地に落ちたネオコンのシナリオ(1)
投稿者: maya_kosmisch 投稿日時: 2006/03/26 23:02 投稿番号: [89618 / 118550]
2日前に購入して、ざっと目を通しただけだったスティーブン・ペレティエ氏の「陰謀国家アメリカの石油戦争」を本日読み終えた。想像していた通り、あるいはそれ以上に中東及びアメリカ政府の裏事情が書かれていた。
この本は、反ブッシュ政権というより、反ネオコンを主旨としている。
日本人はもとより、アメリカ市民においてさえネオコンの実体というものはあまり知られていないのではないだろうか。1つには、彼らは「黒子」的な存在だからというのもあるだろう。
そこで、スティーブン・ペレティエ氏の言葉を借りて、ネオコンがどんな思惑を持ち、どういった動きをしてきたかの一部を、私情を挟むことなくコンパクトにまとめてご紹介したい。あくまでも、これでネオコンの全てを言い尽くすことは出来ない。
しかし、この中から少なくとも「ネオコンの側面」くらいは知る切っ掛けになるだろう。
よって、これをどう受け止め、どう解釈するかは個々人の自由である。
ただ一言私の感慨を述べるとすれば、対フセイン裁判は第二次世界大戦後の「負け組」日本が課せられた「リンチ裁判」と重なるということだ。負け犬に「発言力」は無いと言っても過言ではない。
……………………………………………………………………………………………………………………
イラク侵略、占領の何がそれほど重要で、ブッシュはイラクにこれほど固執するのか。
結論から言えば、ブッシュは権力の不均衡を恐れていた。ペルシャ湾地域だけでなく、世界的規模の不均衡が、イラン・イラク戦争の結果生じかけていた。八年にわたる激しい戦闘を経て、イラクがイランに対し予想外の決定的な勝利を収めたためである。
フセインは石油輸出機構(OPEC)の支配と真のカルテル化を目論んでいた。もし成功していれば得るところは大だっただろう。加盟国が連携を強めOPECが一枚岩の組織となれば、国際社会に決定的な影響力を持ったはずだ。
アメリカを対イラク戦争に駆り立てた真の動機はここにあった。
アメリカはフセインの野望を挫く行動を開始する。それは1991年の湾岸戦争で始まり、2003年イラク戦争におけるフセイン政権の崩壊によって終わった。
ブッシュ政権が行ったように単純にフセインを悪者にして済ませるわけにはいかない。フセインには彼なりの行動原理があった。それは一民族国家のリーダーとしてではなく、資源に恵まれた(しかし貧困から抜け出せない)南側諸国が結集して世界で発信権を強めようとしている中、その一員としての行動原理だった。
一方ブッシュ政権の行動原理は「力は正義なり」である。自ら認めていなくても、これが彼らの信条だ。国際関係では軍事力の優位こそ切り札だということを行動の前提にしている。
ブッシュは9.11テロを口実としてフセインを罠に陥れ、フセインは結局そこから逃れることは出来なかった。
フセインは原理主義運動に関わったと言われたが、フセインと原理主義者に関わりがないどころか、原理主義運動というもの自体が存在しなかった。原理主義運動について西側の専門家は誤った理解をしている。
もともとアメリカを湾岸地域へ引き寄せたのは石油だった。焦点は原油価格の決定権を握る生産調整体制にある。これは石油産業が利益を上げる唯一の方法である。
クリントン政権の退任まではまだアメリカにも、湾岸諸国と協力関係を結ぶ機会があった。そうしていれば平和的な関係を構築できただろう。またブッシュにも、コーバルタワーと2第大使館、米駆逐艦コールの爆破事件の関連を再検討し、正しい行動をとることが出来たはずだ。つまりアラビア半島からの撤退である。
しかし、それは実現されなかった。アメリカが同時多発テロという無差別攻撃にさらされることになった背景はここにある。
ブッシュ政権は、湾岸で起きたテロ事件とイラクとの繋がりを見つけるよう情報機関に指示した。任務が最初からあまりに特定されていたため、CIAもFBIも他の領域の調査を行うことができなかった。
もっとも、仮にCIAやFBIがアルカイダの関与を示す証拠を見つけていたとしても、表には出さなかっただろう。
なぜならば、サウジアラビア人が湾岸からのアメリカの撤退を求めている、アメリカ関連施設への破壊行為に訴えるほどサウジの不満が募っているなどという話を、ブッシュ政権は聞きたくなかったからだ。テロ事件をイラクと結びつけようとしたのは、湾岸駐留を続ける口実を見つけるために他ならない。
