Re: 二人で喜べば喜びは2倍、二人で悲しめ
投稿者: nyonyonyo2002 投稿日時: 2008/06/07 09:18 投稿番号: [30759 / 63339]
>>小生の定義はすでに示してある。
それは何処にあるのだね、妄想君?
29412にて、
『小生は、「相手の心を完全に理解することはできない」ということと「共感とは相手の気持ちを推測し、こう考えているに違いないと決め付ける行為」だと言っている。』
ちなみに、君の投稿30289にて、この一文は引用されている。
>これかい?”完全な同一感覚を共有すること”
上記に示した定義で小生は考えているので、以後、勘違いなさらぬよう。
>答えてみなさい。答えたら分かると言ってるだろう。
28969の例を再掲さていただこう。
私は甘納豆が苦手である。しかし、私の伴侶は甘納豆が好きである。そして、美味しそうにニコニコと甘納豆を食べる彼女を見ていると幸せな気分になる。
このときの小生の行為は、
1、彼女の心を完全に理解できていない
2、完全に理解できないが、小生自身の好物を食べたときと同様の気持ちになっているのだろうと推測し、決め付けている。
というわけで、小生の示した前提と矛盾しないと考える。
>>本能行動でしかないという議論も多く聞くが?
>それはどこの専門家の意見かね、妄想君?
クジラ目の赤ちゃんは泳ぎがまだ下手なので、うまく水面に上がり呼吸することができない。
そのため、母親は子どもを水面に押し上げ呼吸の手助けをする行動が見られる。
いくつかの実験によって、水面付近にある物体であればイルカの模型であっても、ただのラグビーボール状の物体であっても同様の行動が見られることから本能行動だと考えられている。
さらに、ベトナムで少年を救った話や、クジラが漁船を押し上げた話などが有名なのでググって見てはどうか。
さらに、村山 司さんの本などでも紹介されているので、まずはご一読を。
>それでは君は他人の苦痛の確認ができないだろう。
>確認できないから存在しない?
これが二分法というものだよ。
小生の考えでは、『他人の苦痛を完全に理解できない』であり、『確認できないわけではない』。
小生の伴侶が生理痛できついと言っても、その痛みを完全に理解できない。
完全に理解できないが辛そうにしているのは分かるので、小生が夕飯を作ると言い台所に入ると、動けないほどではないと言われ問答になったことがある。
机上の空論で遊ぶのもいいが、少しは現実を見ていただきたいものだ。
ちなみに夕飯は、結局二人で作ることになった。
>ヒトも”ある”と証明できんのだろう。
ああ、これは小生の言葉が足りなかったようだ。
ヒトについては、『相手の気持ちを推測し、こう考えているに違いないと決め付ける行為』がみられるので存在すると考える。言葉による明確な伝達手段があるため確認できることだ。
>だから、植物に苦痛が無いと証明できないという訳だな、低脳君?
まず、苦痛の定義を明らかにしようか。受容器が刺激を受け取ることと考えることもできるし、脳によって情報が処理された結果の痛みと考えることもできる。それとも、体の一部が損傷を被った情報を何らかの形で伝達する仕組みがあれば痛みを感じていると考えるか。
その苦痛の定義によってはあるとも言えるし、無いとも言える。
>この世に100%確実なことは無い。
アインシュタインもこれを皮肉った言葉を残していたね。
この一文に関してはもろ手を挙げて同意する。
>知能を測定することは容易だ。その客観的評価が可能だから知能測定が行われている。
定性的な調査は簡単だろう。
小生が問題としているのは定量的な問題なのだ。
>それならヒトとチンパンジーとのギャップはあるまいが、矛盾君。
ギャップは少ないと考えている。
( ※ギャップが『無い』のではない。『少ない』であることに注意 )
小生はどこかで、共感に関与している神経に目測を立てていると発言したが、ヒトの脳にみられるA系統の神経がサル類の多くに見られない。この神経のドーパミン分泌が正のフィードバックを起こしている可能性が示唆されるなど、感情のうねりとの強い関与が指摘されている。この神経の存在が思考の形態に大きな差異を生じさせていると小生は考えている。
このほかにも、知能行動にかかわる神経系統が存在するであろうし、その神経系統を進化させるごとに知能行動も発達したのではないか。
つまり、脳の解剖学的な見地から知能行動を推測しているわけだ。
>爬虫類と哺乳類にもギャップが存在しないことになる。
なぜそのような結論になるのかが理解できない。
それは何処にあるのだね、妄想君?
