「ジハードとフィトナ」ジル・ケペル②
投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2006/01/11 23:28 投稿番号: [86755 / 118550]
<第四章:追いつめられても倒れないアルカイダ>
ビンラディンとザワヒリの「二人は単にジハードやウンマの申し子ではなく、
最先端の電子技術とアメリカ式グローバリゼーションの申し子でもある」
2002年4月7日アルジャジーラで9.11を始めて認める。
これは丁度パレスチナのジェニン難民キャンプ襲撃事件と時期が一致している。
国連安保理ではアメリカの拒否権発動によって、
ジェニンの虐殺は討議の対象から外された。
アラブ世界は怒りに燃えながらも、無力感に襲われていた。
アルカイダは敵に強力な打撃を与えられるのは自分達だけだ
というメッセージをイスラム世界に広く伝えようとした。
2002年12月にザワヒリが書いたとされる「アルワラ・ワ・アルバラ」
「忠誠と離反」この思想の発端はサイイド・クトゥブ
「「バラ」は宗教的な教育を受けた博学のアラビア語使いでなければ、
すぐに意味を把握することはできない。言い換えれば、
ザワヒリのパンフレットは言葉の面で強い迫力を持っている。
彼のパンフレットは、意見を異にする者に対して、
おまえはコーランで使われている言葉も知らないで反対するのかと迫ってくる」
「テロのネットワークが中央集権から地方分権に移行していることを
如実に物語っていた」
「アルカイダは、各地に散在するチェーン加盟店の
名目上の統括本部のような存在になった。
ビンラディンの名は地域におけるテロ活動の営業権を入手した
個々の零細起業家が二流三流の作戦を実施する際に
振りかざすシンボルマークに相当する」
マドリードのテロ事件は
「「九月十一日の正確に二年半後に」発生したことを強調している。
テロ活動のインパクトを増幅させる象徴的な効果に
強迫観念といえるほど強く固執している」
「アメリカの対テロ戦争の進め方は」
「経験不足の外科医のように、
テロという悪性腫瘍の目に見える部分を切り取ろうとしたが、
世界中に転移し始めていたガン細胞を
根源から治療することはしなかった」
ビンラディンは、イスラムの人々を
「幅広く結集して、1979年にイランで成功した唯一のイスラム革命を
再び実現させる力を得ることはできなかった」
<第五章:台風の目:サウジアラビア>
1932年に成立したサウジアラビアは、
サウド王家とワーッハーブとの連合による権力機構により成り立つ。
サウド王家の他の部族への攻撃をワッハーブはジハードと宣言する
という取引により成立した。
この両者の連携によりアラビア半島を席巻した。
「これは預言者ムハンマドがアラビア半島を制した偉業の再現であり、
サウジの若者達は、その波乱に満ちた叙事詩の中に自らも没入してしまう。
聖典と剣でアラビア半島を征服した英雄的な物語は、
ネットなどを駆使して送り出されていく。
アルカイダの宣伝ビデオに登場するビンラディンの発言や、
ザワヒリが執筆したパンフレットのイメージ豊かなタイトル
「預言者の旗の下の騎士達」にも、その姿が見え隠れしている」
1923年頃宗教民兵組織「兄弟」(イフワン)創設
好戦的部族を取り込み、反抗する部族と戦わせた。
それはジハードと宣言され、虐殺・略奪すら許された。
当時の英国はハーシム家を牽制する為にサウド家を支援した。
不信心者の英国人が聖地に存在することに怒ったイフワンは
英国人追放に立ち上がった。
サウド王家は英国の空爆の支援の下、イフワンを壊滅させた。
ワッハーブ派はイフワンという最も熱心な門弟組織を失う。
「ワッハーブ派の説教師達にこのイフワン壊滅の記憶は脳裏に残っている。
宗教的権威を保障するサウド王家支持を表明しながらも、
王家に堕落の気配があれば直ちに教義を振りかざして立ち上がる用意を
怠らなかった。
イフワンのジハードは建国神話の一部として学校教育にも
取り入れられたままになっていた。
先人の叙事詩に熱中した若者達は、自分も同じようなことをしたいと
夢見るようになった」
王家は、ジハードの矛先を海外に向けさせた。
アフガン、ボスニア、アルジェ、チェチェンなどに送り込んだ。
「ワーッハーブ派の台頭を1980年代の人口急増と分けて考えることはできない」
また、アラブ民族主義・軍事独裁政権から亡命して来たイスラム聖職者の多くを
サウジは歓迎し、サウジで宗教教育にあたった。
1980年代、サウド王家は、ワッハーブ派とクトゥブ思想の混合物である
サーワ運動を通じて、ワッハーブ派を牽制しつつ、建て直しを図ろうとした。
1979年のメッカ占拠事件を反省してのことであった。
