捕鯨とクジラ保護

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クジラを最も殺戮した国はJABAN

投稿者: discover_300 投稿日時: 2008/02/20 22:48 投稿番号: [7713 / 63339]
低能餓鬼moi66chet88 No.7220 >捕鯨の歴史は人類史上B.C2200年にさかのぼる。

食ってたのは死んだクジラ、座礁したクジラだ、低能君。

>アメリカは鯨油をとるだけの目的で膨大な数の鯨を捕獲していた。

J-CASTニュース編集部 2008/2/14 12:55
日本ではイルカを食べている地方もあるため、ご指摘の通り該当箇所を削除しました。

Rebellion 2008/2/14 22:17
「日本人はイルカは食べないだろ」云々の行が削除されてますね。反・反捕鯨の人たちの無知を示す良い例だったのですが。


’86の捕鯨モラトリアム後、日本の一部の悪党漁民は、毎年、2万頭近くのイルカを虐殺してきた。
このイルカの肉の多くををクジラと(偽装)して市場で売る為に。

そして今日まで世界中でクジラを最も殺戮した国は日本であることを知っている
日本人やクジラミ餓鬼がどれだけいるだろうか。

クジラを最も殺戮した国はどこか
投稿者: discover_100 2002/ 8/18 3:54
メッセージ: 8612 / 8613


江戸時代から続く沿岸捕鯨の町として有名な太地では、"突取式"から"網取式"への漁法の転換がなされましたが、これは捕獲量の減少を補うための技術革新だったのではないかとの見方もあります。
当時から主産物とみなされていたのは鯨油(灯火用及び水田のイナゴ防除用)の方で、鯨肉は獣肉に似ているとして忌避されていました。
戦   前
明治に入ると、山口県出身の企業家岡十郎氏がノルウェー式の捕鯨技術を導入し、近代捕鯨の幕が開かれます。
欧米諸国が生産量調整のために結んでいた国際協定にも参加せず、北洋・南氷洋への進出を果たし、捕獲量も急激に膨れ上がりました。この時期の捕鯨業は鯨油をヨーロッパに輸出して外貨を稼ぐことを主な目的としていました。とりわけ南氷洋捕鯨は沿岸捕鯨との兼ね合いもあり、鯨肉は持ち帰ることなくほとんど海に廃棄していました。海外に市場を求めた鯨油に対し、鯨肉の方は国内でも需要がなくダブツキ気味だったため、軍需に活路が見出されることになります。
戦   後
他の肉類よりも安価であるにもかかわらず臭味のために敬遠された鯨肉は、'50年代初頭には早くも供給過多となります。膨大な在庫に頭を抱えた捕鯨業界は、販売促進のためのキャンペーンを張ったり、設備に資本を投下して加工食品の形で需要開拓を図ろうとしました。また、軍隊に代わる大口の需要先として自衛隊や学校給食、さらに動物園などの飼料用途に活路を求めたのです。戦後においても、食糧難時代の一時期を除けば、捕鯨産業にとって生産の主力となったのは輸出用の鯨油で、鯨肉は市況の不安定な鯨油の穴埋め的な役割を担っていました。その後、過剰生産と鯨肉に代わる安価な油脂類の登場によって、鯨油の価格は下降の一途をたどり、捕鯨業界は生産の比重を鯨油から鯨肉に否応なく移さざるを得なくなりました。
他国の母船を捕獲枠付で買い取り、条約未加盟国からの輸入や海外基地に陸揚げして第三国経由の輸入の形をとるなどして規制逃れの策に奔走したのです。結果として、企業間競争によってオリンピックにも例えられた南極海での乱獲の総仕上げを果たし、鯨類資源の枯渇に大きな責任を負うことになったのです。

捕鯨産業にとっては、自衛隊や刑務所などとともに、行政府調達による大量の安定需要が見込める重要な得意先でした。'73年頃の推定では国内の鯨肉生産量の12%に当たる15,000tが給食用に回されたとみられます。これが、戦後世代が鯨肉の竜田揚げなどに郷愁を感じ"させられる"所以です。
http://www.kkneko.com/rekishi.htm

>自分以外の他種の動植物を栄養として食べなければ生きていかれない存在であることを考えたことはないのだろうか。

人類は未だに人造食物も作れない未開人というだけのことだ。
所詮、果実は動物に食って貰うために甘いことも知らぬバカ餓鬼。
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