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投稿者: whitejazz2005 投稿日時: 2005/07/21 12:49 投稿番号: [75643 / 118550]
>正義が多数決で決まるなら、国民の大多数が少数民族を奴隷にすることに賛成したら、奴隷制度は正しいということになる。
と主張してるが、その価値観は我々の歴史の中にかつてはそういう時代が存在し、それを経たことによって我々の価値観はそこから発展した結果それを不正義と見なすまでに至った結果だよ。初めからそういう価値観があったわけじゃない。
我々が奴隷制度や民族浄化を悪と思えるのはかつてそういう時代が存在し、そこで何が起こったのか、我々が知っているからだ。
我々は先人たちが積み上げた理性、道徳で持って物事を批評している。君が散々口にしてる正義は、そもそもどこからやって来た?我々が当然のように口にしてる正義や道徳は全て過去の人間達によって積み上げてられたものだよ。そいつを蔑ろにすることにはさすがに矛盾を感じるよ。
>ヒットラーのナチスドイツでも国民の大多数はユダヤ人迫害に賛成だった。だがこの行為は正しかったのか?
ナチスにとっては正義だったのだろう。だがそれはナチスだけの正義、独善だ。
それに、言うまでもないことだけどドイツ一国の大多数で普遍といえるかい?ドイツ以外の膨大な他国の人間の存在は?それ以前に、上の例えでもいえることだが、実際問題その考えを当のユダヤ人や奴隷とされた人たちが良しとするかい?普遍とは、そういった国や文化、あらゆる事情に属する人々の間を飛び越えて全てに共通する概念のことだよ。それ以前に奴隷制度も民族浄化もそれによって利を得るもののための正義でしかない。それはエゴであり欺瞞ともいうんだよ。
ところで人間の手を離れた正義の定義を君は別の投稿で。
>では普遍の正義とは誰が決めるのだ? これは我々人間ではない。宗教を信じるひとなら、神の教えだろう。無論宗教によっても普遍の概念をもちあわせないものもある。こういっちゃあなんだが、そういう宗教は私は原始的だと思っている。
こう主張をしてるけど、そもそもキリスト教や仏教が現在に至るまでどれだけ白を黒といい教義や主張の転換を行っててきたのか知った上でそう言ってるのかい?
例えば仏教では教祖である釈迦には墓がない。もちろん彼の十大弟子にも墓がなく、そもそも墓という思想すら存在しない。墓そのものが非仏教的なのだ。またいわゆる霊魂の存在も仏教には存在しない。だからそれを奉る廟もあるはずがないもので、当然霊魂による悪霊を恐れたり霊魂の力を利用したりする思想も存在しない。悪霊退散というがそもそも悪霊自体仏教には存在しないのだから退散もなにもあったものじゃない。
もっと言ってしまえば本来仏教には神仏による救済という思想さえない。解脱こそ究極の理想だからだ。解脱とは煩悩の束縛から解き放たれて自主的自由を得ることであり、本来の仏教とはその解脱の方法を示したもので、方法である以上、法や行や戒律はあっても教義すらなくある意味宗教ですらなかったのだ。
またマタイ伝では「人を裁くな、あなた方も裁かれないように・・・」と説いたキリスト教も近代に入ると、商業主義の気運に乗って罪を人々に売りつけほどの変化を見せた。中世までは人々に積極的に施しを与えていた教会も時代の中で逆に罪と罰を売り物した商人にまで変貌したのだ。かつては必要以上に富を求めるとして労働そのものを否定した宗教が積極的に財を求めることで今度は歴史的な壁画や天井画、壮麗な教会の建設といった権威で塗り固め、持たざるものたちにその威光でもって救いを説いた。
自身が普遍とは程遠い変貌を続ける宗教に、どうしてその基準に成りえるのか?
キリスト教も、他のあらゆる宗教も元は原始的で極端であったものがあらゆる思惑により時代の潮流の中で変貌し続けた結果であり、そして今現在も変貌の最中であるということを理解しているのか?
