての日本の育成はいまや危機に瀕している」と警告し、民政局長のホイットニー准将を激怒させた。日本国憲法案を起草した民政局(GS)と経済科学局(ESS)はニューディーラー(アメリカの容共主義者)の巣窟であり、明らかに左翼思想に基づく日本の「民主化」を遂行しようとしていたからである。
米ソ関係は連合国の敵である日本国の降伏を契機に親交から対立へ変化し、支那大陸では蒋介石の国民党と毛沢東の共産党との間に激烈な内戦が勃発し、GHQ内部では反共派が親ソ容共勢力を排除し始めたのである。それらの情勢変化は直ちにアメリカ本国を揺り動かした。
一九四八年二月号の「カソリック・ダイジェスト」に「アメリカを蝕むもの、モスクワの指令下に米国上層部に喰入るソ連秘密警察」と題する記事が掲載された。筆者は一九三三〜三五年まで農業金融局に、三五〜四〇年まで財務省に勤務したエドナ・ロニガンであり、彼女は次のように述べている(1)。
「国会は今、ソ連の秘密警察のアメリカに於ける目的と活動は何か?という実際問題を検討している。ソ連の秘密警察は、米国の政策をして自ら墓穴を掘らしめるため、その手先の者をアメリカの重要な地位につける仕事にたずさわらせているのだ。
ソ連秘密警察は一九三三年以来、連邦政府に浸透しようと努力して来た。その最初の細胞は明らかに農務省に設立されたのである。要員は大学の細胞から出た。スターリンは、一九二九年という遙か以前から、即ち不景気が危篤期に入ったと気づいたとき、彼は党員に命じてアメリカの大学にもぐりこませたのである。このことはニューヨーク州議会のラブ・コーダート委員会報告書に証明されている。各々の細胞は分裂して、他の細胞を生み出した。ソ連秘密警察の指導者達は、連邦政府内部の『機構図表』を持って居り、党員を次から次と重要な地位に移したのである。網状組織によって地位につけられた人々のうち、ある者は『純真』な人々であり、ある者は、夢想的な革命論者であった。しかし、大抵は、網状組織に好意を持たれれば速やかに昇進出来ることに気づいている小利口な、悪がしこい人々であった。
有能なソビエトの手先がなすべき事は、スパイではなく、政治指導者の信頼を博することであった。彼等の仕事は、高官や、その夫人達と親しくなることであり、友好的に、魅力的に、敏捷に、理知的に、同情的になることであり、昼夜にわたって、一層大きな責任を引きうける用意をすることであったのだ。そして、やがて、そのような責任ある地位が彼等に与えられたのである。
斯くの如くして、網状組織は毎年仲間達をだんだんと高い地位に移して行った。戦争が始まったとき、八年間陰謀で鍛えた古強者達は、最高政策をあやつる地位に到達していたのである。この網状組織によって選ばれた人々は、意見が分かれているあらゆる問題においてアメリカの政策を指導し始めた。ファーレィ(民主党領袖)が落伍した後、彼等は重要産業地方の投票を得る仕事を引き継ぎ、その報酬として戦争の指導権をにぎったのである。連戦連勝の米軍は、スターリンの希望通りの処で停止した。彼等は満洲と北朝鮮を共産党に与えた。」
同年夏アメリカ下院非米活動委員会において、E・ベントレーとW・チェンバース(いずれも元アメリカ共産党員)は、アメリカ共産党やイクサ・アフメーロフ、ボリス・バイコフ大佐(ソ連赤軍第四部)が、アメリカ政府内に構築したソ連の諜報謀略網の全容を告発した。また一九四九年二月十日にはアメリカ陸軍省がゾルゲ事件を新聞に公表し爆発的な反響を呼び起こした。
これは メッセージ 1 (keisatsufushouji さん)への返信です.
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