Re: 国連が慰安婦制度を認定
投稿者: chattppy2001 投稿日時: 2012/02/02 22:50 投稿番号: [16 / 31]
1970年西ドイツの首相だったヴィリーブラント氏はワルシャワ
ゲットーの慰霊碑
を訪れました。
「これはユダヤ人たちがナチスに対して蜂起し、多くの市民が殺害された事件を記憶するために作られた慰霊碑です」。
といって慰霊碑に花を捧げた後、ひざまづきました。この映像は全世界をかけめぐりました。
1989年にボンでブラント元首相が歴史認識について日本のジャーナリストのインタビューに答えて
「自分の国の過去について、批判的にとらえれば、とらえるほど周りの国々と友好関係を深めることができる。若い人々にも責任を負わせなければ、ならないが彼らも歴史の流れから抜け出す事はできないのだから、ドイツの歴史の暗い部分についても学ばなくてはならない。」と言いました
ドイツでは過去を心に刻み、被害者に謝罪することが国是であり、外交政策の根幹であるとし 過去の時代の誇りに思う出来事や偉大な人物を誇りに思うのであれば、負の遺産もその子孫が受け継ぎ責任を負うのは当然だとする意識が浸透しています。
ドイツの首相、大統領、外務大臣にとって、アウシュビッツ収容所の跡やエルサレムのホロコースト博物館に(ヤド、ヴァシェム)を訪れて毎回、犠牲者に追悼の意を表し、謝罪の言葉を述べることは、常識となっています。
日本は経済的には1950年〜1953年に朝鮮戦争と1960年〜1975年のベトナム戦争により日本は戦争特需で経済復興した。アメリカからアジアへ戦争物資を戦地に輸送することはできなかった。と同時に低開発国のアジアの、かつての侵略国との貿易を進める必要がなく被害国と和解する必要がなかった。
日本はアメリカの共産主義との対決との対決と戦争特需の恩恵をうけアメリカの傘の下
戦争犯罪を反省することがなく経済成長し先進国の仲間入りをした。金は儲けたが意識は戦前戦中と変わらず幼稚なまま成長し今日に至った。
1972年の田中角栄の「日本列島改造論」で土建国家となり道路や箱物ばかりを作って借金ばかりして1992年のバブル経済まで経済成長が続いたがバブルの崩壊から脱却できず天文学的国債を抱え現在に至っている。
1991年1月宮沢首相の訪韓した際「日本は過去において、我が国が中国や韓国を含むアジアの国々に多大の苦痛と損害を与えたことを深く反省し、そのようなことを二度と繰り返してしてはならないとの反省に立って、平和国家としての道を歩んできた。」従軍慰安婦問題については「非常に心の痛むこと」と謝罪したが同年3月21日参議院の予算委員会では国と国との関連においては解決済み個人との関係ついては訴訟の行方を見守ってまいりたい」と答弁した。
戦後40年近く経過して初めて謝罪の言葉が発せられたのでした。そこから現在まで25年しか経っていないのです。又、訴訟の行方を「見守りたい」というのは単に被害者が高齢化して死ぬのを待っているだけなのです。
日中国交回復時に日本国は過去において、日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を感じ、深く反省する」という文言が共同宣言に入りました。
実に戦後27年目1972年に日本は「深く反省する」という言葉を発したのでした。
サンフランシスコ講和条約も日韓条約でも日本は「反省する」と発したことはなかったのです。
評論家もずっと前から謝っているのにいつまで謝るんだ。と言っていますが政治家の謝罪は1993年の細川内閣「私は前の戦争は侵略戦争であったと思う」発言から「そして村山内閣の謝罪となるわけですが謝罪はしたものの村山内閣では「慰安婦に対して個人補償は出来ない」と補償は拒み「従軍慰安婦は国際法違反ではない」と妄言発言をする始末でした。
「これはユダヤ人たちがナチスに対して蜂起し、多くの市民が殺害された事件を記憶するために作られた慰霊碑です」。
といって慰霊碑に花を捧げた後、ひざまづきました。この映像は全世界をかけめぐりました。
1989年にボンでブラント元首相が歴史認識について日本のジャーナリストのインタビューに答えて
「自分の国の過去について、批判的にとらえれば、とらえるほど周りの国々と友好関係を深めることができる。若い人々にも責任を負わせなければ、ならないが彼らも歴史の流れから抜け出す事はできないのだから、ドイツの歴史の暗い部分についても学ばなくてはならない。」と言いました
ドイツでは過去を心に刻み、被害者に謝罪することが国是であり、外交政策の根幹であるとし 過去の時代の誇りに思う出来事や偉大な人物を誇りに思うのであれば、負の遺産もその子孫が受け継ぎ責任を負うのは当然だとする意識が浸透しています。
ドイツの首相、大統領、外務大臣にとって、アウシュビッツ収容所の跡やエルサレムのホロコースト博物館に(ヤド、ヴァシェム)を訪れて毎回、犠牲者に追悼の意を表し、謝罪の言葉を述べることは、常識となっています。
日本は経済的には1950年〜1953年に朝鮮戦争と1960年〜1975年のベトナム戦争により日本は戦争特需で経済復興した。アメリカからアジアへ戦争物資を戦地に輸送することはできなかった。と同時に低開発国のアジアの、かつての侵略国との貿易を進める必要がなく被害国と和解する必要がなかった。
日本はアメリカの共産主義との対決との対決と戦争特需の恩恵をうけアメリカの傘の下
戦争犯罪を反省することがなく経済成長し先進国の仲間入りをした。金は儲けたが意識は戦前戦中と変わらず幼稚なまま成長し今日に至った。
1972年の田中角栄の「日本列島改造論」で土建国家となり道路や箱物ばかりを作って借金ばかりして1992年のバブル経済まで経済成長が続いたがバブルの崩壊から脱却できず天文学的国債を抱え現在に至っている。
1991年1月宮沢首相の訪韓した際「日本は過去において、我が国が中国や韓国を含むアジアの国々に多大の苦痛と損害を与えたことを深く反省し、そのようなことを二度と繰り返してしてはならないとの反省に立って、平和国家としての道を歩んできた。」従軍慰安婦問題については「非常に心の痛むこと」と謝罪したが同年3月21日参議院の予算委員会では国と国との関連においては解決済み個人との関係ついては訴訟の行方を見守ってまいりたい」と答弁した。
戦後40年近く経過して初めて謝罪の言葉が発せられたのでした。そこから現在まで25年しか経っていないのです。又、訴訟の行方を「見守りたい」というのは単に被害者が高齢化して死ぬのを待っているだけなのです。
日中国交回復時に日本国は過去において、日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を感じ、深く反省する」という文言が共同宣言に入りました。
実に戦後27年目1972年に日本は「深く反省する」という言葉を発したのでした。
サンフランシスコ講和条約も日韓条約でも日本は「反省する」と発したことはなかったのです。
評論家もずっと前から謝っているのにいつまで謝るんだ。と言っていますが政治家の謝罪は1993年の細川内閣「私は前の戦争は侵略戦争であったと思う」発言から「そして村山内閣の謝罪となるわけですが謝罪はしたものの村山内閣では「慰安婦に対して個人補償は出来ない」と補償は拒み「従軍慰安婦は国際法違反ではない」と妄言発言をする始末でした。
これは メッセージ 15 (chattppy2001 さん)への返信です.
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