河村市長の南京虐殺否定発言に拍手

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

日本兵の「陣中日誌」①

投稿者: nicchukaidan 投稿日時: 2012/02/25 23:19 投稿番号: [9 / 73]
歩兵第20連隊に所属した牧野信夫上等兵の残した陣中日誌に、この間の進撃路上の「掃討」の実態が綴られています。

〔11月22日〕道路上には支那兵の死体、民衆および婦人の死体が見ずらい(ママ)様子でのびていたのも可哀想である。
橋の付近には5,6個の支那兵の死体がやかれたり、あるいは首をはねられて倒れている。話では砲兵隊の将校がためし切りをやったそうである。(※)
〔11月26日〕午前 (午後の誤り)4時、第2大隊は喚声を上げ勇ましく敵陣地に突進し、敵第一線を奪取。住民は家を焼かれ、逃げるに道なく、失心状態で右往左往しているもまったく可哀想だがしかたがない。午後6時、完全に占領する。7時、道路上に各隊集結を終わり、付近部落の掃討がおこなわれた。自分たちが集結している場所に4名の敗残兵がぼやっと現れたので早速捕らえようとしたが、1名は残念ながら逃がし、あと3名は捕らえた。兵士たちは早速2名をエンビ (小型シャベル) や十字鍬で叩き殺し、1名は本部に連行、通訳が調べたのち銃殺した。
8時半、宿舎に就く。3小隊はさっそく豚を殺していた。全くすばやくするのにはおそれ入った。
〔11月27日〕支那人のメリケン粉を焼いて食う。休憩中に家に隠れていた敗残兵をなぐり殺す。支那人2名を連れて11時、出発す・・・・・・・・鉄道路線上を前進す。休憩中に5、6軒の藁ぶきの家を焼いた。炎は天高くもえあがり、気持ちがせいせいした。
〔11月28日〕午前11時、大隊長の命令により下野班長以下6名は小銃を持ち、残敵の掃討に行く。その前にある橋梁に来たとき、橋本与一は船で逃げる5、6名を発見、照準をつけ1名射殺。掃討はすでにこのときから始まったのである。自分たちが前進するにつれ支那人の若いのが先を競って逃げていく。何のために逃げるのかわからないが、逃げる者は怪しいと見て射殺する。
部落の12、3家に付火すると、たちまち火は全村を包み、全くの火の海である。老人が2、3人いて可哀想だったが、命令だから仕方がない。次、次と三部落を全焼さす。そのうえ5、6人を射殺する。意気揚々とあがる。
〔11月29日〕武進 (常州市に属する) は抗日・排日の根拠地であるため全町掃討し、老若男女をとわず全員銃殺す。敵は無錫の線で破れてより、まったく浮き足だって戦意がないのか、あるいは後方の強固な陣地にたてこもるのかわからないが、全く見えない。
〔12月1日〕途中の部落を全部掃討し、また船で逃げる2名の敗残兵を射殺し、あるいは火を付けて部落を焼き払って前進する。呂城の集落に入ったおりすぐに徴発に一家屋に入ったところ3名の義勇兵らしきものを発見。2名はクリークに蹴落とし、射殺する。1名は大隊本部に連行し手渡す。
( 後略)
(「南京事件」笠原十九司   岩波新書530   P87-89より)
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)