結論、中国はチベットを侵略した。
投稿者: ahuramazda1945 投稿日時: 2005/08/24 18:10 投稿番号: [78144 / 118550]
まず、国家の継承については「条約に関する国家継承条約」「国家財産、公文書及び債務に関する国家継承条約」の2つが存在します。
これらの条約は未加入の国が多く、世界共通の慣習とは言えないのですが考え方の基本になりますので、これを元に検証してみます。
【用語】
国家承継:領域の国際関係上の責任が一国から他国に代わること
承継の原因:
A.領域の一部の割譲
B.国家の結合(合併・併合)
C.国家の解体(分裂・分割)
D.国家の一部の分離
E.植民地の独立
承継の対象:
A. 条約(国際条約、領域条約)
B.国際機構の加盟国の地位
C. 国家財産
D. 国家債務
E. 私的権利
F. 国籍
となります。清国の継承国はC国家の解体(分裂、分割)による、中華民国(1912建国)、外モンゴル(1911建国)、チベット(1912建国)となります。
今回は、解説を簡単にするために、継承の対象のうち、Aに限定して解説を行います。
まず、清国滅亡の歴史ですが、
【辛亥革命】
辛亥革命とは、1911年10月、孫文の中国革命同盟会が湖北省の武昌で反乱をおこすと、16の省がつぎつぎと清朝からの独立を宣言しました。そして、各省代表が南京に集まり、1912年1月に孫文を臨時大総統に中華民国臨時政府が成立されました。
その後、清朝との間で、「退位協定」が結ばれ、中華民国への「禅譲」が行われた形になります。この退位協定の存在こそ、中華民国が清朝の継承国家であることの拠り所と言えると思います。
しかし「禅譲」という概念が国際法にはなく、それに加えその協定自身が国家領域を定めたものでもなく、中華民国自身が2年後に協定違反を行って国家継承権を放棄したと解釈することもでき、国際法上の解釈は断念致します。
国際法上の清朝の継承国の話に戻りますが、清朝は辛亥革命により多くの独立国に分裂したものと解釈されます。その後、話し合いにより、中華民国、モンゴル、チベットに収斂したことになります。
Aの条約については、
原則、先行国(清朝)の領域に適用される条約は承継国(中華民国、モンゴル、チベット)につき当然に継続するという慣習があります。つまり、清朝は3国に分裂し、それぞれの領域において国家が成立したと判断できます。
次に、中華人民共和国の国家継承について検証しましょう。
中華人民共和国は1949年に建国されました。
中華人民共和国は、中華民国の継承国家なのでしょうか?
国家継承の慣習においては、他国の支配から独立した国家以外は、先行国の条約を継承する原則があります。しかし、中華人民共和国は各種条約や債務を放棄しました。新興独立国であれば、領域条約を除く国際条約は継続、新規を選択できますが、国家を継承する場合は原則として、総ての条約を継承しなければなりません。
中華人民共和国が実際に行ったことは、都合のい部分(清国領域の継承)は継承を「主張」し、都合の悪い部分(不平等条約、国際債務)は放棄するという「ガキの論理」を実行したのです。
実際の歴史では、中華人民共和国の建国時点で、モンゴルとチベットは主権国家として存在していましたし、清朝は1912年に消滅しており、中華人民共和国が継承できる先行国は中華民国以外存在していないのです。
それに加え、中華民国の領域は、チベットやモンゴルを含んだことは一度もなかったのです。
つまり、中華民国からの独立であれ、継承であれ、中華民国の領域を超えた領土の継承はあり得ないことになります。
【電波対応】
○中華人民共和国のチベットへの武力侵攻は「独立阻止」であった?
ans.否
なぜなら、
1.中華人民共和国自身が「解放」と主張。
2.チベットは武力侵攻時点で「主権国家」であり、過去に独立を達成している。「独立阻止」の理論は通用しない。すでに独立をしているから。(笑)
『阻止』:邪魔をして、相手のしたいようにさせないこと。妨げること。
○チベットの独立は不当なものか?
