対イラク武力行使

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国際法における捕虜2

投稿者: battamama 投稿日時: 2005/05/22 01:33 投稿番号: [71718 / 118550]
★軍司令官が逃亡したので、南京陥落時には正式な捕虜は1人もいなかった。
なぜならば、蒋介石が後を任せた軍司令官が、南京が陥落する前に逃げてしまったから。「軍司令官が正式に降伏し、両者で約束ができていれば敵軍は捕虜となることができる」ということなので、南京陥落に際しては「明らかに捕虜である」者など、理論的には1人もいなかった。その点については蒋介石政府も悪いと思っているのか、日本を非難したりはしていない。毛沢東も非難したことはない。唯一の例外が東京裁判だった。
また、たしか藤原彰という一橋大学の教授だったと思うが、逃げる兵隊を撃ったことをさして「虐殺を行った」と言ってるが、そんな馬鹿な話はない。戦争に於いては、追撃戦こそが勝利の刈り入れ時であり、これを行わない戦争など有り得ない。
それに忘れてはならないことは、平服を着て民間人の中に潜り込み、スキがあればズドンとやるというのは、蒋介石の正規の戦略であった点。そのような戦略を取れば、民間人が非常な危険に晒されることになる。誰が便衣兵であるか分からないので、その可能性のある者、挙動不審の者は、殺されても仕方がない。
便衣隊がいると分かれば、村ごと全部焼き払わなければならない。それはアメリカも後にベトナム戦争を戦うことにより、初めて分かったことです。

★合法的措置としては、皆殺しされるしかなかったシナ軍
シナ軍の軍司令官である唐生智こそ、最大の戦犯だ。なぜなら、昭和12年12月には、もう中国軍が南京を保持できずに負けることが明らかな状態だった。だから中国軍には逃げるか、降参するか、玉砕するかの3つの選択肢しかなかった。そこで、日本は12月9日「抵抗する者には峻烈だが、民衆や敵意のない軍隊は冒さない」と降伏勧告をした。その時に中国が降伏していれば、何も起こらなかった。
ところが唐生智が、蒋介石に「最後まで抵抗します」と宣言し、その旨を麾下の部隊に命令し、自分だけ逃げた。最高司令官が「最後まで抵抗すべし」と判断をしたということは、玉砕命令が出たと言うこと。その為、シナ兵も頑張って、勇敢な兵は最後の最後まで激しい抵抗を試みた。
軍司令官が玉砕命令を出した場合、日本人なら間違いなく軍司令官が真っ先に戦死するか玉砕するまで頑張るかのどちらか。
ところが唐生智は、玉砕命令を出した翌日に自分だけ逃げたわけだから、シナ軍としては正式に降伏することもできず、南京をオープン・シティにすることもできなかった。国民政府を率いた蒋介石が、あえて南京虐殺を世界に対して訴えなかったのはそのためだろう。

★捕虜になるということ
捕虜になる条件を定めたハーグの陸戦協定において、一番重要なのは戦闘員であるということが遠くからでも識別できるよう軍服を着用し、外から見えるように武器を所持している点。
そして、降伏するときは指揮官が降伏しなければならない。戦闘員が勝手に「俺は、やめた」といっても、それは正式な降伏としての効力を持たない。「俺は、やめた」と両手をあげた敵兵を許すということはあっただろうが、それはこちら側の慈悲であって、義務ではない。そうして助けたとしても、その助けた相手が暴れ出すかも知れない。実際にそういうことが起こっている。
逆に、日本軍は南の島で随分玉砕したと言われているが、降参した日本兵はあらかた殺されている。英語を話すことの出来る者だけは情報を得るために生かされたが、それ以外の投降兵については、アメリカにしてみれば厄介なだけだった。そこで大量に殺してブルトーザーで埋めたわけだが、これらの人を捕虜といっていいかどうか分からないが、そのようなことがあったということは、向こうの記録にちゃんと書かれている。
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