Re: 菜食主義への批判に関して(1)
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2008/03/05 01:19 投稿番号: [10295 / 63339]
>ただ、私は鯨を食べません。科学的知見にもとづいて、菜食だけでも栄養学的に生きていけると認識しているからです。
このことについては自分には到底できそうにないという意味に於いて敬服致します。前にも書きましたが,他にそれを強要しない限り、問題は無いと思います。
少し違いますが,江戸時代の日本なんかは,200年以上に渡って,多少の例外を除けば,ほんの少しの哺乳類と,魚類と若干の昆虫類,大部分の主食が植物という、現代でいうところのきわめてベジタリアン的な生活が継続しえたということは,検証面としても,貴方の主張を多少は裏付けるのかもしれませんね?
>人間が原始時代と同じ生活に甘んじるなら、自然保存という立場でもいいのかもしれませんが、人間がこうありたいという理想を持っている限りは、自然に向きあっていかなくてはなりません。その立場は謙虚であるとかという問題ではない気がします。
ちょっと待ってください。
人類はいかなる場合に於いても,歴史上常に「自然に向き合って」生きてきた筈です。特に14〜5世紀頃までの欧米の歴史は,自然との戦いの歴史であったと言っても過言ではありませんよね?「常に自然を克服し,ねじ伏せ,自分たちの住みやすい環境を整える為の大自然との戦いの歴史」・・・これが特に欧米に顕著に見ることのできる人類の歴史でもあるわけですよねえ?
こんなことに原始時代も未来も関係ありません。
今現在,見える欧米のほとんどの風景の中にその戦いの結果が残っているというようなことを和辻哲郎かなんかは書いていたと記憶していますが,しかしこれは、近年多少の異議を唱える人もいるようです。・・・これは良いですか?
最近よく、「自然との共存」という言葉を耳にするようになりましたが,これは決して貴方が書いておられるような「人間が主体となって自然をコントロールする」なんていう無自覚な傲慢さをさらけ出してしまうというようなことではないということもお分かりでしょうか?
貴方の考え方は,何十年か前の欧米人の考え方と全く同じということには賛同しますか?
>これは見識不足による人間の愚行でしたね。
>まあ、人間の知的水準がそのレベルにしかなかったということでしょう。
私は前に不可逆性の問題と書きましたが,傲慢な(おそらくは)科学者がしでかしたこんな愚かな取り返しのつかない行為を,こんな言葉で簡単に片付けて無反省なままで良いんですか?
ここに明らかな取り返しのつかない「自然破壊」が行われているにも関わらず,これを「微細な過去のことだ」と簡単に片付けてしまう人の言葉に信頼が持てるでしょうか?
>そういう意味でも環境学はレベルアップする必要があります
だから,十分にレベルアップしてから初めても遅くはないことはたくさんあるのではないですか?
科学というものは,常にその最先端が新しく,最高のレベルのわけですが,貴方の書き方では,「その最先端のその時点での最高レベルの科学力を使ってもダメだったのだから仕方がない」と書いているのですが,そのことが間違いであるとの自覚はありますか?
>ここで、自然への働きかけで、今のレベルでは成功とされている事例を紹介しましょう。(当然、思わぬところで、不足がでる可能性もありますが)
これはつまり,「不足が出る可能性があっても仕方がない」と書いているわけですよね?
遺伝子組み換え植物もそうですが,この《不妊虫放飼法》というものも,大丈夫なんですか?
たとえば,何らかのホルモン異常がハエのみにとどまらずに,他の種にまで及ばないということとかの保証はあるのでしょうか?
もしくは,全く異常に特化した耐性を持った新しいハエの出現が無いと言い切れるのでしょうか?
また,特定のハエ自体の自然界での存在意味を否定しているわけですが,このことによる自然破壊によって,この後何らかの連鎖が破壊されてしまうことによってその弊害が人間に降り掛かってくるというようなことは無いと言い切れるのでしょうか?
