俺も同感ですが、カカシさん(上)
投稿者: GivingTree 投稿日時: 2005/06/15 12:12 投稿番号: [73526 / 118550]
すみません、また長くなりそうです・・・。
レスは気長に待ちますので(^_^;)
>>ビンラディンが憎むのは、大局的な利益ではなく、自国の利益のことしか考えないアメリカの利己的かつ信念のない政策姿勢であり、それによって母国の支配者層がますます腐敗してゆくのが我慢ならないんでしょう。
>といいながら、ビンラデンは自分が権力を得たら、庶民をサウジ政権よりももっとひどいやり方で弾圧した(アフガンのタリバンを見よ)。
それは断言はできません。
たしかに、アフガンのタリバンは、欧米社会の価値観からすれば、シャーリアを徹底するために圧制を敷いたかのように見えました。しかしアフガンを20年以上も取材し続けたパキスタンのジャーナリストAhmed Rashidの著書「タリバン」(俺は原著を読みました)にもあるように、その全てが悪だったわけでもなく、欧米が女性差別のシンボルにした「ブルカ」を被る女性の姿だって、いまのアフガンでも、他のイスラム社会でも見かけることができます。ただし、「シャーリアの幻想」に囚われた彼らはしばしば絶対的な統制を行い、普通のイスラム社会に許されるような自由を束縛しはじめた。
つまり、欧米の一方的な「自由」や「平等」の価値観のもとで「圧制」だとするのと、イスラムの価値観で「圧制」とするのでは、「自由」や「平等」の尺度が違うんです。許容できる「自由への制限のレベル」というものが、欧米とイスラムでは異なるということなんです。そういう意味では、アフガンの民がタリバンに感じていた不満や憤りというのは、たとえば日本国民が現日本政府の政策に不満を漏らすのと同程度だったと考えられるのかもしれません。むろん、日本で保証される自由のレベルと、アフガンで保証される自由のレベルはまったく次元が違いますが、まさにこの「次元の違い」を、欧米の人たちは認識しなければならないと思います。でなければ、イスラムで許容される自由と制限のレベルというものを、いっこうに理解できないでしょう。
参考:「タリバン―イスラム原理主義の戦士たち」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062102552/249-8533714-8024305
That being said,
>つまり、ビンラデンは独裁政権という制度を憎んでいるのではなく、自分が独裁者になれなかったことでサウジ家をうらんでいるだけの話。奴はただの偽善者でテロリストなのさ。
オサマ・ビンラディンは決してサウジで独裁者となろうとしていたわけではなく、またサウジ第二の富豪が自らのビンラディン家でありながら、そこから敢えて離れて放蕩生活を送ったのですから、サウジの権力の中枢にあるかどうかはオサマにとってはさして重要でなかったと思います。自らの力でのし上がり、CIAに認められるまでの存在となったのだから、ビンランディンは権力に対する欲そのものよりも、腐敗したサウジ、それに連なるビンラディン家、そしてアメリカの経済共同体(企業連合)に対する憎悪のほうが強かったでしょう。
>自分が独裁者になれなかったことでサウジ家をうらんでいるだけの話。奴はただの偽善者でテロリストなのさ。
権力は腐敗する。これは常識ですが、それは権力を握ってからの話で、初めから腐敗しているわけでもない。むしろ、崇高な目的を持ってそれにまい進していたが、途中で道を誤って権力の道に身を染めることになる──というのが、独裁者と言われる「解放者」が歩んできた道筋でしょう。かつてのキューバ、ニカラグア、ギリシャ、パナマ、グアテマラの解放運動の指導者たちは、全てそういう道筋を一様に歩んできたように思えます。
そういう意味では、結果的にアルカイダという強大な力を手にして、アメリカ相手に対等に戦えるようにまでなったオサマは、やっと権力者となって腐敗の道を辿り始めたとはいえるかもしれません。しかしテロリストでも、ゲリラでも、そのリーダーは常に最初から腐敗しているわけではありません。そこを見誤って偏見のみで相手を断罪すると、「なんでもテロ」「テロはなんでも悪」という図式によって思考停止に陥り、「敵を理解する」ということができなくなるんでしょう。それはあまりにお粗末な結論だと俺は思います。
