横>コソボ紛争の認識にオブジェクション
投稿者: etranger3_01 投稿日時: 2005/06/29 11:55 投稿番号: [74076 / 118550]
>でも共和党のブッシュ大統領は一応国連にお伺いをたてたが、民主党のクリントンは最初から国連を通さずにコソボ、ボスニアの戦争をおっぱじめたのに、アメリカのメディアも日本のメディアも批判しなかったね。さすがリベラルメディアのダブルスタンダード!
コソボに関しては紛争開始当時からずっと追っていたのでこの見解には同意しかねます。
アメリカは単独で戦争をはじめたわけでも、少数の有志からなる軍を率いてコソボ攻撃を開始したわけではありません。このときは、地域の安全保障機構であるNATOが動き、このとき初めて「人道的介入」という名目が、紛争介入の大儀として利用され、大枠で国際社会に容認されました。NATOは地上軍をまったく投入せずに空爆のみで反セルビア勢力(アルバニア人勢力)を後方支援し、セルビア勢力による民族浄化に歯止めをかけました。
ただし、当時のNATOの攻撃は過剰であるという批判もあり、初代国連人権高等弁務官の元アイルランド大統領メアリー・ロビンソン女史は、セルビア勢力だけでなくNATO関係者らも戦犯容疑で訴追する必要があるとし、証拠集めに奔走しました。がしかし、NATO側の妨害工作に遭い、十分な証拠を集められぬまま訴追を断念しました。その後は、歴史が示すとおり国連によって旧ユーゴ国際戦犯法廷(ICTY)が開かれ、いま現在もセルビア・クロアチア人容疑者らの裁判が続けられています。
この紛争介入の問題は、「人道的介入」という大儀を掲げ、国際社会を納得させたうえでの空爆にしても、付随的被害いわゆるコラテラル・ダメージが大きすぎたということです。また意図的かどうかわかりませんが中国大使館にまで誤爆するなど、誤爆の幅がやや広すぎるため様々な疑惑や憶測を呼んだあまりすっきりしない介入の仕方となりました。
この介入の結果としてセルビア人勢力は和平案を受け入れ、停戦が実現し、民族浄化には歯止めがかかりました。旧ユーゴスラビアは分裂し、それぞれ独立国となって世界地図が塗り替えられました。しかし今度は加害者だったセルビア人に対する迫害がはじまり、醜い民族対立の根源は未だ解消されないままです。つまり、結果オーライといえる介入ではありませんでした。旧ユーゴはセルビア・モンテネグロ共和国と名を変え、新たな憲法が採択されて旧ユーゴの構成国はそれぞれ独立主権国家となりました。それぞれの国家の戦犯は、それぞれの国家の戦犯としてICTYで裁かれています。
戦時中、日本のメディアはコソボに対するNATOの過剰な攻撃について、その人的被害の内容を克明に報道する形で批難し続けました。一方、アメリカのメディアは「民族浄化」の防止をスローガンに、徹底的にセルビアのミロシェビッチ大統領を悪魔化するキャンペーンを繰り広げました。セルビアではこれに対抗してNATOの「大儀なき介入」を糾弾するキャンペーンが展開され、NATO各国とセルビアの間で熾烈なプロパガンダ競争が行われていました。そこでは「アメリカの正義」ではなく、人道に対する罪としての民族浄化の防止を掲げた、「国際社会としての正義」が掲げられていました。だから、アメリカそのものが叩かれるよりも、NATOの過剰防衛ともいえる熾烈な空爆について批判が集中したんです。
はじめから「人道的介入」を大儀にし国際的なコンセンサスを集めたコソボ介入と、不確定な情報をもとに脅威を捏造してまでして行い、後になってその理由付けが二転三転したイラク戦争はまったく別次元の話です。民主党だから、共和党だからという話ではありません。
コソボ介入もあまりよい後味を残しませんでした。民族対立の問題は、連邦国家の分裂解消後も依然として残り、今度問題がエスカレートしたらまさしく国家間の紛争に発展してしまう恐れがあります。しかし、NATOが犯したとされる戦争犯罪について、「勝てば官軍」という旧来の考え方から脱却しようと、国際社会はICTYの設置を教訓に新たな動きを加速させるという副次的な効果もありました。それは、トリニダードトバゴというカリブ海の小国の提案によって再開された、ある常設国際法廷を設置するという国連決議でした。俺はその結果を受けて、いま国際刑事裁判所の設立運動に関わっているわけです。
紛争介入は必ずしも「完全悪」であるとは思いません。ただしその手段には熟考の必要があり、戦争を行うにあたっては文民や人類の遺産的文化財に対する被害を最小限に抑えるための努力が必要です。コソボ紛争でもこれが徹底されたという実績はなく、またイラクでも同じことでした。どっちが介入の方法として正しいという結論は出せません。がしかし、コソボとイラクではそのとっかかりからしてまるで違う問題ですので、同質の問題として議論すること自体に
