湾岸戦争以前のアルカイダの活動(2)
投稿者: maya_kosmisch 投稿日時: 2006/03/25 11:28 投稿番号: [89543 / 118550]
ソ連撤完全退後数ヶ月して、スーダンからイスラム戦士の再就職先が見つかったという連絡がスーダンから舞い込みます。
1989年6月末、スーダンでイスラム原理主義勢力によるクーデターが発生し、イスラム原理主義政権が誕生。スーダン政権は南部のキリスト教徒への聖戦を行うために、アルカイダの活用を決めたのです。
これを機に1990年にかけて、ビンラディンはアルカイダの中核勢力をアフガニスタンからスーダンへ移動させ、自らは祖国サウジアラビアに凱旋帰国して、各地で精力的に講演活動を行っています。
しかし、ビンラディンがアルカイダの再就職先に選んだスーダンでは、十分な活動の場を確保できなかったこともあり、ビンラディンはイスラム戦士の為に、ハツムール市内と近郊を拠点に、イスラム戦士の為の宿舎やモスクを建設し、軍事関連の施設を整備しています。あわせて道路建設などの公共事業に手を広げたり、沢山のアルカイダ企業を設立して、そこに事務能力の長けたイスラム戦士を就職させたりしてアルカイダの維持費の捻出をしています。
そんな矢先の1990年8月2日、イラクがクウェートを侵攻したというニュースが世界中を駆けめぐりました。
「ビンラディン率いるアルカイダ」にとって、最大のチャンスが訪れたわけです。イラク占領下のクウェートにアルカイダを送り込み、同時に世界中からイスラム戦士を招集した「聖戦」をサウジアラビア政府に提案したところ、一蹴されてしまったのです。
この時既にサウジアラビア政府には、米国との「先約」があったのです。
イラクのクウェート侵攻から約1週間後の8月7日、米軍部隊の第一陣が送り込まれてきました。米軍がサウジアラビアに上陸した8月7日は、ビンラディンにとって「屈辱記念日」として刻まれたのでしょう。
それから8年後の1998年8月7日、東アフリカの米国大使館が二カ所同時に爆破されています。これを切っ掛けとして、アメリカ政府がビンラディン調査に始まるわけです。ビンラディンの関与をアメリカが疑ったことの根拠には、サウジアラビア政府からの「垂れ込み情報」ではなかったかと推測します。
ビンラディンがサウジアラビア政府に交渉を持ちかけ、失敗した話は「全ては湾岸戦争から始まっている」の中で 既に述べています。
「サウジアラビア政府へアメリカの駐留計画を白紙に戻すよう再三抗議したが、全く聞き入れて貰えなかったどころか、サウジアラビアにとって厄介者の存在となる。国内社会で孤立し、冷遇度も増したビンラディンは、1991年母国サウジアラビアに別れを告げ、スーダンの首都ハルツームに妻子を伴って脱出。こうしてビンラディンの反米感情は、サウジアラビア政府や社会への反感と相まって増幅した。」
こういった経緯があって、ビンラディンがアメリカに憎悪を抱き、それがやがて9.11テロ犯行に繋がる動機と可能性は充分あると述べた筈です。
上記と照らし合わせて、貴女が先の投稿で述べられたものを照らし合わせて下さい。
「私は、それらの事件にビンラディン氏が全く関与していない…と言ってるんじゃありません。おそらく、何らかの関与はあっただろうと思っています。しかし、彼は単なるスポンサー、もしくはスポンサー窓口であり、テロ軍団を組織したり訓練したり指揮したりは、していないだろうと思うのです。」
究極のところ私が主旨とするのは、9.11テロが決して「アメリカによる自作自演」ではなかったということだけです。
その実行犯を指揮したのがビンラディンであったかどうかは、私にとって本当はどうでも良いことなのです。
アメリカ政府にしても、ビンラディンであるという決定的な証拠は未だに掴めていないのですから。
要は、貴女が主張されているような「9.11テロがアメリカ政府、もしくは政府の一部の者による犯行」ではないということを証明するために、嫌疑の色濃いビンラディン率いるアルカイダのこれまでの経緯を述べてきたに過ぎません。別に私は親米でもありませんが、あらゆる情報をトータルして考えるにつけ、どうしても肯定できないことに対して異議申し立てをしてきたに過ぎません。
