多くの人が残酷と感じること、は残酷である
投稿者: discover_300 投稿日時: 2008/07/05 01:28 投稿番号: [34718 / 63339]
狂気の論理>人を食べる習慣はいろいろな部族であったと思うし、それがイカンという論理も純粋医学的な話を抜きにすればはなはだ弱いと思いますが、、、
この様に、狂人は物事を一面からしか見れなくなる。
何故、現在その種の部族が公然とは一つも存在しないかという面から見てごらん。
君にそれが可能なら、甚だ強い論理であることが分かるだろう。
ある部族では平然と人殺しも、ホロコーストも、拷問も、奴隷制、人種差別も、
過去に習慣的に行われていたからといって、それらが許容される理由には全くならん。
寧ろ、その逆なのだ。
宅間や松本のような狂人の感性は、人間(常人)の感性には含めない。だから異常者というのだ。
同様に、これらは野蛮人(畜生)の慣習として区別され文明社会には受け入れられないのだ。
もし現代人が野蛮人の振る舞いをしたり、それを支持すれば狂人と言って異常人格者となる。
例えば、使役牛馬などを酷く鞭打つことは少し前までは誰も気にも留めなかったが
現在、そういうことをすれば人格異常者と看做されるだろうし、事実そうだろう。
何れクジラを食う奴もそうなることだろうし、実際、右翼等の人格破綻者が多い。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835563&tid=a5afa58a5ildbja4ka4da4a 4a4f&sid=1835563&action=m&mid=6446&mid=
基本的にイルカの知能が高いことを知らないことが第一の無知。
小さい頃から食ってるものは正しいと思うのは第二の無知。
反対している国の人々の感情を共有できないのが第三の無知。
「多くの人々が残酷だと感じること」は残酷である。
但し、逆は成り立たない。則ち、「残酷なことなら」、多くの人々が感じているとは限らない。
それは、我々の感覚は習慣によって麻痺するようにできているからだ。
一々、残酷に感じていたら、日常作業に支障を来す。
人はその状況に置かれると、広島の悲惨な状況も、アウシュビッツの死骸の山も
直ぐに何も感じなくなるという。医学生、検死官に課されている死体の解剖もそうである。
例えば、ベジタリアンから見れば、肉食自体が残酷に感じられるだろう。
しかし、現代人の多くはそれを残酷だとは感じない。
だが、将来多くの人々がそれを残酷だと感じるようになることは十分考えられる。
かつて、牛馬を鞭打つのを見ても、誰も何も感じない時代があった。
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