この本は、反ブッシュ政権というより、反ネオコンを主旨としている。
日本人はもとより、アメリカ市民においてさえネオコンの実体というものはあまり知られていないのではないだろうか。1つには、彼らは「黒子」的な存在だからというのもあるだろう。
そこで、スティーブン・ペレティエ氏の言葉を借りて、ネオコンがどんな思惑を持ち、どういった動きをしてきたかの一部を、私情を挟むことなくコンパクトにまとめてご紹介したい。あくまでも、これでネオコンの全てを言い尽くすことは出来ない。
しかし、この中から少なくとも「ネオコンの側面」くらいは知る切っ掛けになるだろう。
よって、これをどう受け止め、どう解釈するかは個々人の自由である。
ただ一言私の感慨を述べるとすれば、対フセイン裁判は第二次世界大戦後の「負け組」日本が課せられた「リンチ裁判」と重なるということだ。負け犬に「発言力」は無いと言っても過言ではない。
……………………………………………………………………………………………………………………
イラク侵略、占領の何がそれほど重要で、ブッシュはイラクにこれほど固執するのか。
結論から言えば、ブッシュは権力の不均衡を恐れていた。ペルシャ湾地域だけでなく、世界的規模の不均衡が、イラン・イラク戦争の結果生じかけていた。八年にわたる激しい戦闘を経て、イラクがイランに対し予想外の決定的な勝利を収めたためである。
フセインは石油輸出機構(OPEC)の支配と真のカルテル化を目論んでいた。もし成功していれば得るところは大だっただろう。加盟国が連携を強めOPECが一枚岩の組織となれば、国際社会に決定的な影響力を持ったはずだ。
アメリカを対イラク戦争に駆り立てた真の動機はここにあった。
アメリカはフセインの野望を挫く行動を開始する。それは1991年の湾岸戦争で始まり、2003年イラク戦争におけるフセイン政権の崩壊によって終わった。
ブッシュ政権が行ったように単純にフセインを悪者にして済ませるわけにはいかない。フセインには彼なりの行動原理があった。それは一民族国家のリーダーとしてではなく、資源に恵まれた(しかし貧困から抜け出せない)南側諸国が結集して世界で発信権を強めようとしている中、その一員としての行動原理だった。
一方ブッシュ政権の行動原理は「力は正義なり」である。自ら認めていなくても、これが彼らの信条だ。国際関係では軍事力の優位こそ切り札だということを行動の前提にしている。
ブッシュは9.11テロを口実としてフセインを罠に陥れ、フセインは結局そこから逃れることは出来なかった。
フセインは原理主義運動に関わったと言われたが、フセインと原理主義者に関わりがないどころか、原理主義運動というもの自体が存在しなかった。原理主義運動について西側の専門家は誤った理解をしている。
もともとアメリカを湾岸地域へ引き寄せたのは石油だった。焦点は原油価格の決定権を握る生産調整体制にある。これは石油産業が利益を上げる唯一の方法である。
クリントン政権の退任まではまだアメリカにも、湾岸諸国と協力関係を結ぶ機会があった。そうしていれば平和的な関係を構築できただろう。またブッシュにも、コーバルタワーと2第大使館、米駆逐艦コールの爆破事件の関連を再検討し、正しい行動をとることが出来たはずだ。つまりアラビア半島からの撤退である。
しかし、それは実現されなかった。アメリカが同時多発テロという無差別攻撃にさらされることになった背景はここにある。
ブッシュ政権は、湾岸で起きたテロ事件とイラクとの繋がりを見つけるよう情報機関に指示した。任務が最初からあまりに特定されていたため、CIAもFBIも他の領域の調査を行うことができなかった。
もっとも、仮にCIAやFBIがアルカイダの関与を示す証拠を見つけていたとしても、表には出さなかっただろう。
なぜならば、サウジアラビア人が湾岸からのアメリカの撤退を求めている、アメリカ関連施設への破壊行為に訴えるほどサウジの不満が募っているなどという話を、ブッシュ政権は聞きたくなかったからだ。テロ事件をイラクと結びつけようとしたのは、湾岸駐留を続ける口実を見つけるために他ならない。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/bpa5a4a5ia5afipno9tbbh_1/89618.html