29412にて、
『小生は、「相手の心を完全に理解することはできない」ということと「共感とは相手の気持ちを推測し、こう考えているに違いないと決め付ける行為」だと言っている。』
ちなみに、君の投稿30289にて、この一文は引用されている。
>これかい?”完全な同一感覚を共有すること”
上記に示した定義で小生は考えているので、以後、勘違いなさらぬよう。
>答えてみなさい。答えたら分かると言ってるだろう。
28969の例を再掲さていただこう。
私は甘納豆が苦手である。しかし、私の伴侶は甘納豆が好きである。そして、美味しそうにニコニコと甘納豆を食べる彼女を見ていると幸せな気分になる。
このときの小生の行為は、
1、彼女の心を完全に理解できていない
2、完全に理解できないが、小生自身の好物を食べたときと同様の気持ちになっているのだろうと推測し、決め付けている。
というわけで、小生の示した前提と矛盾しないと考える。
>>本能行動でしかないという議論も多く聞くが?
>それはどこの専門家の意見かね、妄想君?
クジラ目の赤ちゃんは泳ぎがまだ下手なので、うまく水面に上がり呼吸することができない。
そのため、母親は子どもを水面に押し上げ呼吸の手助けをする行動が見られる。
いくつかの実験によって、水面付近にある物体であればイルカの模型であっても、ただのラグビーボール状の物体であっても同様の行動が見られることから本能行動だと考えられている。
さらに、ベトナムで少年を救った話や、クジラが漁船を押し上げた話などが有名なのでググって見てはどうか。
さらに、村山 司さんの本などでも紹介されているので、まずはご一読を。
>それでは君は他人の苦痛の確認ができないだろう。
>確認できないから存在しない?
これが二分法というものだよ。
小生の考えでは、『他人の苦痛を完全に理解できない』であり、『確認できないわけではない』。
小生の伴侶が生理痛できついと言っても、その痛みを完全に理解できない。
完全に理解できないが辛そうにしているのは分かるので、小生が夕飯を作ると言い台所に入ると、動けないほどではないと言われ問答になったことがある。
机上の空論で遊ぶのもいいが、少しは現実を見ていただきたいものだ。
ちなみに夕飯は、結局二人で作ることになった。
>ヒトも”ある”と証明できんのだろう。
ああ、これは小生の言葉が足りなかったようだ。
ヒトについては、『相手の気持ちを推測し、こう考えているに違いないと決め付ける行為』がみられるので存在すると考える。言葉による明確な伝達手段があるため確認できることだ。
>だから、植物に苦痛が無いと証明できないという訳だな、低脳君?
まず、苦痛の定義を明らかにしようか。受容器が刺激を受け取ることと考えることもできるし、脳によって情報が処理された結果の痛みと考えることもできる。それとも、体の一部が損傷を被った情報を何らかの形で伝達する仕組みがあれば痛みを感じていると考えるか。
その苦痛の定義によってはあるとも言えるし、無いとも言える。
>この世に100%確実なことは無い。
アインシュタインもこれを皮肉った言葉を残していたね。
この一文に関してはもろ手を挙げて同意する。
>知能を測定することは容易だ。その客観的評価が可能だから知能測定が行われている。
定性的な調査は簡単だろう。
小生が問題としているのは定量的な問題なのだ。
>それならヒトとチンパンジーとのギャップはあるまいが、矛盾君。
ギャップは少ないと考えている。
( ※ギャップが『無い』のではない。『少ない』であることに注意 )
小生はどこかで、共感に関与している神経に目測を立てていると発言したが、ヒトの脳にみられるA系統の神経がサル類の多くに見られない。この神経のドーパミン分泌が正のフィードバックを起こしている可能性が示唆されるなど、感情のうねりとの強い関与が指摘されている。この神経の存在が思考の形態に大きな差異を生じさせていると小生は考えている。
このほかにも、知能行動にかかわる神経系統が存在するであろうし、その神経系統を進化させるごとに知能行動も発達したのではないか。
つまり、脳の解剖学的な見地から知能行動を推測しているわけだ。
>爬虫類と哺乳類にもギャップが存在しないことになる。
なぜそのような結論になるのかが理解できない。
これは メッセージ 30373 (discover_300 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019607/ja7dfa4ha5afa58a5ijdd8n_1/30759.html