Re: 二人で喜べば喜びは2倍、二人で悲しめ
投稿者: discover_300 投稿日時: 2008/06/14 01:01 投稿番号: [31727 / 63339]
>>君は共感とは共感したという妄想に過ぎないとメタ言語で書いてある。
nyonyonyo2002 No.31668>共感とは、相手の考えを推測して決め付ける行為だと書いた。
妄想というのは実体が無いのであって、共感は存在しないと言ってるということが
分からないかね?
妄想や錯覚というのは存在しないものを存在してるかのように思うことで
そこに存在していない。
アナロジーで言えば、「君が友達だと思ってるのは妄想である」と言った場合
君に友達が存在していないことを意味することは分かるだろう。
>>つまり、辞書に書かれている共感は現実に存在しないとしている。
>別に辞書に書かれている共感を否定していない。
満足はすべて自己満足(妄想)であると言った場合、満足を否定してることになる。
>>自己中で勝手な思い込みが強いが、これも疎外者の特徴だろうね。
>>家で飼ってた犬や猫は何十年も前に死んでしまっている。
>>しかも、これらは、ペットとして飼われていたものでもないんだよ。
>『物心ついた頃から、犬も猫も家にいたから、俄かの君らより交流が深い。』と書いてあったから、ペットとして飼っていたものだと勘違いした。申し訳ない。
ただ、物心ついた頃に君の家にいたイヌやネコもペットではないのか?
また、ペットではないイヌとして介助犬などいくつかイメージできるが、ペットではないネコといわれてもとんと想像がつかない。
差し支えなければ、ペットではなく、どんな目的で飼われていたのか教えていただきたい。
4〜50年前までは、ペットとして犬猫を飼ってる家は一軒も無かったのだよ。
猫はネズミ捕り(名人だった)、犬は牽引犬として貰われてきたものだが
癲癇持ちだったので、以後は番犬(そのせいで泥棒に入られたことは無かった)。
>ところで、
小生も物心ついた頃から、イヌやネコ、コリドラスやグラミー、陸ガメなど動物に囲まれて育ち、数十年経過した現在も、アクアリウムこそ無いもののイヌやネコやカメに囲まれて生活している。一般に交流の深さは交流していた時間に比例するとは限らないが、それなりに深い交流をしていたという自負はある。
『君らより交流が深い』
という発言も君の自己中で勝手な思い込みの産物だと思うが、いかが?
動物と交流があればペットとして飼うことは少ないと推定したのだが。
動物の気持ちが分かればペットとして飼えないだろうとね。
>>君は少ない読書量でトンデモ本ばかり選んで読んでるようだが、先ず、古典的な名著から
>>例えば、「ソロモンの指環」を読めば、君には犬・猫を飼う資格が無かったことが分かるだろう。
>ソロモンの指輪は、シェーンブルンのくだりを読めば分かるということだろうか?さすがにローレンツ氏のような飼い方は小生にはできないな。まずもって、そこまで嫁に理解が得られるとは思わない。
ちなみに、その本にはハイイロガンですら「知能の発達した動物」として紹介してあるのだが。
君は、この本を読んだ後もペットを飼ったのかね?
素人が飼ってよいペットが書かれているだろう。
>>犬が共感できると思ってる動物学者などいない。
>>チンパンジーも共感できないと主張する学者もいる。
>イヌに知能行動が見られると主張する動物学者はいる。
知能は十分高いよ、無いのは共感能力だよ。
>>君は人間も共感できないと言ってる癖に、整合性が無い支離滅裂な妄想と言える。
>共感できないとどこに書いたか示してもらいたい。
前述した通り、論理的にAが妄想とはAが無いことを意味する。
>>人間のネオテニーというのは知的好奇心のことだよ、低脳君。
>ヒトは、進化のどこかの過程でネオテニーが生じ脳の発達が遅くなったと考えられる。それによって精神的な幼さ(何に対しても興味を持ちやすいという性質)が維持されやすくなったと考えられる…
>このように書かれたら小生も納得する。
同じことを意味すると考えてよいのだろうか?
ホルモンだろう。つまり好奇心の原動力となる脳内ホルモンが
死ぬまで出続けるように遺伝子のロックが外れた。これは、何かを犠牲にしている。
温泉に入る猿は、若い猿が最初に始める。芋を洗って食った猿もそうだ。
つまり、知的好奇心(冒険と言えば分かり易い)は
野生では危険性が高過ぎるということで
あるところから学習メリットよりデメリットが大きくなる。
人間の子供が賢くなるのも、これを参考にできるだろう。
愛情が欠落した子供、過保護の子供は、情緒不安が強く、集中力が乏しい。
従って、孤独に弱く、知能も発達しない。
nyonyonyo2002 No.31668>共感とは、相手の考えを推測して決め付ける行為だと書いた。
妄想というのは実体が無いのであって、共感は存在しないと言ってるということが
分からないかね?