余談だけどもともと戦争をし、領土を奪い、財産を奪い奴隷を使役するという行動は非常に動物的な衝動に基づく行動だ。その例として昆虫の、蟻の仲間には違う種類の蟻の巣を攻撃して食料を奪い、捕らえた他種族の蟻を労働力として使役することを生業としているものがいる。彼らの種としての生業は、相手の領土を侵略し、財産を奪い捕虜を奴隷として使役したかつての我々の戦争とまったく同じものだ。
だが蟻が依然として変わらぬ行動を繰り返す一方で、人間は状況から新たな価値観を生み出す能力によって倫理観、戦争観を急速に進化させた。その結果が現代の戦争観であって、普遍だから人に拠らず善悪の価値観が存在するなんて考えは浅学だし、先人に対して余りに傲慢すぎる。
と主張してるが、その価値観は我々の歴史の中にかつてはそういう時代が存在し、それを経たことによって我々の価値観はそこから発展した結果それを不正義と見なすまでに至った結果だよ。初めからそういう価値観があったわけじゃない。
我々が奴隷制度や民族浄化を悪と思えるのはかつてそういう時代が存在し、そこで何が起こったのか、我々が知っているからだ。
我々は先人たちが積み上げた理性、道徳で持って物事を批評している。君が散々口にしてる正義は、そもそもどこからやって来た?我々が当然のように口にしてる正義や道徳は全て過去の人間達によって積み上げてられたものだよ。そいつを蔑ろにすることにはさすがに矛盾を感じるよ。
>ヒットラーのナチスドイツでも国民の大多数はユダヤ人迫害に賛成だった。だがこの行為は正しかったのか?
ナチスにとっては正義だったのだろう。だがそれはナチスだけの正義、独善だ。
それに、言うまでもないことだけどドイツ一国の大多数で普遍といえるかい?ドイツ以外の膨大な他国の人間の存在は?それ以前に、上の例えでもいえることだが、実際問題その考えを当のユダヤ人や奴隷とされた人たちが良しとするかい?普遍とは、そういった国や文化、あらゆる事情に属する人々の間を飛び越えて全てに共通する概念のことだよ。それ以前に奴隷制度も民族浄化もそれによって利を得るもののための正義でしかない。それはエゴであり欺瞞ともいうんだよ。
ところで人間の手を離れた正義の定義を君は別の投稿で。
>では普遍の正義とは誰が決めるのだ? これは我々人間ではない。宗教を信じるひとなら、神の教えだろう。無論宗教によっても普遍の概念をもちあわせないものもある。こういっちゃあなんだが、そういう宗教は私は原始的だと思っている。
こう主張をしてるけど、そもそもキリスト教や仏教が現在に至るまでどれだけ白を黒といい教義や主張の転換を行っててきたのか知った上でそう言ってるのかい?
例えば仏教では教祖である釈迦には墓がない。もちろん彼の十大弟子にも墓がなく、そもそも墓という思想すら存在しない。墓そのものが非仏教的なのだ。またいわゆる霊魂の存在も仏教には存在しない。だからそれを奉る廟もあるはずがないもので、当然霊魂による悪霊を恐れたり霊魂の力を利用したりする思想も存在しない。悪霊退散というがそもそも悪霊自体仏教には存在しないのだから退散もなにもあったものじゃない。
もっと言ってしまえば本来仏教には神仏による救済という思想さえない。解脱こそ究極の理想だからだ。解脱とは煩悩の束縛から解き放たれて自主的自由を得ることであり、本来の仏教とはその解脱の方法を示したもので、方法である以上、法や行や戒律はあっても教義すらなくある意味宗教ですらなかったのだ。
またマタイ伝では「人を裁くな、あなた方も裁かれないように・・・」と説いたキリスト教も近代に入ると、商業主義の気運に乗って罪を人々に売りつけほどの変化を見せた。中世までは人々に積極的に施しを与えていた教会も時代の中で逆に罪と罰を売り物した商人にまで変貌したのだ。かつては必要以上に富を求めるとして労働そのものを否定した宗教が積極的に財を求めることで今度は歴史的な壁画や天井画、壮麗な教会の建設といった権威で塗り固め、持たざるものたちにその威光でもって救いを説いた。
自身が普遍とは程遠い変貌を続ける宗教に、どうしてその基準に成りえるのか?
キリスト教も、他のあらゆる宗教も元は原始的で極端であったものがあらゆる思惑により時代の潮流の中で変貌し続けた結果であり、そして今現在も変貌の最中であるということを理解しているのか?
余談だけどもともと戦争をし、領土を奪い、財産を奪い奴隷を使役するという行動は非常に動物的な衝動に基づく行動だ。その例として昆虫の、蟻の仲間には違う種類の蟻の巣を攻撃して食料を奪い、捕らえた他種族の蟻を労働力として使役することを生業としているものがいる。彼らの種としての生業は、相手の領土を侵略し、財産を奪い捕虜を奴隷として使役したかつての我々の戦争とまったく同じものだ。
だが蟻が依然として変わらぬ行動を繰り返す一方で、人間は状況から新たな価値観を生み出す能力によって倫理観、戦争観を急速に進化させた。その結果が現代の戦争観であって、普遍だから人に拠らず善悪の価値観が存在するなんて考えは浅学だし、先人に対して余りに傲慢すぎる。
これは メッセージ 74837 (oxnardnokakashi さん)への返信です.
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