『首相 靖国 参拝』に疑義 続き
投稿者: jyonnconner 投稿日時: 2006/07/22 02:18 投稿番号: [94162 / 118550]
◆ 政教分離の原則 ◆
2) 憲法20条3項;「国およびその機関は,いかなる宗教的活動もしてはならない」。
総理大臣は「国家の機関」であって,問題は,いわゆる「私人」としての総理大臣が国家の機関に当たるかどうかである。自然人としての総理大臣は,生活領域においては自由に振るまってよい。
たとえば,友人の葬儀に参列したさい,その宗教の儀式にしたがって,あるていど宗教的な振るまいをするのは,私的な生活領域に属するものである。
しかし,私人だとする説明にもかかわらず靖国参拝という問題は,どうしても,国家のかかわる領域=「公的性格」がはいってくる。靖国参拝という領域にあっては,ふつうの個人的な生活領域の問題とはちがい,私人ならとおるという問題ではない。
1985年8月15日に靖国に参拝したとき中曽根元首相は,こういう三百代言ないいかたを弄した。
「総理大臣たる中曽根」= 私 人
「総理大臣としての中曽根」= 公 人
これは,公用車でいけば公人で,タクシーでいけば私人だ,というすり替えた話と同じである。
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この公人‐私人問題をうやむやにすると,私人としてなら天皇も8月15日に靖国神社に参拝できる。公人‐私人問題は,そういう重要な問題につながる芽をはらんでいる。
最高裁は靖国問題について慎重な判断である。公費支出における愛媛県と靖国神社とのかかわりでは,相当限度を超え,憲法が禁止した宗教活動に当たるとして違憲判決を下している。
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−−筆者は,神社に参拝する行為はすべてりっぱに宗教行為であると観察する。まともなクリスチャンやイスラム教徒は,神社に参拝することなど絶対にしない。逆にみれば,神社の宗教的な本質に関する議論はいったんおくとしても,神道の宗教儀式をとりおこなう場所・施設が神社の境内・建物である。
神社に参拝〔お参り〕し,玉串しを捧げるという行為は,宗教的行為以外のなにものでもない。それなのに,ああだこうだといらぬ理屈を付けては,なんとしてでも靖国神社に,それも8月15日「敗戦記念日」に参拝にいくという。その宗教的行為に関して,私人と公人の差異を強調することは,どだい無意味である。
それでもなお,私人〈対〉公人の区別にこだわって,私人ならば靖国参拝に問題はないとか,あるいは公人として靖国にいって参拝しても宗教行為に当たらないとか理屈を立てるのは,政治・憲法や宗教・信心に関する基礎知識を全面的に欠いた,そして,当初から議論など無用とする乱暴な姿勢である。
靖国神社に参拝するという行為は,神道儀式によった宗教的な教義の具現化を意味する。それでもなお,その行為が〈政教一致に抵触すること〉などではないと強弁し,参拝を当然とする環境をつくろうとしている。
アメリカに派遣されている日本の新聞記者は,小泉首相の靖国参拝を,「ドイツのヒトラーを讃える神社をつくって,首相がそこを訪れるようなもの」とはげしく非難するものもあった,と伝えている(『朝日新聞』2001年8月28日朝刊)。
2) 憲法20条3項;「国およびその機関は,いかなる宗教的活動もしてはならない」。
総理大臣は「国家の機関」であって,問題は,いわゆる「私人」としての総理大臣が国家の機関に当たるかどうかである。自然人としての総理大臣は,生活領域においては自由に振るまってよい。
たとえば,友人の葬儀に参列したさい,その宗教の儀式にしたがって,あるていど宗教的な振るまいをするのは,私的な生活領域に属するものである。
しかし,私人だとする説明にもかかわらず靖国参拝という問題は,どうしても,国家のかかわる領域=「公的性格」がはいってくる。靖国参拝という領域にあっては,ふつうの個人的な生活領域の問題とはちがい,私人ならとおるという問題ではない。
1985年8月15日に靖国に参拝したとき中曽根元首相は,こういう三百代言ないいかたを弄した。
「総理大臣たる中曽根」= 私 人
「総理大臣としての中曽根」= 公 人
これは,公用車でいけば公人で,タクシーでいけば私人だ,というすり替えた話と同じである。
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この公人‐私人問題をうやむやにすると,私人としてなら天皇も8月15日に靖国神社に参拝できる。公人‐私人問題は,そういう重要な問題につながる芽をはらんでいる。
最高裁は靖国問題について慎重な判断である。公費支出における愛媛県と靖国神社とのかかわりでは,相当限度を超え,憲法が禁止した宗教活動に当たるとして違憲判決を下している。
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−−筆者は,神社に参拝する行為はすべてりっぱに宗教行為であると観察する。まともなクリスチャンやイスラム教徒は,神社に参拝することなど絶対にしない。逆にみれば,神社の宗教的な本質に関する議論はいったんおくとしても,神道の宗教儀式をとりおこなう場所・施設が神社の境内・建物である。
神社に参拝〔お参り〕し,玉串しを捧げるという行為は,宗教的行為以外のなにものでもない。それなのに,ああだこうだといらぬ理屈を付けては,なんとしてでも靖国神社に,それも8月15日「敗戦記念日」に参拝にいくという。その宗教的行為に関して,私人と公人の差異を強調することは,どだい無意味である。
それでもなお,私人〈対〉公人の区別にこだわって,私人ならば靖国参拝に問題はないとか,あるいは公人として靖国にいって参拝しても宗教行為に当たらないとか理屈を立てるのは,政治・憲法や宗教・信心に関する基礎知識を全面的に欠いた,そして,当初から議論など無用とする乱暴な姿勢である。
靖国神社に参拝するという行為は,神道儀式によった宗教的な教義の具現化を意味する。それでもなお,その行為が〈政教一致に抵触すること〉などではないと強弁し,参拝を当然とする環境をつくろうとしている。
アメリカに派遣されている日本の新聞記者は,小泉首相の靖国参拝を,「ドイツのヒトラーを讃える神社をつくって,首相がそこを訪れるようなもの」とはげしく非難するものもあった,と伝えている(『朝日新聞』2001年8月28日朝刊)。
これは メッセージ 94161 (jyonnconner さん)への返信です.
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