妄想や錯覚というのは存在しないものを存在してるかのように思うことで
そこに存在していない。
アナロジーで言えば、「君が友達だと思ってるのは妄想である」と言った場合
君に友達が存在していないことを意味することは分かるだろう。
>>つまり、辞書に書かれている共感は現実に存在しないとしている。
>別に辞書に書かれている共感を否定していない。
満足はすべて自己満足(妄想)であると言った場合、満足を否定してることになる。
>>自己中で勝手な思い込みが強いが、これも疎外者の特徴だろうね。
>>家で飼ってた犬や猫は何十年も前に死んでしまっている。
>>しかも、これらは、ペットとして飼われていたものでもないんだよ。
>『物心ついた頃から、犬も猫も家にいたから、俄かの君らより交流が深い。』と書いてあったから、ペットとして飼っていたものだと勘違いした。申し訳ない。
ただ、物心ついた頃に君の家にいたイヌやネコもペットではないのか?
また、ペットではないイヌとして介助犬などいくつかイメージできるが、ペットではないネコといわれてもとんと想像がつかない。
差し支えなければ、ペットではなく、どんな目的で飼われていたのか教えていただきたい。
4〜50年前までは、ペットとして犬猫を飼ってる家は一軒も無かったのだよ。
猫はネズミ捕り(名人だった)、犬は牽引犬として貰われてきたものだが
癲癇持ちだったので、以後は番犬(そのせいで泥棒に入られたことは無かった)。
>ところで、
小生も物心ついた頃から、イヌやネコ、コリドラスやグラミー、陸ガメなど動物に囲まれて育ち、数十年経過した現在も、アクアリウムこそ無いもののイヌやネコやカメに囲まれて生活している。一般に交流の深さは交流していた時間に比例するとは限らないが、それなりに深い交流をしていたという自負はある。
『君らより交流が深い』
という発言も君の自己中で勝手な思い込みの産物だと思うが、いかが?
動物と交流があればペットとして飼うことは少ないと推定したのだが。
動物の気持ちが分かればペットとして飼えないだろうとね。
>>君は少ない読書量でトンデモ本ばかり選んで読んでるようだが、先ず、古典的な名著から
>>例えば、「ソロモンの指環」を読めば、君には犬・猫を飼う資格が無かったことが分かるだろう。
>ソロモンの指輪は、シェーンブルンのくだりを読めば分かるということだろうか?さすがにローレンツ氏のような飼い方は小生にはできないな。まずもって、そこまで嫁に理解が得られるとは思わない。
ちなみに、その本にはハイイロガンですら「知能の発達した動物」として紹介してあるのだが。
君は、この本を読んだ後もペットを飼ったのかね?
素人が飼ってよいペットが書かれているだろう。
>>犬が共感できると思ってる動物学者などいない。
>>チンパンジーも共感できないと主張する学者もいる。
>イヌに知能行動が見られると主張する動物学者はいる。
知能は十分高いよ、無いのは共感能力だよ。
>>君は人間も共感できないと言ってる癖に、整合性が無い支離滅裂な妄想と言える。
>共感できないとどこに書いたか示してもらいたい。
前述した通り、論理的にAが妄想とはAが無いことを意味する。
>>人間のネオテニーというのは知的好奇心のことだよ、低脳君。
>ヒトは、進化のどこかの過程でネオテニーが生じ脳の発達が遅くなったと考えられる。それによって精神的な幼さ(何に対しても興味を持ちやすいという性質)が維持されやすくなったと考えられる…
>このように書かれたら小生も納得する。
同じことを意味すると考えてよいのだろうか?
ホルモンだろう。つまり好奇心の原動力となる脳内ホルモンが
死ぬまで出続けるように遺伝子のロックが外れた。これは、何かを犠牲にしている。
温泉に入る猿は、若い猿が最初に始める。芋を洗って食った猿もそうだ。
つまり、知的好奇心(冒険と言えば分かり易い)は
野生では危険性が高過ぎるということで
あるところから学習メリットよりデメリットが大きくなる。
人間の子供が賢くなるのも、これを参考にできるだろう。
愛情が欠落した子供、過保護の子供は、情緒不安が強く、集中力が乏しい。
従って、孤独に弱く、知能も発達しない。
これは メッセージ 31668 (nyonyonyo2002 さん)への返信です.
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