個別的問題領域そのものと問題のすり替え
投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2005/10/18 20:29 投稿番号: [82970 / 118550]
<イラク・イスラム党への襲撃>という個別的・具体的なたった一つの事象に
対する私の意見を述べただけです。
①:<イラク・イスラム党に対する襲撃をどう評価するか>
②:占領について、米軍の軍事行動について
③:②と③の内的連関
私は①について述べただけです。
貴方は、①についての貴方の意見は述べず、
②について、論じています。
それは、直接には問題のすり替えです。
①そのものについて論じている時に、
②があるじゃないか、②についてはどうなんだ、という意見ですね。
<ある個別的・具体的な問題領域そのもの>について論じている時、
別の問題だけを対置しているということは、問題のすり替えだと言えると
思います。
私は、②について、③について、論じることを拒否しませんよ。
ただ、①そのものについてだけ論じただけです。
だから、貴方は、まず①についての貴方の意見を述べればよいではないですか。
イラク・イスラム党への暴力行使を支持する。
その理由は以下の通りであると。
更には、イラク・イスラム党員への殺害も同サイトで報じられています。
私はもちろん糾弾しますが、貴方は賛成なんですか? 反対しないんですか?
例えば、私はパレスチナ解放闘争を基本的には支持します。
しかし、支持するとは一切批判しないことを何ら意味しません。
ハマスの無差別テロは断固として許せません。
パレスチナ自治政府の利権・腐敗ぶりもまた断固として批判します。
パレスチナ解放勢力側を批判すると、
それはイスラエル側を利するものだ、そもそもイスラエルの側の暴虐ぶりを
延々と論じるというパターンがあります。
イスラエルの暴虐ぶりは、それとしてどしどし批判すればいいのです。
パレスチナ解放闘争総体の質的向上を目指す建設的批判なら、
どしどし行うべきだと思っています。
また別の個別例を挙げます。
広島・長崎での被曝、第五福竜丸の被曝、これらを背景に1960年代、日本
で原水爆禁止運動が高揚しました。そして、「あらゆる国の核実験に反対」とい
う一致点の下、更には「今後、最初に核実験を行った国を人類の敵と規定する」
ということで、核保有国に強力なプレッシャーまでかけました。
社会党・共産党と労働組合などを中核にしていました。
日本共産党は、次に核実験を行うのはアメリカだろと予測し、もしアメリカが
核実験を行えば、「全人類の敵」と糾弾すべく準備していました。
1963年。しかし、大方の予想に反し、核実験を再開したのは、ソ連でした。
約束通りなら、ソ連を全人類の敵と呼ばなければならなかったのですが、当時の
日本共産党は、混乱の末、「ソ連の核実験は防衛的なものである」「ソ連の死の
灰はきれいだ」などと強弁し、原水爆禁止運動を政治的に分裂させました。
原水禁と原水協という運動・組織を分断したのです。
アメリカの核実験だけを非難し、ソ連の核実験は非難しない。
日本の原水爆禁止運動をセクト主義的に分断させたという犯罪的な所業だと思います。
①ソ連の核実験そのものをどう評価すべきかという問題領域に対して、
②いや、アメリカの核はどうなんだ、アメリカの核こそが問題だ、
①についての問題を、②にすり替えるというやり口です。
私は、貴方の論じ方に同様の政治的手法を彷彿とさせられました。
それは私の単なる勘違い、思い過ごしかもしれませんが。
今の所、そう感じています。
日本の左翼の悪しき伝統の一つなんですけどね。
それと、私は「暴力一般」を否定していませんよ。
私は非暴力・不服従のガンジー主義者ではありません。
ファッルージャという数十万都市を包囲し、
一般市民が多数いるにもかかわらず、軍事攻撃を行った米軍の軍事行動に対して
武器を捨てろとは、言ってませんし、思ってもいませんよ。
SCIRIのバドル旅団による、アラブ・スンナに対する襲撃・テロが相次いで
います。
それに対しても、武器など持つなとは思っていません。
自衛の為の当然の武装は、必要不可欠とすら思っています。
というか、ほとんどの一般市民も武装しているようですけどね。
皮肉な意味ですが、「全人民の武装」がイラクでは既に行われていますね。
私は、こんな現状が正常であるとはとても思えませんが。
対する私の意見を述べただけです。
①:<イラク・イスラム党に対する襲撃をどう評価するか>
②:占領について、米軍の軍事行動について
③:②と③の内的連関
私は①について述べただけです。
貴方は、①についての貴方の意見は述べず、
②について、論じています。
それは、直接には問題のすり替えです。
①そのものについて論じている時に、
②があるじゃないか、②についてはどうなんだ、という意見ですね。
<ある個別的・具体的な問題領域そのもの>について論じている時、
別の問題だけを対置しているということは、問題のすり替えだと言えると
思います。
私は、②について、③について、論じることを拒否しませんよ。
ただ、①そのものについてだけ論じただけです。
だから、貴方は、まず①についての貴方の意見を述べればよいではないですか。
イラク・イスラム党への暴力行使を支持する。
その理由は以下の通りであると。
更には、イラク・イスラム党員への殺害も同サイトで報じられています。
私はもちろん糾弾しますが、貴方は賛成なんですか? 反対しないんですか?