また,放射能照射によって起こる突然変異の可能性についてその大集団が唯一生殖機能の変異のみにとどまらない可能性から,長期的に考えて,人類や自然環境に対して何らかの弊害が考えられないか?・・・素人の私には,それ以上の可能性を思いつくことができませんが,貴方が,「不足の可能性」について言及している点が気にかかります。
このことについては自分には到底できそうにないという意味に於いて敬服致します。前にも書きましたが,他にそれを強要しない限り、問題は無いと思います。
少し違いますが,江戸時代の日本なんかは,200年以上に渡って,多少の例外を除けば,ほんの少しの哺乳類と,魚類と若干の昆虫類,大部分の主食が植物という、現代でいうところのきわめてベジタリアン的な生活が継続しえたということは,検証面としても,貴方の主張を多少は裏付けるのかもしれませんね?
>人間が原始時代と同じ生活に甘んじるなら、自然保存という立場でもいいのかもしれませんが、人間がこうありたいという理想を持っている限りは、自然に向きあっていかなくてはなりません。その立場は謙虚であるとかという問題ではない気がします。
ちょっと待ってください。
人類はいかなる場合に於いても,歴史上常に「自然に向き合って」生きてきた筈です。特に14〜5世紀頃までの欧米の歴史は,自然との戦いの歴史であったと言っても過言ではありませんよね?「常に自然を克服し,ねじ伏せ,自分たちの住みやすい環境を整える為の大自然との戦いの歴史」・・・これが特に欧米に顕著に見ることのできる人類の歴史でもあるわけですよねえ?
こんなことに原始時代も未来も関係ありません。
今現在,見える欧米のほとんどの風景の中にその戦いの結果が残っているというようなことを和辻哲郎かなんかは書いていたと記憶していますが,しかしこれは、近年多少の異議を唱える人もいるようです。・・・これは良いですか?
最近よく、「自然との共存」という言葉を耳にするようになりましたが,これは決して貴方が書いておられるような「人間が主体となって自然をコントロールする」なんていう無自覚な傲慢さをさらけ出してしまうというようなことではないということもお分かりでしょうか?
貴方の考え方は,何十年か前の欧米人の考え方と全く同じということには賛同しますか?
>これは見識不足による人間の愚行でしたね。
>まあ、人間の知的水準がそのレベルにしかなかったということでしょう。
私は前に不可逆性の問題と書きましたが,傲慢な(おそらくは)科学者がしでかしたこんな愚かな取り返しのつかない行為を,こんな言葉で簡単に片付けて無反省なままで良いんですか?
ここに明らかな取り返しのつかない「自然破壊」が行われているにも関わらず,これを「微細な過去のことだ」と簡単に片付けてしまう人の言葉に信頼が持てるでしょうか?
>そういう意味でも環境学はレベルアップする必要があります
だから,十分にレベルアップしてから初めても遅くはないことはたくさんあるのではないですか?
科学というものは,常にその最先端が新しく,最高のレベルのわけですが,貴方の書き方では,「その最先端のその時点での最高レベルの科学力を使ってもダメだったのだから仕方がない」と書いているのですが,そのことが間違いであるとの自覚はありますか?
>ここで、自然への働きかけで、今のレベルでは成功とされている事例を紹介しましょう。(当然、思わぬところで、不足がでる可能性もありますが)
これはつまり,「不足が出る可能性があっても仕方がない」と書いているわけですよね?
遺伝子組み換え植物もそうですが,この《不妊虫放飼法》というものも,大丈夫なんですか?
たとえば,何らかのホルモン異常がハエのみにとどまらずに,他の種にまで及ばないということとかの保証はあるのでしょうか?
もしくは,全く異常に特化した耐性を持った新しいハエの出現が無いと言い切れるのでしょうか?
また,特定のハエ自体の自然界での存在意味を否定しているわけですが,このことによる自然破壊によって,この後何らかの連鎖が破壊されてしまうことによってその弊害が人間に降り掛かってくるというようなことは無いと言い切れるのでしょうか?
また,放射能照射によって起こる突然変異の可能性についてその大集団が唯一生殖機能の変異のみにとどまらない可能性から,長期的に考えて,人類や自然環境に対して何らかの弊害が考えられないか?・・・素人の私には,それ以上の可能性を思いつくことができませんが,貴方が,「不足の可能性」について言及している点が気にかかります。
これは メッセージ 10006 (goethe_j_wolfgang さん)への返信です.
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