少数民族の悲哀からの脱却を目指して①
投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2006/05/02 03:52 投稿番号: [91104 / 118550]
クルド:少数民族の悲哀からの脱却を目指して
クルド民族は、確かに、「自らの祖国を持たぬ最大の民族」であり、
「悲劇の民族」だとは思いますが、
クルド人同士の長年の内紛もまた事実です。
イラン、イラク、トルコ、シリア内のクルド人達は、
相互に抗争を繰り広げてきました。
クルドは各国内においては、常に少数派、反主流派、反政府勢力でした。
大国は、敵国内のクルドを駒の一つとして政治的に利用してきました。
もちろんクルド側もそんなことは重々承知の上、そういう意味では、
相互に利用し合う関係でした。
しかし、大国の思惑によって翻弄されるのは、いつもクルドです。
イラクのフセインとパーレビのイランが手打ちという事態になると、
それまでイラクのクルドに軍事的・経済的支援をしていた
イランとアメリカの支援が急に停止し、
イラクのクルドはイラクのフセインにあっけなく壊滅させられました。
イラクで勢力を二分してきたKDP(クルド民主党)とPUK(クルド愛国同盟)は
長年武力抗争を続けてきました。
特にひどいのは、96年には、KDPが対立するPUKと闘う為に、88年に化学兵器で
クルド人を大量虐殺したフセインその人とも共闘したという事実です。
もちろん、湾岸戦争後に「フセインへの決起」を呼びかけ、その呼びかけに
応じて蜂起した、シーア派やクルド人をアメリカは見殺しにしたという事態も
また背景の一つにあります。
クルドの対立を煽り、内紛につけ込むというフセインの策略もあるでしょうが、
クルド人側にも大いに問題点が多々あったと思います。
クルド両派の対立の原因は、農地改革に反対する大土地所有制維持の、部族的
忠誠心を核とするKDP(バルザーニ派)と、土地改革を推進しようとする勢力、
都市知識人を中核とするPUK(タラバーニ派)の対立。
サダムフセインの軍に加わったクルド人は裏切り者=ジャシュと呼ばれました。
しかし、民族解放の美名の下に党利を優先させ、住民を犠牲にしてきたクルド
両派を批判し、あえてサダムに協力した部族もあったそうです。
またKDPは、イラク領内のPKKのキャンプの掃討作戦に
トルコ軍を導き入れたりもしました。
(力関係から止む無くだったのか、内発的意思からなのかは分かりませんが)
さて、このような従来のクルドが様変わりしました。
イラクでは、クルドは、少数派であるとはいえ、反主流派ではなく、
反政府勢力でもなく、クルドとしては、おそらく初めて政府側に立ちました。
タラバーニ氏は、名誉職とはいえ、イラクの大統領、国家元首です。
そして現在、イラクのクルドは、混迷を深めるイラクにあって、
『一人勝ち』とも言われる程、経済的繁栄を謳歌し、
自治権という政治的権利を享受しています。
これにより、従来のクルドのあり様が変わり始めました。
大国により政治的に利用される駒ではなく、
一個の国際的政治勢力として台頭してきたのです。
イラク北部のクルド自治区を拠点として、
各国のクルドは、反政府活動の一時的避難場所としても活用しているようです。
イラクのクルド自治政府として、トルコやイランと
ことを構えるつもりはないとは推測しているのですが、
同じクルド人として、一時的政治的避難場所を提供するくらいのことは
やるのだと推測しています。
つまり、避難場所は提供するが、彼らを利用して、
トルコやイランに攻め込ませるということまで画策しているとは思えません。
そんなことをしたら、イラクでの現在の地位が危うくなります。
とはいえ、イラクのクルド自治区から、トルコやイランに出撃して来ると、
トルコやイランには見えるということもまたそうなのだろうと思います。
まあ現在は、まだそれ程深刻な事態にまでは至っていないとは思います。
今はまだ、『ジャブ』を繰り出して、牽制したというレベルだと思っています。
