「フセインをどう裁くのか」NHKBS①
投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2005/10/31 03:59 投稿番号: [83653 / 118550]
「フセインをどう裁くのか〜欧米が育てた独裁政権〜」
NHKBS(2005.2.28(月)放映)
・1980年イラン侵攻
TOP SECRET/SENSITIVE
フセインに攻撃のサインを出したのは、アメリカだったことを示す文書
1982年、ヘイグ米国務長官がレーガン大統領に宛てた文書。
カーター大統領がサウジアラビアを通じてイランとの戦争にGOサインを出したと
書かれています。
CARTER GAVE THE IRAQIS A GREEN LIGHT TO LAUNCH THE WAR AGAINST IRAN
THROUGH FAHD.
米がイランへの攻撃計画の立案を手伝ったとする指摘もあります。
イランのバニサドル元大統領が指摘。パリのホテルで行われた。
文書コピーを入手。
<偽の文書では?>
「その計画書の通りに攻めてきました」
「事前に攻撃計画を入手していたので、イランは救われた」
UPI記者リチャード・セール氏は、
米がイランに関する情報を操作してフセインに流していたと証言。
「米はフセインに幻想を抱かせ、状況を実際より有利に思わせようとしました」
「楽勝だと思わせたんです」
元仏外相ローラン・デュマ氏は、
武器商人からも大いに歓迎されたと言います。
「イランと戦う国はどこであれ欧米にとって大歓迎」
1981年仏情報機関ピエール・マリオンは、
「仏ダッソー社がイラクにミラージュ戦闘機を売却、巨額の利益を得る」
「あの戦争で一番儲けたのはダッソー社でした」
最新鋭の戦闘機だけでなく、仏はフセインにパイロットまで提供していた可能性
があります。
UPI記者リチャード・セール氏は、
「機体の整備などとごまかして、仏空軍は実際にイラクで飛行任務を行っていた
んです。米国防総省にも確認しました」
<仏も否定しなかった?>
「いいえ、否定しませんでした」
・1983年化学兵器使用:イランとクルドに
米は化学兵器を使わないよう警告したのでしょうか?
1983年、レーガン大統領はラムズフェルドを中東特使に任命
特使としての使命は、米とフセインとの関係強化でした。
ラムズフェルドは、イラク外相に、
「化学兵器を使用しないようフセインに警告しました」
この訪問から四ヵ月後、米ジャーナリストが確認
ジョー・トレント氏は、
「戦場の上を低空で飛ぶと砂漠に無数の死体が見えました。どの死体も無傷で
横たわっているので、パイロットに何があったんだと尋ねたんです。すると、
マスタードガスですとの答えでした」
トレントはバグダッドの米大使館に報告しましたが、誰も驚かなかったと
いいます。
「米はフセインのことをよく知っていました。マスタードガスのような違法な
毒ガスのこともね。毒ガスの製造に必要な物資が独から輸入されていて、
それが何に使われていたかもです。米が知っていたのは明らかです。
何もかも分かっていながら、行動を起こさなかったのです」
米はマスタードガスのことを知っていながら、偵察衛星からの情報を提供して
、イラン軍の居場所を正確に知らせていたのです。
1988年、米空軍のトム・フランコーナ大尉が、情報支援の為、バグダッドに
派遣されます。攻撃目標の正確な位置をイラク軍に知らせて、イランの攻撃力を
破壊する為でした。
「我々はイランの攻撃力を鈍らせようとしていました。イランが攻勢に出れば、
戦争はイランの勝利で決着するおそれがある。それだけは避けたかったのです」
しかし、フランコーナは、イラクが更に殺傷力の高い化学兵器を使い始めたこと
を知ります。ワシントンの上司に報告すると、すぐに命令が下されました。
「ワシントンで状況を分析するまで、イラクへの協力は一切停止するよう命じ
られました。連日のように会議が開かれました。
イランに勝たせない為にどのようにすればいいのか。
イラク支援を続けるべきか、あるいは、支援を止めて、自力で戦わせるか。
その場合、イラクの敗戦は濃厚でした。
どちらの選択肢も好ましくはありませんが、結局支援を続けることになり、
我々はバグダッドへ戻りました。それまで通りに協力した」
NHKBS(2005.2.28(月)放映)
・1980年イラン侵攻
TOP SECRET/SENSITIVE
フセインに攻撃のサインを出したのは、アメリカだったことを示す文書
1982年、ヘイグ米国務長官がレーガン大統領に宛てた文書。
カーター大統領がサウジアラビアを通じてイランとの戦争にGOサインを出したと
書かれています。
CARTER GAVE THE IRAQIS A GREEN LIGHT TO LAUNCH THE WAR AGAINST IRAN
THROUGH FAHD.
