侵略国日本は国際社会の前科者

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

通州事件つづき4

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/02/25 21:23 投稿番号: [8097 / 8458]
在留日本人380名中、惨殺された260名。
  冀東防共自治政府2ヵ年足らずの歴史は、ここに通州事件という世紀の惨劇をもって幕を下ろした。
  中国人が日本人を虐殺した数多くの事件の中でも、その凄惨なることで通州事件をしのぐものはない。
  その残忍なること、悪鬼すらかくまではすまじ、と思われる極悪の所業であった。
  通州事件は冀東政府の保安隊が、日本機に通州の兵舎を爆撃され、疑心暗鬼になって起こした反乱であるとの説が我が国では流布している。
  つまり誤爆した日本側に責任がある、とする例の日本悪玉論の亜流である。
  だが、日本軍誤爆説は昔日のものであり、もはや中国でさえ通用しない。
  誤爆があったのは昭和12(1937)年7月27日だが、誤爆を知った細木特務機関長は直ちに冀東政府長官・殷汝耕を往訪陳謝すると共に、自ら現場を視察し、遺族の弔慰に奔走、翌28日保安隊教導総隊幹部一同に対し、誤爆原因について釈明、慰撫に努めている。誤爆原因説では保安隊の反乱やその後の日本人大虐殺は説明し切れず、通州事件の説明はいま一つ釈然とせぬものが残っていたのだ。
  ところが近年になって、通州事件は冀東保安隊第1、第2総隊の計画的行動であることが中国側史料によって明らかとなった。
  例えば、張慶余(当時冀東保安隊第1総隊長)の「冀東保安隊通県決起始末記」(元国民党将領抗日戦争体験記叢書「七七事変」所載)や「戦火蔓延、平津陥落」及び「冀東保安隊の決起について」(武月星他「盧溝橋事変風雲偏」)等である。
  詳細は割愛するが、要はこうである。
  昭和10(1935)年11月に冀東防共自治委員会が成立して河北保安隊が冀東保安隊と改称されるや、第1総隊長・張慶余は河北省主席・商震に指示を仰いだところ、暫(しばら)く表面を糊塗(こと)すべしと言われた。
  12月、冀東政務委員会が発足して宋哲元が委員長に就任すると、張慶余は第2総隊長・張硯田と共に哥老会(かろうかい、明代からの秘密結社)の首領・張樹声を通じて宋哲元と面会した(張慶余・張硯田ともに哥老会会員)。
  宗哲元は両名の抗日決意を「政府を代表して」歓迎すると述べ、軍事訓練を強化して準備工作をしっかりやれと命じ、各々に1万元を贈った。
  2人が「委員長に従って国家に忠誠を尽くす」旨(むね)を述べると、宋哲元は「素晴らしい、素晴らしい」と言った。
  通州での決起はこの会見と関係がある―――こう張慶余は告白しているのだ。
  翌昭和11(1936)年春には、張硯田の第2総隊内にすでに中共支部が結成されていた。
  宋哲元との会見以後、冀東保安隊は29軍(宋哲元軍長)と秘密裡(ひみつり)に連携を保ったが、昭和12(1937)年7月盧溝橋事件が発生すると、張慶余は河北省主席・馮治安(ひょうちあん)に指示を仰いだ(宋哲元は北京に不在)。
  馮は第29軍の開戦に呼応して通州で決起し、同時に一部保安隊で豊台を側面攻撃して狭撃の効果を挙げようと指示すると共に第29軍参謀長・張越亭と連絡せしめ、張越亭は直ちに冀東保安隊第1、第2総隊を戦闘序列に編入した。
  他方、張慶余、張硯田両総隊長は、通州特務機関長細木中佐が、第29軍の通州攻撃を防ぐために開いた軍事会議の席上、密かに示し合わせて細木機関長を欺(あざむ)き、分散していた配下の保安隊を通州に集結させるよう提案した。
  両名を信頼していた細木中佐はこれに賛成、かつ散在していた日本居留民を保護するため通州に集合させたのであった。
  欺して準備が整うや、7月28日夜12時を期して通州城門を閉鎖し、一切の交通、通信を遮断して決起に移ったのである。
  中国側の最新史料によれば通州反乱に至る事情は大要先の通りである「誤爆」などどこにも出てこない。
  通州事件は2年間にわたる秘密裡の計画に基づく日本人襲撃事件だったのであり、日本機に兵舎を誤爆され、疑心暗鬼となって保安隊が起こした事件などでは全然ない。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)