ans.否
なぜなら、
1.侵略によって弱体化した国家からの独立が不当であるとの国際法上の根拠が存在しない。
2.同じく「辛亥革命」により独立を果たした「モンゴル」は正当な主権国家として存在している。
3.チベットの独立当時、その独立が不当であるとの「国際報道」「国際決議」等が存在しない。
【結論】
数回に分け、国際法上の解釈から、チベット問題を検討してきました。
結論として、
「中華人民共和国は主権国家であったチベットに武力侵攻を行った。」
という認識は間違いではないようです。
これらの条約は未加入の国が多く、世界共通の慣習とは言えないのですが考え方の基本になりますので、これを元に検証してみます。
【用語】
国家承継:領域の国際関係上の責任が一国から他国に代わること
承継の原因:
A.領域の一部の割譲
B.国家の結合(合併・併合)
C.国家の解体(分裂・分割)
D.国家の一部の分離
E.植民地の独立
承継の対象:
A. 条約(国際条約、領域条約)
B.国際機構の加盟国の地位
C. 国家財産
D. 国家債務
E. 私的権利
F. 国籍
となります。清国の継承国はC国家の解体(分裂、分割)による、中華民国(1912建国)、外モンゴル(1911建国)、チベット(1912建国)となります。
今回は、解説を簡単にするために、継承の対象のうち、Aに限定して解説を行います。
まず、清国滅亡の歴史ですが、
【辛亥革命】
辛亥革命とは、1911年10月、孫文の中国革命同盟会が湖北省の武昌で反乱をおこすと、16の省がつぎつぎと清朝からの独立を宣言しました。そして、各省代表が南京に集まり、1912年1月に孫文を臨時大総統に中華民国臨時政府が成立されました。
その後、清朝との間で、「退位協定」が結ばれ、中華民国への「禅譲」が行われた形になります。この退位協定の存在こそ、中華民国が清朝の継承国家であることの拠り所と言えると思います。
しかし「禅譲」という概念が国際法にはなく、それに加えその協定自身が国家領域を定めたものでもなく、中華民国自身が2年後に協定違反を行って国家継承権を放棄したと解釈することもでき、国際法上の解釈は断念致します。
国際法上の清朝の継承国の話に戻りますが、清朝は辛亥革命により多くの独立国に分裂したものと解釈されます。その後、話し合いにより、中華民国、モンゴル、チベットに収斂したことになります。
Aの条約については、
原則、先行国(清朝)の領域に適用される条約は承継国(中華民国、モンゴル、チベット)につき当然に継続するという慣習があります。つまり、清朝は3国に分裂し、それぞれの領域において国家が成立したと判断できます。
次に、中華人民共和国の国家継承について検証しましょう。
中華人民共和国は1949年に建国されました。
中華人民共和国は、中華民国の継承国家なのでしょうか?
国家継承の慣習においては、他国の支配から独立した国家以外は、先行国の条約を継承する原則があります。しかし、中華人民共和国は各種条約や債務を放棄しました。新興独立国であれば、領域条約を除く国際条約は継続、新規を選択できますが、国家を継承する場合は原則として、総ての条約を継承しなければなりません。
中華人民共和国が実際に行ったことは、都合のい部分(清国領域の継承)は継承を「主張」し、都合の悪い部分(不平等条約、国際債務)は放棄するという「ガキの論理」を実行したのです。
実際の歴史では、中華人民共和国の建国時点で、モンゴルとチベットは主権国家として存在していましたし、清朝は1912年に消滅しており、中華人民共和国が継承できる先行国は中華民国以外存在していないのです。
それに加え、中華民国の領域は、チベットやモンゴルを含んだことは一度もなかったのです。
つまり、中華民国からの独立であれ、継承であれ、中華民国の領域を超えた領土の継承はあり得ないことになります。
【電波対応】
○中華人民共和国のチベットへの武力侵攻は「独立阻止」であった?
ans.否
なぜなら、
1.中華人民共和国自身が「解放」と主張。
2.チベットは武力侵攻時点で「主権国家」であり、過去に独立を達成している。「独立阻止」の理論は通用しない。すでに独立をしているから。(笑)
『阻止』:邪魔をして、相手のしたいようにさせないこと。妨げること。
○チベットの独立は不当なものか?
ans.否
なぜなら、
1.侵略によって弱体化した国家からの独立が不当であるとの国際法上の根拠が存在しない。
2.同じく「辛亥革命」により独立を果たした「モンゴル」は正当な主権国家として存在している。
3.チベットの独立当時、その独立が不当であるとの「国際報道」「国際決議」等が存在しない。
【結論】
数回に分け、国際法上の解釈から、チベット問題を検討してきました。
結論として、
「中華人民共和国は主権国家であったチベットに武力侵攻を行った。」
という認識は間違いではないようです。
これは メッセージ 78143 (ahuramazda1945 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/bpa5a4a5ia5afipno9tbbh_1/78144.html