米がイランへの攻撃計画の立案を手伝ったとする指摘もあります。
イランのバニサドル元大統領が指摘。パリのホテルで行われた。
文書コピーを入手。
<偽の文書では?>
「その計画書の通りに攻めてきました」
「事前に攻撃計画を入手していたので、イランは救われた」
UPI記者リチャード・セール氏は、
米がイランに関する情報を操作してフセインに流していたと証言。
「米はフセインに幻想を抱かせ、状況を実際より有利に思わせようとしました」
「楽勝だと思わせたんです」
元仏外相ローラン・デュマ氏は、
武器商人からも大いに歓迎されたと言います。
「イランと戦う国はどこであれ欧米にとって大歓迎」
1981年仏情報機関ピエール・マリオンは、
「仏ダッソー社がイラクにミラージュ戦闘機を売却、巨額の利益を得る」
「あの戦争で一番儲けたのはダッソー社でした」
最新鋭の戦闘機だけでなく、仏はフセインにパイロットまで提供していた可能性
があります。
UPI記者リチャード・セール氏は、
「機体の整備などとごまかして、仏空軍は実際にイラクで飛行任務を行っていた
んです。米国防総省にも確認しました」
<仏も否定しなかった?>
「いいえ、否定しませんでした」
・1983年化学兵器使用:イランとクルドに
米は化学兵器を使わないよう警告したのでしょうか?
1983年、レーガン大統領はラムズフェルドを中東特使に任命
特使としての使命は、米とフセインとの関係強化でした。
ラムズフェルドは、イラク外相に、
「化学兵器を使用しないようフセインに警告しました」
この訪問から四ヵ月後、米ジャーナリストが確認
ジョー・トレント氏は、
「戦場の上を低空で飛ぶと砂漠に無数の死体が見えました。どの死体も無傷で
横たわっているので、パイロットに何があったんだと尋ねたんです。すると、
マスタードガスですとの答えでした」
トレントはバグダッドの米大使館に報告しましたが、誰も驚かなかったと
いいます。
「米はフセインのことをよく知っていました。マスタードガスのような違法な
毒ガスのこともね。毒ガスの製造に必要な物資が独から輸入されていて、
それが何に使われていたかもです。米が知っていたのは明らかです。
何もかも分かっていながら、行動を起こさなかったのです」
米はマスタードガスのことを知っていながら、偵察衛星からの情報を提供して
、イラン軍の居場所を正確に知らせていたのです。
1988年、米空軍のトム・フランコーナ大尉が、情報支援の為、バグダッドに
派遣されます。攻撃目標の正確な位置をイラク軍に知らせて、イランの攻撃力を
破壊する為でした。
「我々はイランの攻撃力を鈍らせようとしていました。イランが攻勢に出れば、
戦争はイランの勝利で決着するおそれがある。それだけは避けたかったのです」
しかし、フランコーナは、イラクが更に殺傷力の高い化学兵器を使い始めたこと
を知ります。ワシントンの上司に報告すると、すぐに命令が下されました。
「ワシントンで状況を分析するまで、イラクへの協力は一切停止するよう命じ
られました。連日のように会議が開かれました。
イランに勝たせない為にどのようにすればいいのか。
イラク支援を続けるべきか、あるいは、支援を止めて、自力で戦わせるか。
その場合、イラクの敗戦は濃厚でした。
どちらの選択肢も好ましくはありませんが、結局支援を続けることになり、
我々はバグダッドへ戻りました。それまで通りに協力した」
これは メッセージ 80799 (imonoyamashotengai さん)への返信です.
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