対イラク武力行使

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ここからは、個人的な意見

投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2005/08/28 15:12 投稿番号: [78503 / 118550]
また、おそらくは、多くの国の国内法で当然のことだとは思いますが、殺人は認められておらず、また個人による復讐、リンチも認められていません。だから、殺人者に対しては、個人が復讐しようとする権利すら与えられていない(国家によってその権利を奪われている)というのが、当然のこととして存在していて、それが、更なる犯罪の抑制となっているのだと思います。
これは、「国」というものを単位として、歴史的に徐々に築き上げられてきた、人類の「叡知」、財産だと思います。
そして、これは、個人的な意見としては、単に「国」単位で語られるに留まらず、「地球国家」としての単位で本来は成立するべき事柄であると思いますが、いまのところ、人類は、その領域にまで達していないようですね。
国家が人を殺す権利を与えられているということは、「死刑制度」を認めているということと同義ですが、これは、現行では、極めて厳正に吟味され、精緻な検証がされたあとで、その必要があるとされた事例に対してだけ、おそらく極めて例外的に適用されているにすぎません。
こういう姿勢が、いまの国際関係を見ていると、極めて粗雑で、いい加減だとしか思えません。特にアメリカによって引き起こされている、世界の紛争の解決方法は、それが顕著だと感じられるのは私だけではないと思います。

また、
他国からの侵略の阻止・防衛という意味では、国内法においては、「正当防衛」や「緊急避難」という概念が存在しているのみで、これも、極めて厳密に解釈され、特に「過剰防衛」についての検証は厳しいということですが、これは、こと国内においては、ほとんどの人が異論の無いところだと思います。
ところが、国際的な現状を見てみると、この通りではないようです。

私は、こういうところに、単に、国家単位による「利益」というものに留まらない、何か、国家間、民族間の「序列」の様なものが、軍事力や経済力の比較によって、それが優位な国の人間たちによって勝手に「当然のことのように」決められていると感じています。そして、その優位な視点からの、「序列」によって、同じ「人間」が、殺されてもいいものと、殺されてはならないものという線引きされた中で国際社会が成り立っていると思います。
しかし、日本国憲法の序文にもあるような、国単位で確立されてきた人類の「叡知」は、当然のこととしてそう言うことを許しません。
しかし、私は、この崇高な考え方を、少なくとも、日本国民だけは、世界に宣伝し、啓蒙し、実践する責任・義務があると考えています。
つまり私は、少なくとも「戦争によって解決するという選択肢」を放棄するということで、「人類の平和へ選択」の可能性を一つなくすわけですが、これによって人命を尊重し、多くの無駄で理不尽な殺戮が良くしされるならば、これほど良いことはないだろうという一つの「確信」をもって戦争放棄を主張していきたいと思っています。


日本国憲法(抜粋)
「   日本国民は,恒久の平和を念願し,人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて,平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは,平和を維持し,専制と隷従,圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において,名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは,全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免かれ,平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
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