>ボンノさんへ
投稿者: bonno_216 投稿日時: 2005/08/29 08:53 投稿番号: [78624 / 118550]
>その「戦争」そのものが、「日本の利益」や、「個人の安全」に
>繋がるという論理は、始めから矛盾している訳だから、
はい、「日本の利益」や「私の安全」という使い方は逆説的皮肉です。何に対する逆説かというと、それは「個人の利益」です。戦争は、一握りの人間の「個人の利益」という理由で始められる…実はこれが言いたかったことなんです。
私は「絶対平和主義者」じゃないので、「闘争(武力闘争を含む)」は動物の根源的営みとして、その普遍性を認めています。(国家間の)戦争は、この闘争のうちの、ひとつの形態です。
本来、闘争は闘争受益者が自ら参加、遂行するものですが、国民国家の成立と民主主義の発展過程によって、もともと受益者ではない「国民」が、国家の遂行する戦争に参加させられるという事態が常態化しました。…と言ってもちょっと唐突なので、すこし喩え話をしましょう。
風変わりな例ですが、たとえば「ハーレム」をとり上げます。ハーレムは王の所有物です。他の王が、そのハーレムを所有する王に戦争を仕掛けるとき、ハーレム自体は争奪の対象、いわば「戦利品」ですよね。この時、ハーレムの女性達は戦争に参加しません。彼女らは、どちらの王が戦争に勝とうが、自らの境遇にたいした差はありません。つまり彼女らは「戦争受益者」じゃないということです。当然、ハーレムを奪おうとしている王も、ハーレムには攻撃をかけません。
近代国家に於ける農民や商工業者も、基本的には、このハーレムの女性たちと同じ立場にあります。だからこそ、近代の戦争規定では、非戦闘員への攻撃と、非戦闘員の戦闘参加を禁止しているわけですね。
でも、ここでちょっと「おかしいな?」と思いませんか? そう、民主主義国家では、国家が国民の利益を代表するという「建て前」があります。つまり、国民は国王の所有物じゃなく国家の主権者ですから、国家が戦争をするということは、国民がすべてそれに参加するということになります。
ところが、あなたも鋭く指摘されたように、戦争は国民に利益をもたらしません。利益を得るのは、国民のうちの極一部です。自らの利益にならない戦争なのに、国家主権者という名目的地位のせいで、命を賭けた戦闘に参加しなければならない…つまり、民主主義は戦争によって、マヤカシの道具に成り下がるわけです。
「国民は常に反戦である」という原則に、いち早く気づいたのは、なんとネオコン系論客のひとりである、フランシス・フクヤマ氏です。ゆえに彼は「民主主義国家どうしでは、戦争など起こらない」と結論しました。たしかに、これは逆説的な真理です。しかし、完全な民主主義国家はあり得ませんし、国民も人間ですから、やっぱり間違うこともあるわけです。逆に言うと、不完全な民主主義国家は、原則的に反戦である国民を誤らせるために努力をする…つまり常に戦争策動の発信地になるということです。
私たちは不完全な民主主義国家の国民です。私たちが不利益になる戦争に参加させられることから逃れる道は二つ。国家主権者という名目的地位を捨てるか、名目的地位を実質的地位に持ち上げる努力をするかです。そして、後者の道は、戦争受益者達によって常時仕掛けられている「戦争策動」を見抜き、これを粉砕することなのです。
>繋がるという論理は、始めから矛盾している訳だから、
はい、「日本の利益」や「私の安全」という使い方は逆説的皮肉です。何に対する逆説かというと、それは「個人の利益」です。戦争は、一握りの人間の「個人の利益」という理由で始められる…実はこれが言いたかったことなんです。
私は「絶対平和主義者」じゃないので、「闘争(武力闘争を含む)」は動物の根源的営みとして、その普遍性を認めています。(国家間の)戦争は、この闘争のうちの、ひとつの形態です。
本来、闘争は闘争受益者が自ら参加、遂行するものですが、国民国家の成立と民主主義の発展過程によって、もともと受益者ではない「国民」が、国家の遂行する戦争に参加させられるという事態が常態化しました。…と言ってもちょっと唐突なので、すこし喩え話をしましょう。
風変わりな例ですが、たとえば「ハーレム」をとり上げます。ハーレムは王の所有物です。他の王が、そのハーレムを所有する王に戦争を仕掛けるとき、ハーレム自体は争奪の対象、いわば「戦利品」ですよね。この時、ハーレムの女性達は戦争に参加しません。彼女らは、どちらの王が戦争に勝とうが、自らの境遇にたいした差はありません。つまり彼女らは「戦争受益者」じゃないということです。当然、ハーレムを奪おうとしている王も、ハーレムには攻撃をかけません。
近代国家に於ける農民や商工業者も、基本的には、このハーレムの女性たちと同じ立場にあります。だからこそ、近代の戦争規定では、非戦闘員への攻撃と、非戦闘員の戦闘参加を禁止しているわけですね。
でも、ここでちょっと「おかしいな?」と思いませんか? そう、民主主義国家では、国家が国民の利益を代表するという「建て前」があります。つまり、国民は国王の所有物じゃなく国家の主権者ですから、国家が戦争をするということは、国民がすべてそれに参加するということになります。
ところが、あなたも鋭く指摘されたように、戦争は国民に利益をもたらしません。利益を得るのは、国民のうちの極一部です。自らの利益にならない戦争なのに、国家主権者という名目的地位のせいで、命を賭けた戦闘に参加しなければならない…つまり、民主主義は戦争によって、マヤカシの道具に成り下がるわけです。
「国民は常に反戦である」という原則に、いち早く気づいたのは、なんとネオコン系論客のひとりである、フランシス・フクヤマ氏です。ゆえに彼は「民主主義国家どうしでは、戦争など起こらない」と結論しました。たしかに、これは逆説的な真理です。しかし、完全な民主主義国家はあり得ませんし、国民も人間ですから、やっぱり間違うこともあるわけです。逆に言うと、不完全な民主主義国家は、原則的に反戦である国民を誤らせるために努力をする…つまり常に戦争策動の発信地になるということです。
私たちは不完全な民主主義国家の国民です。私たちが不利益になる戦争に参加させられることから逃れる道は二つ。国家主権者という名目的地位を捨てるか、名目的地位を実質的地位に持ち上げる努力をするかです。そして、後者の道は、戦争受益者達によって常時仕掛けられている「戦争策動」を見抜き、これを粉砕することなのです。
これは メッセージ 78502 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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