例えば、私はパレスチナ解放闘争を基本的には支持します。
しかし、支持するとは一切批判しないことを何ら意味しません。
ハマスの無差別テロは断固として許せません。
パレスチナ自治政府の利権・腐敗ぶりもまた断固として批判します。
パレスチナ解放勢力側を批判すると、
それはイスラエル側を利するものだ、そもそもイスラエルの側の暴虐ぶりを
延々と論じるというパターンがあります。
イスラエルの暴虐ぶりは、それとしてどしどし批判すればいいのです。
パレスチナ解放闘争総体の質的向上を目指す建設的批判なら、
どしどし行うべきだと思っています。
また別の個別例を挙げます。
広島・長崎での被曝、第五福竜丸の被曝、これらを背景に1960年代、日本
で原水爆禁止運動が高揚しました。そして、「あらゆる国の核実験に反対」とい
う一致点の下、更には「今後、最初に核実験を行った国を人類の敵と規定する」
ということで、核保有国に強力なプレッシャーまでかけました。
社会党・共産党と労働組合などを中核にしていました。
日本共産党は、次に核実験を行うのはアメリカだろと予測し、もしアメリカが
核実験を行えば、「全人類の敵」と糾弾すべく準備していました。
1963年。しかし、大方の予想に反し、核実験を再開したのは、ソ連でした。
約束通りなら、ソ連を全人類の敵と呼ばなければならなかったのですが、当時の
日本共産党は、混乱の末、「ソ連の核実験は防衛的なものである」「ソ連の死の
灰はきれいだ」などと強弁し、原水爆禁止運動を政治的に分裂させました。
原水禁と原水協という運動・組織を分断したのです。
アメリカの核実験だけを非難し、ソ連の核実験は非難しない。
日本の原水爆禁止運動をセクト主義的に分断させたという犯罪的な所業だと思います。
①ソ連の核実験そのものをどう評価すべきかという問題領域に対して、
②いや、アメリカの核はどうなんだ、アメリカの核こそが問題だ、
①についての問題を、②にすり替えるというやり口です。
私は、貴方の論じ方に同様の政治的手法を彷彿とさせられました。
それは私の単なる勘違い、思い過ごしかもしれませんが。
今の所、そう感じています。
日本の左翼の悪しき伝統の一つなんですけどね。
それと、私は「暴力一般」を否定していませんよ。
私は非暴力・不服従のガンジー主義者ではありません。
ファッルージャという数十万都市を包囲し、
一般市民が多数いるにもかかわらず、軍事攻撃を行った米軍の軍事行動に対して
武器を捨てろとは、言ってませんし、思ってもいませんよ。
SCIRIのバドル旅団による、アラブ・スンナに対する襲撃・テロが相次いで
います。
それに対しても、武器など持つなとは思っていません。
自衛の為の当然の武装は、必要不可欠とすら思っています。
というか、ほとんどの一般市民も武装しているようですけどね。
皮肉な意味ですが、「全人民の武装」がイラクでは既に行われていますね。
私は、こんな現状が正常であるとはとても思えませんが。
これは メッセージ 82840 (revolver_1945 さん)への返信です.
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