フセイン政権打倒の大義 1
投稿者: theme_from_papillon 投稿日時: 2005/09/03 02:49 投稿番号: [79040 / 118550]
客観性について
>あなたが言っているのは「論論的に、完全な『客観性』は存在しない」ってことですね。
それは、その通りなんですが、アクセス不能の外部共同体まで含めた客観性は実現不可能
だとしても、議論可能な国際社会で、各国の特殊事情や、それに基づく多数意見が、
全体としての客観性を主張することはできません。
主張することができるかどうかはさておき、
人間というものは、自分の属する共同体の中で、自分の見解がどれだけ普遍性を持ちうるか
ということで、その客観度を判断するようにできているのです。
共同体というのは自分の属する国からアクセス可能な交易のある他国なども含めることもある
でしょうが、自ずとそれらには共同体としての認識の程度に差が出てきます。
ある共同体に起こった事件に対処するための客観的見解というものは、その事件によって
引き起こされる衝撃や痛み、悲しみ、恐怖といったものが、アクセスは可能でも他の共同体とは
違うわけですから、当然、見解も違ってきます。
他国と見解が違えば、対岸の火事程度にしか思っていない君たちにそんなことがわかってたまるか
と思いこそすれ、見解が違うからといって、自分たちの見解には客観性が欠けるというふうには思わない
ものです。
私はここで、それらが真の意味で客観性があるかどうかという話をしているわけではありません。
最初から、述べているように、客観性のある見解だと感じるとき、それは何を基に判断されて
いるかという話をしているのです。
>>彼らの立場からみれば、それが客観性のある見解なのだろうとは認識します。
>この一文が、完全に矛盾していることに、お気づきじゃないのですか?
それは考察が足りないからです。
例えば、竹島問題などで韓国と日本は領有権を主張しあっていますが、いくら相手の
言い分が客観性のないものだと感じても、その国ではそれを客観的見解だと思って
いるのだろうということぐらいは考えるものです。相手が真剣にそう思い込んでい
ればなお更のこと。
>「被告の立場からみれば、彼の犯罪行為は、有罪とならない…という見解が客観性のある見解だ」と
言ってるようなものですよ。
自分の見解が客観性があると感じるのは、自分や自分の国の置かれた状況になれば、
或いは事情を詳細に知れば、人間である以上、人として当然持つであろうと思われる見解だと
考えたときです。
被告の立場に立っても、自分ならそういう行動には走らないと思ったり、世間一般の者もそうで
あろうと思えば、客観性があるとは判断しない傾向がある。
被告が人間として当然の客観性のある見解に基づいて行動したと思っていたか、こんなことするのは
自分ぐらいだと思っていたか、罪の意識があるにも拘らず行動したのかは別にして。
>それとね、9・11を体験した米国民がすべて「イラクは武力を用いてでも排除しなければならない
脅威である」と認識したわけじゃありません。9・11とイラク政府に、直接的な関係がなかった
らしいということが明らかになってからは、なおさらです
それは客観性というものがどういうものかという今の話とは直接関係ありませんのでとばします。
>あなたが言っているのは「論論的に、完全な『客観性』は存在しない」ってことですね。
それは、その通りなんですが、アクセス不能の外部共同体まで含めた客観性は実現不可能
だとしても、議論可能な国際社会で、各国の特殊事情や、それに基づく多数意見が、
全体としての客観性を主張することはできません。
主張することができるかどうかはさておき、
人間というものは、自分の属する共同体の中で、自分の見解がどれだけ普遍性を持ちうるか
ということで、その客観度を判断するようにできているのです。
共同体というのは自分の属する国からアクセス可能な交易のある他国なども含めることもある
でしょうが、自ずとそれらには共同体としての認識の程度に差が出てきます。
ある共同体に起こった事件に対処するための客観的見解というものは、その事件によって
引き起こされる衝撃や痛み、悲しみ、恐怖といったものが、アクセスは可能でも他の共同体とは
違うわけですから、当然、見解も違ってきます。
他国と見解が違えば、対岸の火事程度にしか思っていない君たちにそんなことがわかってたまるか
と思いこそすれ、見解が違うからといって、自分たちの見解には客観性が欠けるというふうには思わない
ものです。
私はここで、それらが真の意味で客観性があるかどうかという話をしているわけではありません。
最初から、述べているように、客観性のある見解だと感じるとき、それは何を基に判断されて
いるかという話をしているのです。
>>彼らの立場からみれば、それが客観性のある見解なのだろうとは認識します。
>この一文が、完全に矛盾していることに、お気づきじゃないのですか?
それは考察が足りないからです。
例えば、竹島問題などで韓国と日本は領有権を主張しあっていますが、いくら相手の
言い分が客観性のないものだと感じても、その国ではそれを客観的見解だと思って
いるのだろうということぐらいは考えるものです。相手が真剣にそう思い込んでい
ればなお更のこと。
>「被告の立場からみれば、彼の犯罪行為は、有罪とならない…という見解が客観性のある見解だ」と
言ってるようなものですよ。
自分の見解が客観性があると感じるのは、自分や自分の国の置かれた状況になれば、
或いは事情を詳細に知れば、人間である以上、人として当然持つであろうと思われる見解だと
考えたときです。
被告の立場に立っても、自分ならそういう行動には走らないと思ったり、世間一般の者もそうで
あろうと思えば、客観性があるとは判断しない傾向がある。
被告が人間として当然の客観性のある見解に基づいて行動したと思っていたか、こんなことするのは
自分ぐらいだと思っていたか、罪の意識があるにも拘らず行動したのかは別にして。
>それとね、9・11を体験した米国民がすべて「イラクは武力を用いてでも排除しなければならない
脅威である」と認識したわけじゃありません。9・11とイラク政府に、直接的な関係がなかった
らしいということが明らかになってからは、なおさらです
それは客観性というものがどういうものかという今の話とは直接関係ありませんのでとばします。
これは メッセージ 79012 (bonno_216 さん)への返信です.
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