レスは気長に待ちますので(^_^;)
>>ビンラディンが憎むのは、大局的な利益ではなく、自国の利益のことしか考えないアメリカの利己的かつ信念のない政策姿勢であり、それによって母国の支配者層がますます腐敗してゆくのが我慢ならないんでしょう。
>といいながら、ビンラデンは自分が権力を得たら、庶民をサウジ政権よりももっとひどいやり方で弾圧した(アフガンのタリバンを見よ)。
それは断言はできません。
たしかに、アフガンのタリバンは、欧米社会の価値観からすれば、シャーリアを徹底するために圧制を敷いたかのように見えました。しかしアフガンを20年以上も取材し続けたパキスタンのジャーナリストAhmed Rashidの著書「タリバン」(俺は原著を読みました)にもあるように、その全てが悪だったわけでもなく、欧米が女性差別のシンボルにした「ブルカ」を被る女性の姿だって、いまのアフガンでも、他のイスラム社会でも見かけることができます。ただし、「シャーリアの幻想」に囚われた彼らはしばしば絶対的な統制を行い、普通のイスラム社会に許されるような自由を束縛しはじめた。
つまり、欧米の一方的な「自由」や「平等」の価値観のもとで「圧制」だとするのと、イスラムの価値観で「圧制」とするのでは、「自由」や「平等」の尺度が違うんです。許容できる「自由への制限のレベル」というものが、欧米とイスラムでは異なるということなんです。そういう意味では、アフガンの民がタリバンに感じていた不満や憤りというのは、たとえば日本国民が現日本政府の政策に不満を漏らすのと同程度だったと考えられるのかもしれません。むろん、日本で保証される自由のレベルと、アフガンで保証される自由のレベルはまったく次元が違いますが、まさにこの「次元の違い」を、欧米の人たちは認識しなければならないと思います。でなければ、イスラムで許容される自由と制限のレベルというものを、いっこうに理解できないでしょう。
参考:「タリバン―イスラム原理主義の戦士たち」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062102552/249-8533714-8024305
That being said,
>つまり、ビンラデンは独裁政権という制度を憎んでいるのではなく、自分が独裁者になれなかったことでサウジ家をうらんでいるだけの話。奴はただの偽善者でテロリストなのさ。
オサマ・ビンラディンは決してサウジで独裁者となろうとしていたわけではなく、またサウジ第二の富豪が自らのビンラディン家でありながら、そこから敢えて離れて放蕩生活を送ったのですから、サウジの権力の中枢にあるかどうかはオサマにとってはさして重要でなかったと思います。自らの力でのし上がり、CIAに認められるまでの存在となったのだから、ビンランディンは権力に対する欲そのものよりも、腐敗したサウジ、それに連なるビンラディン家、そしてアメリカの経済共同体(企業連合)に対する憎悪のほうが強かったでしょう。
>自分が独裁者になれなかったことでサウジ家をうらんでいるだけの話。奴はただの偽善者でテロリストなのさ。
権力は腐敗する。これは常識ですが、それは権力を握ってからの話で、初めから腐敗しているわけでもない。むしろ、崇高な目的を持ってそれにまい進していたが、途中で道を誤って権力の道に身を染めることになる──というのが、独裁者と言われる「解放者」が歩んできた道筋でしょう。かつてのキューバ、ニカラグア、ギリシャ、パナマ、グアテマラの解放運動の指導者たちは、全てそういう道筋を一様に歩んできたように思えます。
そういう意味では、結果的にアルカイダという強大な力を手にして、アメリカ相手に対等に戦えるようにまでなったオサマは、やっと権力者となって腐敗の道を辿り始めたとはいえるかもしれません。しかしテロリストでも、ゲリラでも、そのリーダーは常に最初から腐敗しているわけではありません。そこを見誤って偏見のみで相手を断罪すると、「なんでもテロ」「テロはなんでも悪」という図式によって思考停止に陥り、「敵を理解する」ということができなくなるんでしょう。それはあまりにお粗末な結論だと俺は思います。
これは メッセージ 73524 (oxnardnokakashi さん)への返信です.
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