対イラク武力行使

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アルカイダ9.11同時テロ実行へ

投稿者: terotowa_nanika 投稿日時: 2006/03/12 23:44 投稿番号: [88914 / 118550]
1995年1月、マニラの住居兼実験室でユーセフは改良型の高性能爆弾を開発している時、実験の失敗でボヤ騒ぎになった。
この失火で有毒ガスが発生したために、ユーセフ始めアルカイダ工作員達は現場を離れざるを得なかった。
出火原因が化学薬品の調合ミスだったことから、フィリピン捜査当局はFBIに捜査協力を求め、マニラ駐在のFBI捜査官ロバート・ヘフナーが全面的に協力した。
その時現場から押収されたのが、東芝製のノートパソコン「ダイナブック」だった。
ユーセフはノートパソコンに入力された機密情報を守るため暗号キーでロックをかけていたが、FBI側の入念な情報解読作業の結果、ボジンカ計画の全貌が明らかになった。
そこにはアルカイダ幹部の氏名と携帯番号、テロ計画リスト、要人暗殺リスト、1993年のニューヨーク世界貿易センター・ビル爆破事件の関連資料などがパソコン画面に映し出された。
クリントン米大統領やローマ法王の暗殺計画に関する機密文書も含まれており、これを契機に米国の大統領警護体制が一層強化されるようになった。

米国が本格的にアルカイダ掃討作戦を推し進め、アルカイダの軍事拠点を悉く破壊する可能性があるとの危機感から、アルカイダ幹部は新たな海外拠点をドイツのハンブルグとマレーシアの首都クアラルンプールに移した。
米国政府9.11報告書によれば、9.11同時テロ事件に関与したアルカイダ工作員を率いたいモハメド・アタは、ハンブルグを拠点に作戦を練り上げ、アルカイダ工作員のリクルート活動を行いつつ、テロリストに育てるための人材育成を続けていた。
アルカイダが組織的にハンブルグ・グループに関与したのは1990代後半頃。

一方、マレーシアはイスラム教徒が政治権力を握り、中東・湾岸諸国やパキスタンからのイスラム教徒を歓迎してビザを免除するなどの優遇ぶりだったため、アルカイダにとっては極めて好都合な国だった。
9.11テロ事件と米海軍イージス駆逐艦「コール」襲撃の実行犯は、いずれもクアラルンプール市内にあるコンドミニアムの一室で、最終的な謀議を行っている。アルカイダにとって、クアラルンプールは国際テロ作戦の中枢機能を果たす重要な拠点となった。
アルカイダのマレーシア進出の際、東南アジアの広域テロ組織ジェマー・イスラミアが関与しており、その最高幹部ハンバリを受け皿に、アルカイダは東南アジアに反米グローバル・テロ網を張り巡らそうとした。
ハンバリはかつて、パキスタンのペルシャワにあったアルカイダ・キャンプで軍事訓練を受け、ビンラディンをはじめとするアルカイダ幹部と太いパイプを持つ大物テロリストである。
9.11同時テロに関する最終謀議は、2000年1月5日〜7日にかけての3日間、クアラルンプールのコンドミニアムで開かれた。
この謀議に参加したアルカイダ関係者は8名で、最高幹部ハリド・シェイク・モハメドが主催者であった。
9.11同時テロ計画の最終謀議を終えた3人のアルカイダ工作員は1月8日、クアラルンプールからバンコクへ移動し、そこからユナイテッド航空に搭乗して米国のロサンジェルスへ旅立っている。
これら具体的情報に関しては、米国CIAが、マレーシアでアルカイダ工作員の出入国をモニターしており、クアラルンプールのコンドミニアムの出入りに関する情報も全て収集していたのである。
つまりCIAはイスラム過激派を当初から監視下に置き、アルカイダ関係者との接触を以前からマークしていたということだ。
しかし米国の情報機関同士の連携が不十分だったため、アルカイダ工作員がバンコク国際空港に到着した直後に見失っており、バンコクしないでの足取りは不明のままだった。
これらの情報は海外担当のCIAが収集したものであり、米国内を担当するFBIには通報されなかった。米国政府の縦割り行政が9.11を未然に防げなかった原因がここにある。
いずれにしても、全ては事件が起こってから分かったことであり、時既に遅しであった。

参考資料「国際テロネットワーク」竹田いさみ著
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