戦術としてのテロ
投稿者: masajuly2001 投稿日時: 2006/06/01 17:49 投稿番号: [92182 / 118550]
人間の認識というのは不思議なものだ。このトピでもそうであったが、「テロ」という言葉を目にした時点で、俺を含めて、たいていの人は米国の仕掛けた罠にはまらざるを得なかったと思える。テロを認めるのか?とか、米国の側に付くのかテロリストの側に付くのか?とか。「テロ」の定義の応酬もあった。しかし、9・11を目にした一般の認識は「テロは一般市民を標的にした行為」であり、許されざる行為というものだろう。この認識で十分ではないか。
しかし、「戦術としてのテロ」という視点を入れると、戦闘行為や、過去の関係、現在の状況などの全体像の中でテロを位置付けられるようになる。ハディーサの虐殺と同じあるいはそれに近い行為を米軍はやり続けており、回りが敵だらけの中で米兵が行った「戦術としてのテロ」と考えることができる。エルサルバドル方式も、結局は、思った通りに事態が進展しないために米軍が採用した「戦術としてのテロ」ということになる。
しかし、こうしたことで米軍を非難したところでどうにもなるものではない。状況によって、、誰でも採用する、あるいはやる可能性があるからだ。その意味では、イラクでアルカイダを名乗るグループ、あるいはそれに近いとされるグループが戦術としてテロをやりながら、他のグループとの話し合いの中で、少なくともいったんはその戦術を止めたことは興味深い。このことは、首切り映像なるものがネットで流されなくなったことで証明されているだろう。
これは メッセージ 92153 (masajuly2001 さん)への返信です.
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