またイラン革命への対処でもあった。
ビンラディンとザワヒリの「二人は単にジハードやウンマの申し子ではなく、
最先端の電子技術とアメリカ式グローバリゼーションの申し子でもある」
2002年4月7日アルジャジーラで9.11を始めて認める。
これは丁度パレスチナのジェニン難民キャンプ襲撃事件と時期が一致している。
国連安保理ではアメリカの拒否権発動によって、
ジェニンの虐殺は討議の対象から外された。
アラブ世界は怒りに燃えながらも、無力感に襲われていた。
アルカイダは敵に強力な打撃を与えられるのは自分達だけだ
というメッセージをイスラム世界に広く伝えようとした。
2002年12月にザワヒリが書いたとされる「アルワラ・ワ・アルバラ」
「忠誠と離反」この思想の発端はサイイド・クトゥブ
「「バラ」は宗教的な教育を受けた博学のアラビア語使いでなければ、
すぐに意味を把握することはできない。言い換えれば、
ザワヒリのパンフレットは言葉の面で強い迫力を持っている。
彼のパンフレットは、意見を異にする者に対して、
おまえはコーランで使われている言葉も知らないで反対するのかと迫ってくる」
「テロのネットワークが中央集権から地方分権に移行していることを
如実に物語っていた」
「アルカイダは、各地に散在するチェーン加盟店の
名目上の統括本部のような存在になった。
ビンラディンの名は地域におけるテロ活動の営業権を入手した
個々の零細起業家が二流三流の作戦を実施する際に
振りかざすシンボルマークに相当する」
マドリードのテロ事件は
「「九月十一日の正確に二年半後に」発生したことを強調している。
テロ活動のインパクトを増幅させる象徴的な効果に
強迫観念といえるほど強く固執している」
「アメリカの対テロ戦争の進め方は」
「経験不足の外科医のように、
テロという悪性腫瘍の目に見える部分を切り取ろうとしたが、
世界中に転移し始めていたガン細胞を
根源から治療することはしなかった」
ビンラディンは、イスラムの人々を
「幅広く結集して、1979年にイランで成功した唯一のイスラム革命を
再び実現させる力を得ることはできなかった」
<第五章:台風の目:サウジアラビア>
1932年に成立したサウジアラビアは、
サウド王家とワーッハーブとの連合による権力機構により成り立つ。
サウド王家の他の部族への攻撃をワッハーブはジハードと宣言する
という取引により成立した。
この両者の連携によりアラビア半島を席巻した。
「これは預言者ムハンマドがアラビア半島を制した偉業の再現であり、
サウジの若者達は、その波乱に満ちた叙事詩の中に自らも没入してしまう。
聖典と剣でアラビア半島を征服した英雄的な物語は、
ネットなどを駆使して送り出されていく。
アルカイダの宣伝ビデオに登場するビンラディンの発言や、
ザワヒリが執筆したパンフレットのイメージ豊かなタイトル
「預言者の旗の下の騎士達」にも、その姿が見え隠れしている」
1923年頃宗教民兵組織「兄弟」(イフワン)創設
好戦的部族を取り込み、反抗する部族と戦わせた。
それはジハードと宣言され、虐殺・略奪すら許された。
当時の英国はハーシム家を牽制する為にサウド家を支援した。
不信心者の英国人が聖地に存在することに怒ったイフワンは
英国人追放に立ち上がった。
サウド王家は英国の空爆の支援の下、イフワンを壊滅させた。
ワッハーブ派はイフワンという最も熱心な門弟組織を失う。
「ワッハーブ派の説教師達にこのイフワン壊滅の記憶は脳裏に残っている。
宗教的権威を保障するサウド王家支持を表明しながらも、
王家に堕落の気配があれば直ちに教義を振りかざして立ち上がる用意を
怠らなかった。
イフワンのジハードは建国神話の一部として学校教育にも
取り入れられたままになっていた。
先人の叙事詩に熱中した若者達は、自分も同じようなことをしたいと
夢見るようになった」
王家は、ジハードの矛先を海外に向けさせた。
アフガン、ボスニア、アルジェ、チェチェンなどに送り込んだ。
「ワーッハーブ派の台頭を1980年代の人口急増と分けて考えることはできない」
また、アラブ民族主義・軍事独裁政権から亡命して来たイスラム聖職者の多くを
サウジは歓迎し、サウジで宗教教育にあたった。
1980年代、サウド王家は、ワッハーブ派とクトゥブ思想の混合物である
サーワ運動を通じて、ワッハーブ派を牽制しつつ、建て直しを図ろうとした。
1979年のメッカ占拠事件を反省してのことであった。
またイラン革命への対処でもあった。
これは メッセージ 86753 (imonoyamashotengai さん)への返信です.
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