対イラク武力行使

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全ては湾岸戦争から始まっている

投稿者: terotowa_nanika 投稿日時: 2006/03/12 23:43 投稿番号: [88913 / 118550]
元々アルカイダはイスラム戦士の失業対策として始まり、有望な戦士を中核として国際テロ組織へと発展させていった。
イラクがクウェートの軍事侵攻して占領したことで、米国が多国籍軍を編制してサウジアラビアに軍事拠点を設け、イラクへの反撃基地にした。
国連安保理事会はフセイン政権に対して、期限付きでクウェートからの撤退を要求。その期限切れ直後に、米国主導の多国籍軍がイラク空爆を開始し、クウェートを解放した。
厳格なイスラム原理主義の生地であるサウジアラビアに、異教徒の米国が大規模な軍隊を駐留させ、しかもイスラム圏のイラクを攻撃したことで、イスラム教徒の中に反米感情が一気に沸騰した。これを絶好のチャンスとしてビンラディンは、反米をスローガンに全世界のイスラム教徒を動員する計画を立案。
ビンラディンは、サウジアラビア政府へアメリカの駐留計画を白紙に戻すよう再三抗議したが、全く聞き入れて貰えなかったどころか、サウジアラビアにとって厄介者の存在となる。
国内社会で孤立し、冷遇度も増したビンラディンは、1991年母国サウジアラビアに別れを告げ、スーダンの首都ハルツームに妻子を伴って脱出。
こうしてビンラディンの反米感情は、サウジアラビア政府や社会への反感と相まって増幅した。

湾岸戦争後に、ビンラディンとアルカイダ幹部は、マニラ事務所を強化し、東南アジア地域でテロネットワークを拡充・整備することを決断した。
この決定に基づいてマニラ事務所に副代表格として送り込まれたのが、爆弾製造専門家ラムジー・ユーセフと二名の工作員である。
マニラに着いたユーセフは、同時多発性の大規模なテロ計画「ボジンカ(大爆裂)計画」に着手。
この「ボジンカ計画」は、以下の3つの作戦計画から成っている。

・要人の連続暗殺計画
・米国大使館などの連続爆破計画
・複数の米国旅客機をアジア太平洋地域で爆破する計画

これらは9.11テロ事件の前兆となる大規模なテロ計画であったが、いずれも未遂に終わっている。
因みに、要人の連続暗殺計画にリストアップされていたのは、
マニラ訪問予定だった故ローマ法王、クリントン米大統領、フィリピンのフィデル・ラモス大統領だった。
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