1989年6月末、スーダンでイスラム原理主義勢力によるクーデターが発生し、イスラム原理主義政権が誕生。スーダン政権は南部のキリスト教徒への聖戦を行うために、アルカイダの活用を決めたのです。
これを機に1990年にかけて、ビンラディンはアルカイダの中核勢力をアフガニスタンからスーダンへ移動させ、自らは祖国サウジアラビアに凱旋帰国して、各地で精力的に講演活動を行っています。
しかし、ビンラディンがアルカイダの再就職先に選んだスーダンでは、十分な活動の場を確保できなかったこともあり、ビンラディンはイスラム戦士の為に、ハツムール市内と近郊を拠点に、イスラム戦士の為の宿舎やモスクを建設し、軍事関連の施設を整備しています。あわせて道路建設などの公共事業に手を広げたり、沢山のアルカイダ企業を設立して、そこに事務能力の長けたイスラム戦士を就職させたりしてアルカイダの維持費の捻出をしています。
そんな矢先の1990年8月2日、イラクがクウェートを侵攻したというニュースが世界中を駆けめぐりました。
「ビンラディン率いるアルカイダ」にとって、最大のチャンスが訪れたわけです。イラク占領下のクウェートにアルカイダを送り込み、同時に世界中からイスラム戦士を招集した「聖戦」をサウジアラビア政府に提案したところ、一蹴されてしまったのです。
この時既にサウジアラビア政府には、米国との「先約」があったのです。
イラクのクウェート侵攻から約1週間後の8月7日、米軍部隊の第一陣が送り込まれてきました。米軍がサウジアラビアに上陸した8月7日は、ビンラディンにとって「屈辱記念日」として刻まれたのでしょう。
それから8年後の1998年8月7日、東アフリカの米国大使館が二カ所同時に爆破されています。これを切っ掛けとして、アメリカ政府がビンラディン調査に始まるわけです。ビンラディンの関与をアメリカが疑ったことの根拠には、サウジアラビア政府からの「垂れ込み情報」ではなかったかと推測します。
ビンラディンがサウジアラビア政府に交渉を持ちかけ、失敗した話は「全ては湾岸戦争から始まっている」の中で 既に述べています。
「サウジアラビア政府へアメリカの駐留計画を白紙に戻すよう再三抗議したが、全く聞き入れて貰えなかったどころか、サウジアラビアにとって厄介者の存在となる。国内社会で孤立し、冷遇度も増したビンラディンは、1991年母国サウジアラビアに別れを告げ、スーダンの首都ハルツームに妻子を伴って脱出。こうしてビンラディンの反米感情は、サウジアラビア政府や社会への反感と相まって増幅した。」
こういった経緯があって、ビンラディンがアメリカに憎悪を抱き、それがやがて9.11テロ犯行に繋がる動機と可能性は充分あると述べた筈です。
上記と照らし合わせて、貴女が先の投稿で述べられたものを照らし合わせて下さい。
「私は、それらの事件にビンラディン氏が全く関与していない…と言ってるんじゃありません。おそらく、何らかの関与はあっただろうと思っています。しかし、彼は単なるスポンサー、もしくはスポンサー窓口であり、テロ軍団を組織したり訓練したり指揮したりは、していないだろうと思うのです。」
究極のところ私が主旨とするのは、9.11テロが決して「アメリカによる自作自演」ではなかったということだけです。
その実行犯を指揮したのがビンラディンであったかどうかは、私にとって本当はどうでも良いことなのです。
アメリカ政府にしても、ビンラディンであるという決定的な証拠は未だに掴めていないのですから。
要は、貴女が主張されているような「9.11テロがアメリカ政府、もしくは政府の一部の者による犯行」ではないということを証明するために、嫌疑の色濃いビンラディン率いるアルカイダのこれまでの経緯を述べてきたに過ぎません。別に私は親米でもありませんが、あらゆる情報をトータルして考えるにつけ、どうしても肯定できないことに対して異議申し立てをしてきたに過ぎません。
これは メッセージ 89542 (maya_kosmisch さん)への返信です.
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