いつからヒトは人間になったか
投稿者: discover_300 投稿日時: 2008/06/13 01:44 投稿番号: [31615 / 63339]
投稿者: discover_100 2003/ 1/29
メッセージ: 10997
猿や豚には善悪は無い。人間の倫理は猿にも豚にも求められない。
罪悪はそれを悪と認識している必要がある。
動物に罪が無いことが了解できれば、狂人を罰することができないことが納得できるだろう。
進化論から言えば、物理的、生物学的に猿と人間は連続的なものだ。
ここから猿と人間が同類だとすれば倫理には普遍性が無くなる。
狂人と常人が同類だとすれば善悪に普遍性が無くなるのと同じである。
ここに倫理が猿と人間、狂人と常人を分ける基準であることが示されている。
いつの時点で猿は人間になったのだろうか。
これはビッグバンのようなもので、倫理は突然発生したのである。
しかし、それを支配する法則は一つ「調和」である。これを自然の摂理という。
記憶の奥に埋もれてしまっているが、実は、我々の多くはこの擬似体験をしている筈だ。
或る日突然、我々は、自己の存在を客観的に意識するようになる。
自分がそこに存在してることが第三者として観察され奇妙な感じがするのである。
これを「自我の目覚め」という。倫理観とはこれと似たもので関係が深い。
基本的に子供の悪事に刑罰(罪)を課さない理由はそこにある。
それでは、何故猿に必要が無かった倫理が人間には必要になったのか。
それにはこう答えることができる。
人間の強欲さ(=邪悪さ)を食い止める必要性が倫理を生んだのだと。
a0202 動物は喧嘩はしても戦争はしない。喧嘩をしてもほとんどの場合、殺すまでは至らない。
将来を憂うことはない。死ぬことを恐れない。
病気になってもくよくよしない。将来を悲観しない。自殺などしない。
だがそれは夢も希望も持たないことの引き換えとしてである。
a0203 一方、人の欲望には限りがない。どんなに貯えがあっても満足せず不安である。
(小)金持ちほど吝嗇で強欲である。
この「果てしない欲望」は「他者の心への同期」と相補的に与えられたものだ。
a0204 この同情心を失うなら、或いはそれを遮断(思考停止)するなら、
人は畜生にも劣る餓鬼と化す。
これが、人間ほど残酷な動物はいないという意味である。
反面、人間ほど優しい動物もいないとも言えるのである。
強欲さに対抗する同情心、思いやりの心を守るには、
決して「残酷さ」に鈍感になってはならないのである。
a0199 人間以外の生物には善悪はないし同情心もない。
従って、生物同士何を食おうが許される。善悪は人間だけの生きる規範である。
畜生は何を食ってもいいが人権はないのだ。
畜生と精神が同等のクジラ殺しに人権を与えるのは本来間違いで危険あるが
技術的に人類には区別できないので止む得ない。
a0200 自然界は、植物は動物の為に草食動物は肉食動物の為に存在するように決めた。
ヒト(猿類)は元来が葉食である。
肉食の傾向が強いヒヒやヒトが兇暴になった訳である。
バイキングや遊牧民が残酷なのは日本人にもよく知られている通り。
a0201 人は他の動物のように完全には即物的に生きられない。
人は自己を客体化する能力が「悲しみ、楽しみ」「同情・共感、残酷」
「強欲、節度」「夢、希望、失意」を生んだ。
メッセージ: 10997
猿や豚には善悪は無い。人間の倫理は猿にも豚にも求められない。
罪悪はそれを悪と認識している必要がある。
動物に罪が無いことが了解できれば、狂人を罰することができないことが納得できるだろう。
進化論から言えば、物理的、生物学的に猿と人間は連続的なものだ。
ここから猿と人間が同類だとすれば倫理には普遍性が無くなる。
狂人と常人が同類だとすれば善悪に普遍性が無くなるのと同じである。
ここに倫理が猿と人間、狂人と常人を分ける基準であることが示されている。
いつの時点で猿は人間になったのだろうか。
これはビッグバンのようなもので、倫理は突然発生したのである。
しかし、それを支配する法則は一つ「調和」である。これを自然の摂理という。
記憶の奥に埋もれてしまっているが、実は、我々の多くはこの擬似体験をしている筈だ。
或る日突然、我々は、自己の存在を客観的に意識するようになる。
自分がそこに存在してることが第三者として観察され奇妙な感じがするのである。
これを「自我の目覚め」という。倫理観とはこれと似たもので関係が深い。
基本的に子供の悪事に刑罰(罪)を課さない理由はそこにある。
それでは、何故猿に必要が無かった倫理が人間には必要になったのか。
それにはこう答えることができる。
人間の強欲さ(=邪悪さ)を食い止める必要性が倫理を生んだのだと。
a0202 動物は喧嘩はしても戦争はしない。喧嘩をしてもほとんどの場合、殺すまでは至らない。
将来を憂うことはない。死ぬことを恐れない。
病気になってもくよくよしない。将来を悲観しない。自殺などしない。
だがそれは夢も希望も持たないことの引き換えとしてである。
a0203 一方、人の欲望には限りがない。どんなに貯えがあっても満足せず不安である。
(小)金持ちほど吝嗇で強欲である。
この「果てしない欲望」は「他者の心への同期」と相補的に与えられたものだ。
a0204 この同情心を失うなら、或いはそれを遮断(思考停止)するなら、
人は畜生にも劣る餓鬼と化す。
これが、人間ほど残酷な動物はいないという意味である。
反面、人間ほど優しい動物もいないとも言えるのである。
強欲さに対抗する同情心、思いやりの心を守るには、
決して「残酷さ」に鈍感になってはならないのである。
a0199 人間以外の生物には善悪はないし同情心もない。
従って、生物同士何を食おうが許される。善悪は人間だけの生きる規範である。
畜生は何を食ってもいいが人権はないのだ。
畜生と精神が同等のクジラ殺しに人権を与えるのは本来間違いで危険あるが
技術的に人類には区別できないので止む得ない。
a0200 自然界は、植物は動物の為に草食動物は肉食動物の為に存在するように決めた。
ヒト(猿類)は元来が葉食である。
肉食の傾向が強いヒヒやヒトが兇暴になった訳である。
バイキングや遊牧民が残酷なのは日本人にもよく知られている通り。
a0201 人は他の動物のように完全には即物的に生きられない。
人は自己を客体化する能力が「悲しみ、楽しみ」「同情・共感、残酷」
「強欲、節度」「夢、希望、失意」を生んだ。
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