奥平康弘稿 『首相 靖国 参拝』に疑義あり
投稿者: jyonnconner 投稿日時: 2006/07/22 02:17 投稿番号: [94161 / 118550]
(奥平康弘:憲法学者,東大名誉教授)
http://www13.plala.or.jp/bae/okudaira.html
◆ 憲法論の欠落 ◆
1) 総理大臣の靖国参拝は,政治的問題というよりもむしろ,すぐれて憲法的問題である。問題は,国家が個人の内面にどこまでかかわるか,国家が振るまうべき限界をどう考えるか,である。
国家と靖国神社は歴史的に,並々ならぬ関係をもっていた。靖国神社は戦前日本の象徴的存在であり,靖国参拝というのは,その過去の国家のありようをどう考えるか,国家として日本の戦争責任をどう考えるか,などの問題にも関係する。
小泉首相は「なにがなんでも靖国にいく」「公人も私人もない」といい,自民党総裁選では「8月15日にはいかなる批判があろうと必らず参拝する」,とまでいいきった。
以上のような姿勢には〈憲法論〉がまったく踏まえられていない。憲法論が克服されねばならない。つまり,靖国参拝が違憲,あるいは違憲の疑いがあるかどうかを,みきわめなければならない。
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「聖域なき構造改革」を謳い文句にした小泉首相であるが,国家と個人の関係,国家と靖国神社の関係といった,すぐれてイデオロギー的な問題については,戦前的なものの考えかたを「聖域」として温存,維持している。
もし,違憲であっても靖国参拝を断行し,あえて政治的争点を提起することも,別問題としてありうる。しかし,およそ総理大臣たる者が,「私は私人だから,憲法の問題とは関係ない」といえるか。
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−−筆者は,日本国首相小泉純一郎の靖国参拝に関する発言を聞いてまず感じた点は,この人はものを考えていない,とくに靖国問題については,過去の由来やその歴史的な展開に関する知識や事情を,最低限すらもっていないということである。
近隣諸国とのあいだでは,いままでなにかと紛糾する材料を提供してきた,日本の政治家による「靖国参拝」の問題である。「靖国に参拝にいく」と事前に確言するくらいなら,日本の政治家としてまえもって,それ相応の学習〔覚悟!〕が必要であった。
だが,ごく単純素朴で原始的な宗教心の発露にしかうけとれなかった一国首相による靖国参拝意向の表明およびその実行は,アジア諸国,とりわけ一番近い国々である韓国〔北朝鮮〕と中国から猛烈な反発をくらい,きびしい批判もうけている。
19世紀末葉から20世紀前半の東アジアの歴史展開に触れるまでもなく,わけても,太平洋戦争〔日本がわは大東亜戦争といった〕時代,そして,敗戦後の関連する事情がどのような経緯をたどってきたのか,すこしは勉強すべきであった。
靖国神社をみる海外の眼は,〈戦争神社:war(military)shrine〉である。
澤地久枝〔ノンフィクション作家〕は,靖国神社を,戦意高揚の役割をになう一種の軍神(いくさがみ)大量生産工場のようなものだった,と表現する。
http://www13.plala.or.jp/bae/okudaira.html
◆ 憲法論の欠落 ◆
1) 総理大臣の靖国参拝は,政治的問題というよりもむしろ,すぐれて憲法的問題である。問題は,国家が個人の内面にどこまでかかわるか,国家が振るまうべき限界をどう考えるか,である。
国家と靖国神社は歴史的に,並々ならぬ関係をもっていた。靖国神社は戦前日本の象徴的存在であり,靖国参拝というのは,その過去の国家のありようをどう考えるか,国家として日本の戦争責任をどう考えるか,などの問題にも関係する。
小泉首相は「なにがなんでも靖国にいく」「公人も私人もない」といい,自民党総裁選では「8月15日にはいかなる批判があろうと必らず参拝する」,とまでいいきった。
以上のような姿勢には〈憲法論〉がまったく踏まえられていない。憲法論が克服されねばならない。つまり,靖国参拝が違憲,あるいは違憲の疑いがあるかどうかを,みきわめなければならない。
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「聖域なき構造改革」を謳い文句にした小泉首相であるが,国家と個人の関係,国家と靖国神社の関係といった,すぐれてイデオロギー的な問題については,戦前的なものの考えかたを「聖域」として温存,維持している。
もし,違憲であっても靖国参拝を断行し,あえて政治的争点を提起することも,別問題としてありうる。しかし,およそ総理大臣たる者が,「私は私人だから,憲法の問題とは関係ない」といえるか。
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−−筆者は,日本国首相小泉純一郎の靖国参拝に関する発言を聞いてまず感じた点は,この人はものを考えていない,とくに靖国問題については,過去の由来やその歴史的な展開に関する知識や事情を,最低限すらもっていないということである。
近隣諸国とのあいだでは,いままでなにかと紛糾する材料を提供してきた,日本の政治家による「靖国参拝」の問題である。「靖国に参拝にいく」と事前に確言するくらいなら,日本の政治家としてまえもって,それ相応の学習〔覚悟!〕が必要であった。
だが,ごく単純素朴で原始的な宗教心の発露にしかうけとれなかった一国首相による靖国参拝意向の表明およびその実行は,アジア諸国,とりわけ一番近い国々である韓国〔北朝鮮〕と中国から猛烈な反発をくらい,きびしい批判もうけている。
19世紀末葉から20世紀前半の東アジアの歴史展開に触れるまでもなく,わけても,太平洋戦争〔日本がわは大東亜戦争といった〕時代,そして,敗戦後の関連する事情がどのような経緯をたどってきたのか,すこしは勉強すべきであった。
靖国神社をみる海外の眼は,〈戦争神社:war(military)shrine〉である。
澤地久枝〔ノンフィクション作家〕は,靖国神社を,戦意高揚の役割をになう一種の軍神(いくさがみ)大量生産工場のようなものだった,と表現する。
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