それが更にエスカレートする可能性までをも否定はしませんが。
クルド民族は、確かに、「自らの祖国を持たぬ最大の民族」であり、
「悲劇の民族」だとは思いますが、
クルド人同士の長年の内紛もまた事実です。
イラン、イラク、トルコ、シリア内のクルド人達は、
相互に抗争を繰り広げてきました。
クルドは各国内においては、常に少数派、反主流派、反政府勢力でした。
大国は、敵国内のクルドを駒の一つとして政治的に利用してきました。
もちろんクルド側もそんなことは重々承知の上、そういう意味では、
相互に利用し合う関係でした。
しかし、大国の思惑によって翻弄されるのは、いつもクルドです。
イラクのフセインとパーレビのイランが手打ちという事態になると、
それまでイラクのクルドに軍事的・経済的支援をしていた
イランとアメリカの支援が急に停止し、
イラクのクルドはイラクのフセインにあっけなく壊滅させられました。
イラクで勢力を二分してきたKDP(クルド民主党)とPUK(クルド愛国同盟)は
長年武力抗争を続けてきました。
特にひどいのは、96年には、KDPが対立するPUKと闘う為に、88年に化学兵器で
クルド人を大量虐殺したフセインその人とも共闘したという事実です。
もちろん、湾岸戦争後に「フセインへの決起」を呼びかけ、その呼びかけに
応じて蜂起した、シーア派やクルド人をアメリカは見殺しにしたという事態も
また背景の一つにあります。
クルドの対立を煽り、内紛につけ込むというフセインの策略もあるでしょうが、
クルド人側にも大いに問題点が多々あったと思います。
クルド両派の対立の原因は、農地改革に反対する大土地所有制維持の、部族的
忠誠心を核とするKDP(バルザーニ派)と、土地改革を推進しようとする勢力、
都市知識人を中核とするPUK(タラバーニ派)の対立。
サダムフセインの軍に加わったクルド人は裏切り者=ジャシュと呼ばれました。
しかし、民族解放の美名の下に党利を優先させ、住民を犠牲にしてきたクルド
両派を批判し、あえてサダムに協力した部族もあったそうです。
またKDPは、イラク領内のPKKのキャンプの掃討作戦に
トルコ軍を導き入れたりもしました。
(力関係から止む無くだったのか、内発的意思からなのかは分かりませんが)
さて、このような従来のクルドが様変わりしました。
イラクでは、クルドは、少数派であるとはいえ、反主流派ではなく、
反政府勢力でもなく、クルドとしては、おそらく初めて政府側に立ちました。
タラバーニ氏は、名誉職とはいえ、イラクの大統領、国家元首です。
そして現在、イラクのクルドは、混迷を深めるイラクにあって、
『一人勝ち』とも言われる程、経済的繁栄を謳歌し、
自治権という政治的権利を享受しています。
これにより、従来のクルドのあり様が変わり始めました。
大国により政治的に利用される駒ではなく、
一個の国際的政治勢力として台頭してきたのです。
イラク北部のクルド自治区を拠点として、
各国のクルドは、反政府活動の一時的避難場所としても活用しているようです。
イラクのクルド自治政府として、トルコやイランと
ことを構えるつもりはないとは推測しているのですが、
同じクルド人として、一時的政治的避難場所を提供するくらいのことは
やるのだと推測しています。
つまり、避難場所は提供するが、彼らを利用して、
トルコやイランに攻め込ませるということまで画策しているとは思えません。
そんなことをしたら、イラクでの現在の地位が危うくなります。
とはいえ、イラクのクルド自治区から、トルコやイランに出撃して来ると、
トルコやイランには見えるということもまたそうなのだろうと思います。
まあ現在は、まだそれ程深刻な事態にまでは至っていないとは思います。
今はまだ、『ジャブ』を繰り出して、牽制したというレベルだと思っています。
それが更にエスカレートする可能性までをも否定はしませんが。
これは メッセージ 91090 (imonoyamashotengai さん)への返信です.
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