コソボに関しては紛争開始当時からずっと追っていたのでこの見解には同意しかねます。
アメリカは単独で戦争をはじめたわけでも、少数の有志からなる軍を率いてコソボ攻撃を開始したわけではありません。このときは、地域の安全保障機構であるNATOが動き、このとき初めて「人道的介入」という名目が、紛争介入の大儀として利用され、大枠で国際社会に容認されました。NATOは地上軍をまったく投入せずに空爆のみで反セルビア勢力(アルバニア人勢力)を後方支援し、セルビア勢力による民族浄化に歯止めをかけました。
ただし、当時のNATOの攻撃は過剰であるという批判もあり、初代国連人権高等弁務官の元アイルランド大統領メアリー・ロビンソン女史は、セルビア勢力だけでなくNATO関係者らも戦犯容疑で訴追する必要があるとし、証拠集めに奔走しました。がしかし、NATO側の妨害工作に遭い、十分な証拠を集められぬまま訴追を断念しました。その後は、歴史が示すとおり国連によって旧ユーゴ国際戦犯法廷(ICTY)が開かれ、いま現在もセルビア・クロアチア人容疑者らの裁判が続けられています。
この紛争介入の問題は、「人道的介入」という大儀を掲げ、国際社会を納得させたうえでの空爆にしても、付随的被害いわゆるコラテラル・ダメージが大きすぎたということです。また意図的かどうかわかりませんが中国大使館にまで誤爆するなど、誤爆の幅がやや広すぎるため様々な疑惑や憶測を呼んだあまりすっきりしない介入の仕方となりました。
この介入の結果としてセルビア人勢力は和平案を受け入れ、停戦が実現し、民族浄化には歯止めがかかりました。旧ユーゴスラビアは分裂し、それぞれ独立国となって世界地図が塗り替えられました。しかし今度は加害者だったセルビア人に対する迫害がはじまり、醜い民族対立の根源は未だ解消されないままです。つまり、結果オーライといえる介入ではありませんでした。旧ユーゴはセルビア・モンテネグロ共和国と名を変え、新たな憲法が採択されて旧ユーゴの構成国はそれぞれ独立主権国家となりました。それぞれの国家の戦犯は、それぞれの国家の戦犯としてICTYで裁かれています。
戦時中、日本のメディアはコソボに対するNATOの過剰な攻撃について、その人的被害の内容を克明に報道する形で批難し続けました。一方、アメリカのメディアは「民族浄化」の防止をスローガンに、徹底的にセルビアのミロシェビッチ大統領を悪魔化するキャンペーンを繰り広げました。セルビアではこれに対抗してNATOの「大儀なき介入」を糾弾するキャンペーンが展開され、NATO各国とセルビアの間で熾烈なプロパガンダ競争が行われていました。そこでは「アメリカの正義」ではなく、人道に対する罪としての民族浄化の防止を掲げた、「国際社会としての正義」が掲げられていました。だから、アメリカそのものが叩かれるよりも、NATOの過剰防衛ともいえる熾烈な空爆について批判が集中したんです。
はじめから「人道的介入」を大儀にし国際的なコンセンサスを集めたコソボ介入と、不確定な情報をもとに脅威を捏造してまでして行い、後になってその理由付けが二転三転したイラク戦争はまったく別次元の話です。民主党だから、共和党だからという話ではありません。
コソボ介入もあまりよい後味を残しませんでした。民族対立の問題は、連邦国家の分裂解消後も依然として残り、今度問題がエスカレートしたらまさしく国家間の紛争に発展してしまう恐れがあります。しかし、NATOが犯したとされる戦争犯罪について、「勝てば官軍」という旧来の考え方から脱却しようと、国際社会はICTYの設置を教訓に新たな動きを加速させるという副次的な効果もありました。それは、トリニダードトバゴというカリブ海の小国の提案によって再開された、ある常設国際法廷を設置するという国連決議でした。俺はその結果を受けて、いま国際刑事裁判所の設立運動に関わっているわけです。
紛争介入は必ずしも「完全悪」であるとは思いません。ただしその手段には熟考の必要があり、戦争を行うにあたっては文民や人類の遺産的文化財に対する被害を最小限に抑えるための努力が必要です。コソボ紛争でもこれが徹底されたという実績はなく、またイラクでも同じことでした。どっちが介入の方法として正しいという結論は出せません。がしかし、コソボとイラクではそのとっかかりからしてまるで違う問題ですので、同質の問題として議論すること自体に
これは メッセージ 74075 (oxnardnokakashi さん)への返信です.
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