「戦争か無策か」について
投稿者: bonno_216 投稿日時: 2005/08/02 17:51 投稿番号: [76388 / 118550]
まず最初に理解しておいて欲しいのは、私が「イラク戦争を起こしたブッシュ政権の真意は、イラクのWMD廃棄だ」とは考えていない…ってことです。WMDの隠し持ちを言い出したのはブッシュ政権であり、米国が安保理に「武力行使容認決議」を迫った根拠も「WMD」ですが、実際のところ、ブッシュ政権は「イラクにWMDがない」ことを確信していたのだろうと見ています。
ブッシュ政権が「イラクのWMDを廃棄する方法は、唯一、戦争をしてフセイン政権を崩壊させることだけだ」と主張したのは、もしイラクが10数年に渡りWMDの保有を隠匿しており、国際社会がこれほどの長期間、なんら有効な手を打てなかったとしたら、残された手段は戦争だけかも…と国際世論に思わせるレトリックです。
実際には、イラク政府高官が言ったように「ないものは廃棄できない」だけだったのだと確認されましたが、「あるはずなのに、見つけられない」となれば、それは「平和的手段の限界」という無力感を植え付ける絶好の材料になります。ブッシュ政権は国連の査察団がWMDを見つけられない事(無いのだからあたりまえ)を先読みして、査察等の平和的手段は「無策」とイコールであるかのようなレトリックを展開したのです。
これにマンマと嵌まった米国民は、対イラク政策に於ける「平和的手段」は、敵に余裕を与えるだけの「無策」となんら変わりない…と思い込んでしまったわけですね。そこに「テロリストがイラクの援助を受けて、イラクのWMDでアメリカを攻撃してくるぞ」という恐怖(テロ)を刷り込まれたら・・・もう、戦争以外の策など考えることができなくなってしまうのは、無理のないことかも知れません。
つまり「戦争か無策か」は、平和的手段という選択肢を頭から除外させられた人々が陥る単純思考であり、これは戦争に反対する人々に対して「では、なにもせずに放っておけと言うのか?」などとイチャモンをつける事に通じる心理です。
奇しくもカカシさんは、「戦争の前に、WMD廃棄を目指した、国際社会の平和的努力があったのだから、『戦争か無策か』などといいう単純なものではない」とおっしゃいましたが、その「平和的努力」が戦争遂行を企む者達に「ワラ人形」として利用され、国民を「戦争か無策か」の単純思考に追いやった…という皮相を見逃しておられます。
カカシさんが書かれた「例え話」にも、その心理が色濃く出ていますね。
>この警察の行為は正当だったのかな?
明らかに不当ですよ。まずその前に、日本だったら、その酔っぱらいおじさんは「銃刀法違反」ですけどね…。
普通に考えれば、銃が本物で弾が装填されている可能性を考慮して、周辺住民の避難をまず優先すべきです。その上で、酔っ払いおじさんの「要求」を尋ね、応じる振りをして時間を稼ぎながら、おじさんが落ち着くのを待ちます。相手が興奮しているところへ、いきなり「銃を捨てなければ撃ちますよ」は火に油を注ぐようなものですよ。
説得が功を奏さなかったとしても、その間に相手の隙を見つけて忍び寄り、銃を奪うという作戦が残っています。さらに、おじさんが酔っ払いに似合わない用心深さを示し、隙を見つけ出せなかったとしても、音響弾やゴム弾、催涙弾など「非致死性武器」で抵抗を奪い、拘束するという手段があります。やむを得ず拳銃やライフルを使う場合でも、手足を狙うなどの選択肢は、まだまだ残されているのです。
カカシさんが、これらの優先的選択肢をスッ飛ばして「射殺か放置か」としか思い浮かばなかったとすれば、やはり単純思考から卒業できていない証明になると思います。
ブッシュ政権が「イラクのWMDを廃棄する方法は、唯一、戦争をしてフセイン政権を崩壊させることだけだ」と主張したのは、もしイラクが10数年に渡りWMDの保有を隠匿しており、国際社会がこれほどの長期間、なんら有効な手を打てなかったとしたら、残された手段は戦争だけかも…と国際世論に思わせるレトリックです。
実際には、イラク政府高官が言ったように「ないものは廃棄できない」だけだったのだと確認されましたが、「あるはずなのに、見つけられない」となれば、それは「平和的手段の限界」という無力感を植え付ける絶好の材料になります。ブッシュ政権は国連の査察団がWMDを見つけられない事(無いのだからあたりまえ)を先読みして、査察等の平和的手段は「無策」とイコールであるかのようなレトリックを展開したのです。
これにマンマと嵌まった米国民は、対イラク政策に於ける「平和的手段」は、敵に余裕を与えるだけの「無策」となんら変わりない…と思い込んでしまったわけですね。そこに「テロリストがイラクの援助を受けて、イラクのWMDでアメリカを攻撃してくるぞ」という恐怖(テロ)を刷り込まれたら・・・もう、戦争以外の策など考えることができなくなってしまうのは、無理のないことかも知れません。
つまり「戦争か無策か」は、平和的手段という選択肢を頭から除外させられた人々が陥る単純思考であり、これは戦争に反対する人々に対して「では、なにもせずに放っておけと言うのか?」などとイチャモンをつける事に通じる心理です。
奇しくもカカシさんは、「戦争の前に、WMD廃棄を目指した、国際社会の平和的努力があったのだから、『戦争か無策か』などといいう単純なものではない」とおっしゃいましたが、その「平和的努力」が戦争遂行を企む者達に「ワラ人形」として利用され、国民を「戦争か無策か」の単純思考に追いやった…という皮相を見逃しておられます。
カカシさんが書かれた「例え話」にも、その心理が色濃く出ていますね。
>この警察の行為は正当だったのかな?
明らかに不当ですよ。まずその前に、日本だったら、その酔っぱらいおじさんは「銃刀法違反」ですけどね…。
普通に考えれば、銃が本物で弾が装填されている可能性を考慮して、周辺住民の避難をまず優先すべきです。その上で、酔っ払いおじさんの「要求」を尋ね、応じる振りをして時間を稼ぎながら、おじさんが落ち着くのを待ちます。相手が興奮しているところへ、いきなり「銃を捨てなければ撃ちますよ」は火に油を注ぐようなものですよ。
説得が功を奏さなかったとしても、その間に相手の隙を見つけて忍び寄り、銃を奪うという作戦が残っています。さらに、おじさんが酔っ払いに似合わない用心深さを示し、隙を見つけ出せなかったとしても、音響弾やゴム弾、催涙弾など「非致死性武器」で抵抗を奪い、拘束するという手段があります。やむを得ず拳銃やライフルを使う場合でも、手足を狙うなどの選択肢は、まだまだ残されているのです。
カカシさんが、これらの優先的選択肢をスッ飛ばして「射殺か放置か」としか思い浮かばなかったとすれば、やはり単純思考から卒業できていない証明になると思います。
これは メッセージ 76387 (bonno_216 さん)への返信です.
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