対イラク武力行使

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続き

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2005/06/22 23:27 投稿番号: [73805 / 118550]
  山内さんはハワイや米本土での収容所生活を経て、終戦後の四六年に帰国する。故郷には墓ができていた。

【約四千人の一三六連隊の生存率はわずか3%だった。】

  戦後の山内さんは経済研究所に勤務する傍ら、不戦運動にかかわってきた。それは戦時中の国家主義の思想を否定しながら、戦争に反対できなかったことへの償いだったのかもしれない。

  「僕は正しくなんかない。ひきょうだった。僕の命令で倒れた隊員への罪は一生背負っていく」。高齢のため弱々しくなった口調で、山内さんはそう繰り返した。

  サイパンの中学校副校長室。山内さんの言葉を伝えると、ネパイアルさんは柔らかな口調で言った。

「多くの日本兵が捕虜になることを恥じて、自殺したことは知っています。でも恥なんて皆、毎日かきながら生きている。人間ですから。とにかく私は、タケオが生きていてくれて、うれしい」

  太平洋戦争の激戦地となったサイパン島。

二十七、二十八日には天皇、皇后両陛下が、戦禍で犠牲になった人々を慰霊するために、訪問される。戦時下のサイパンを生きた人々、今のサイパンに生きる人々の記憶を訪ねた。

■メモ

  サイパン戦   日本の統治領だったサイパン島に1944年6月、米軍が上陸。

島全体が住民を巻き込む戦場となり、日本軍は陸軍第四三師団(名古屋)など、陸海軍の約4万7000人ほとんどが戦死した。


中部太平洋方面艦隊司令長官の南雲忠一中将は、総攻撃を命じて自決。

日本軍は7月7日、最後の突撃を敢行して、組織的戦闘を終えた。同月18日、大本営はサイパン玉砕を発表、東条英機内閣は総辞職する。

【日本が「絶対国防圏」としていたサイパンの陥落で、本土がB29の爆撃圏に入った。】


続きは↓

★<中>命捨てるの間違い、語り継がねば
★<下>玉砕の島から原爆出撃

http://www.tokyo-np.co.jp/kioku05/



★ この「戦陣訓」は東条英機によって発布され、有名な「生きて虜囚の辱めを受けず」との文言も記載されていたが、

【当の東条本人は、敗戦後に自決し損ない、生きて虜囚の辱めを
受けることになった。】

多くの国民がその醜態を嘲笑ったという。 ...
www31.ocn.ne.jp/~hinode_kogei/war15.html - 37k


どら・・テレビではこの【東条英機】の孫が、
【先の戦争は侵略戦争ではない】と無反省に始終し、【南方の遺骨収集のNPOを立ち上げてるとか】。


ああ、【虜囚の辱めを受けないように、自決した皇軍兵士達】よ、
私はこの【破廉恥な東条の孫】の【遺骨収集】の言葉を聞いた時、
余りの事に、わが耳を疑いました。


やはり、誰がなんと言おうと、生き延びてほしかった。

親御さん達がどんなに悲嘆にくれたことか。
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