続き
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2005/05/15 22:32 投稿番号: [71192 / 118550]
>>南京戦では200名をこす新聞記者やカメラマンがいた。しかし、撮影も報道もしていない。
>>【厳しい陸軍の検閲があったからである。】
>をいをい、その写真がちゃんと昭和12年12月20日付の朝日新聞に載っているんだよ。
「平和甦る南京」というタイトルで。12月17日河村特派委員撮影と記載されている。私の手元に、その写しの写真があるよ。
だからこれは、【検閲】を通った写真。
前の投稿でマッカラム氏の【日本のやらせ】を投稿してるけど。
>それに陸軍の検閲が厳しかったのなら、南京での虐殺写真は尚更撮れなかったはずだよね。なのに、なぜあんなに沢山あるの?
だから、【虐殺写真】は南京ではないものも多いと言う 。
しかし【中国での皇軍の行為】であって、偽写真ではない。
南京と同じようなことを他の地域で繰り広げた。
★「右翼の大物」児玉誉士夫の証言
(児玉誉士夫氏は、1938(昭13)年6月から8月にかけて中国を旅している。以下は、このときの経験に関して氏が戦後に述懐した内容である。)
自分は日本を発つ前に
【外務省情報部長河相達夫氏を訪ねて、】
外地を旅する必要な援助と注意を受けたが、
そのとき河相氏が数枚の写真を見せて
「これが天皇の軍隊がすることだろうか」と言って憤慨していたが、
【それは現地にある日本軍が中国の婦女に暴行を加えている、みるに堪えぬ写真であった。】
そのとき、ふと、これは中国政府が民衆に抗日思想を宣伝するためのトリックではなかろうかと疑ったが、
【いろいろなできごとに直面してみると、この写真は真実であることを肯定せざるを得なかった。】
当時大同では、「大同に処女なし」という言葉があったが、この言葉の意味は日本軍の恥辱を意味するものであった。
また占領地の寺や廟に行ってみても仏像の首などが無惨にとり毀され、その壁に「何年何月何部隊占領」などと落書きしてあった。
人間が神や聖人でないかぎり、どこの軍隊でも戦場では若干の非行はあるとしても、当時、日増しに激化してきた中国の抗日思想の源が満州事変のみではなく、
こうした日本軍の常識はずれの行為がさらにそれに拍車をかける結果となったのだと思う。
(略)
要するに宣戦の詔勅なき戦争、名分の明らかならざる戦い、日支事変は畢竟、王師ではなく、驕兵であったかもしれぬ。
自分は戦場を旅し、大陸における実状を知るにおよんで、在支百万の日本軍が聖戦の師であるか、侵略の驕兵なるかの疑問に悩まざるを得なかった。
このことは自分のみならず現地を知るものの多数が考えさせられた問題であったと思う。
しかし国民のなかの多数の者がそれを自覚し得えたとしても、すでに軍国主義の怒涛が逆巻き、もはや何人の力をもってしてもそれを阻止することは不可能であった。
児玉誉士夫『われかく戦えり』広済堂出版 p.79-80
(洞『南京大虐殺――「まぼろし」化工作批判』p.136-137)
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/kougun.htm
>>【厳しい陸軍の検閲があったからである。】
>をいをい、その写真がちゃんと昭和12年12月20日付の朝日新聞に載っているんだよ。
「平和甦る南京」というタイトルで。12月17日河村特派委員撮影と記載されている。私の手元に、その写しの写真があるよ。
だからこれは、【検閲】を通った写真。
前の投稿でマッカラム氏の【日本のやらせ】を投稿してるけど。
>それに陸軍の検閲が厳しかったのなら、南京での虐殺写真は尚更撮れなかったはずだよね。なのに、なぜあんなに沢山あるの?
だから、【虐殺写真】は南京ではないものも多いと言う 。
しかし【中国での皇軍の行為】であって、偽写真ではない。
南京と同じようなことを他の地域で繰り広げた。
★「右翼の大物」児玉誉士夫の証言
(児玉誉士夫氏は、1938(昭13)年6月から8月にかけて中国を旅している。以下は、このときの経験に関して氏が戦後に述懐した内容である。)
自分は日本を発つ前に
【外務省情報部長河相達夫氏を訪ねて、】
外地を旅する必要な援助と注意を受けたが、
そのとき河相氏が数枚の写真を見せて
「これが天皇の軍隊がすることだろうか」と言って憤慨していたが、
【それは現地にある日本軍が中国の婦女に暴行を加えている、みるに堪えぬ写真であった。】
そのとき、ふと、これは中国政府が民衆に抗日思想を宣伝するためのトリックではなかろうかと疑ったが、
【いろいろなできごとに直面してみると、この写真は真実であることを肯定せざるを得なかった。】
当時大同では、「大同に処女なし」という言葉があったが、この言葉の意味は日本軍の恥辱を意味するものであった。
また占領地の寺や廟に行ってみても仏像の首などが無惨にとり毀され、その壁に「何年何月何部隊占領」などと落書きしてあった。
人間が神や聖人でないかぎり、どこの軍隊でも戦場では若干の非行はあるとしても、当時、日増しに激化してきた中国の抗日思想の源が満州事変のみではなく、
こうした日本軍の常識はずれの行為がさらにそれに拍車をかける結果となったのだと思う。
(略)
要するに宣戦の詔勅なき戦争、名分の明らかならざる戦い、日支事変は畢竟、王師ではなく、驕兵であったかもしれぬ。
自分は戦場を旅し、大陸における実状を知るにおよんで、在支百万の日本軍が聖戦の師であるか、侵略の驕兵なるかの疑問に悩まざるを得なかった。
このことは自分のみならず現地を知るものの多数が考えさせられた問題であったと思う。
しかし国民のなかの多数の者がそれを自覚し得えたとしても、すでに軍国主義の怒涛が逆巻き、もはや何人の力をもってしてもそれを阻止することは不可能であった。
児玉誉士夫『われかく戦えり』広済堂出版 p.79-80
(洞『南京大虐殺――「まぼろし」化工作批判』p.136-137)
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/kougun.htm
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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