ばったさん、
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2005/05/14 22:47 投稿番号: [71107 / 118550]
小泉首相も【一応謝罪】している。
日中戦争のきっかけになった
【盧溝橋】で、【記念館訪問】時にね。
★中国人民抗日戦争記念館訪問後の小泉総理の発言
(記録)
平成13年10月8日
今日、私は、盧溝橋を訪れましたが、前から一度来たいと思っていました。私は歴史が好きで、いつも歴史書あるいは歴史に関する小説に興味があるので関心を持っていました。
一度盧溝橋に行ってみたいなと思っていました。
今日こうしてこの記念館も拝見させていただきまして、改めて戦争の悲惨さを痛感しました。
【侵略によって犠牲になった中国の人々に対し心からのお詫びと哀悼の気持ちをもって、いろいろな展示を見させていただきました。】
・・。
過去の歴史をよく勉強することによって、人間というのは反省し、将来その反省を生かしていかなければならないと思っています。・・
その反省から、戦後平和国家として日本は繁栄することができました。
【過去、日本は国際社会から孤立して、あの悲惨な戦争に突入してしまいました。】
(今の日本も孤立しつつあるけどね)
戦後、国際協調こそが平和と繁栄の道だと、国際社会から孤立してはならないということが日本の国是となっています。
日本はアメリカと戦争をしました。しかし、戦争をしたアメリカとは今、世界で最も強力な友好同盟関係を結んでおります。日本と中国も過去不幸な時期がございましたけれども、今後21世紀の将来に向かって、私は日本と中国との友好関係を今の日本とアメリカの友好関係のような強力な友好関係にしていけたらなと、そう心から思っております。日中友好発展は、単に日本と中国だけの間ではなくて、アジア全体、世界全体にとっても、大変大事な二国間関係だと思いまして、私も総理大臣として、これから日中友好に向けて全力を尽くしていきたいと思います。
(すっかりこれら初心を忘れ去った小泉首相であった)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_koi/china0110/hatsugen.html
>南京大虐殺が真実であるならば、何故このような偽写真や、嘘のキャンプションが出回るのか。
全て偽とはいえないでしょうね。
ただ、日時・場所がはっきりしなかったり、誤用したりした例はある。
出回った写真は、捕虜となったり死んだ皇軍兵が持っていたものなどが中国側に渡ったりしたと言う。
イラクのアルグレイブ捕虜収容所で【米軍兵士たちが所持していた捕虜虐待写真】も彼らが帰国後流出して、問題になった。
皇軍兵士も【お土産】としてこういった写真を所持していたと言う。
罪悪感が無かったんだろう。
ある新聞社は、【報道不許可】の写真を戦後ある農家に隠して保存していたものを発表している。
>出所のはっきりしている南京写真は、いずれも皇軍と避難民の和気藹々とした写真ばかり。いずれも撮影した特派員名入りで、昭和12年の朝日新聞に掲載されている。
少なくとも、この頃の朝日新聞は真実を報道していたようだ。
事実は・・・↓
★否定派のウソ 13
「南京大虐殺の写真はニセモノばかりである」
「事実」 日本の軍隊に従軍して写真をとっていた従軍カメラマンはたくさんいた。
南京戦では200名をこす新聞記者やカメラマンがいた。しかし、撮影も報道もしていない。
【厳しい陸軍の検閲があったからである。】
「左に列挙するものは掲載を許可せず」といい、・・・我が軍に不利なる記事写真・・・というのである。これでは「我が軍に有利な写真しか」載らない。
南京安全委員のマッカラムは日記に書いている。
「1938年1月8日、難民キャンプの入口に新聞記者がやってきて、ケーキ・りんごを配り、わずかな硬貨を手渡して、この場面を映画撮影していた。こうしている間にも、かなりの数の兵士が裏の塀をよじのぼり、構内に侵入して10名ほどの婦人を強姦したが、こちらの写真は一枚も撮らなかった。」
しかし、平站自動車第17中隊の写真班の村瀬守保氏は輸送部隊であったために比較的自由に写真を撮り、検閲もうけなかった。
戦後「一兵士が写した戦場の記録」という写真集をだしている。この中には南京大虐殺現場の生々しい写真が何枚か収録されている。「虐殺された後、薪を積んで油をかけられて焼かれた死体。ほとんどが民間人でした」のキャプションがついたものがある。
参考文献
[1] 南京事件調査研究会編、「南京虐殺13のウソ」大月書店、19\xA3
日中戦争のきっかけになった
【盧溝橋】で、【記念館訪問】時にね。
★中国人民抗日戦争記念館訪問後の小泉総理の発言
(記録)
平成13年10月8日
今日、私は、盧溝橋を訪れましたが、前から一度来たいと思っていました。私は歴史が好きで、いつも歴史書あるいは歴史に関する小説に興味があるので関心を持っていました。
一度盧溝橋に行ってみたいなと思っていました。
今日こうしてこの記念館も拝見させていただきまして、改めて戦争の悲惨さを痛感しました。
【侵略によって犠牲になった中国の人々に対し心からのお詫びと哀悼の気持ちをもって、いろいろな展示を見させていただきました。】
・・。
過去の歴史をよく勉強することによって、人間というのは反省し、将来その反省を生かしていかなければならないと思っています。・・
その反省から、戦後平和国家として日本は繁栄することができました。
【過去、日本は国際社会から孤立して、あの悲惨な戦争に突入してしまいました。】
(今の日本も孤立しつつあるけどね)
戦後、国際協調こそが平和と繁栄の道だと、国際社会から孤立してはならないということが日本の国是となっています。
日本はアメリカと戦争をしました。しかし、戦争をしたアメリカとは今、世界で最も強力な友好同盟関係を結んでおります。日本と中国も過去不幸な時期がございましたけれども、今後21世紀の将来に向かって、私は日本と中国との友好関係を今の日本とアメリカの友好関係のような強力な友好関係にしていけたらなと、そう心から思っております。日中友好発展は、単に日本と中国だけの間ではなくて、アジア全体、世界全体にとっても、大変大事な二国間関係だと思いまして、私も総理大臣として、これから日中友好に向けて全力を尽くしていきたいと思います。
(すっかりこれら初心を忘れ去った小泉首相であった)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_koi/china0110/hatsugen.html
>南京大虐殺が真実であるならば、何故このような偽写真や、嘘のキャンプションが出回るのか。
全て偽とはいえないでしょうね。
ただ、日時・場所がはっきりしなかったり、誤用したりした例はある。
出回った写真は、捕虜となったり死んだ皇軍兵が持っていたものなどが中国側に渡ったりしたと言う。
イラクのアルグレイブ捕虜収容所で【米軍兵士たちが所持していた捕虜虐待写真】も彼らが帰国後流出して、問題になった。
皇軍兵士も【お土産】としてこういった写真を所持していたと言う。
罪悪感が無かったんだろう。
ある新聞社は、【報道不許可】の写真を戦後ある農家に隠して保存していたものを発表している。
>出所のはっきりしている南京写真は、いずれも皇軍と避難民の和気藹々とした写真ばかり。いずれも撮影した特派員名入りで、昭和12年の朝日新聞に掲載されている。
少なくとも、この頃の朝日新聞は真実を報道していたようだ。
事実は・・・↓
★否定派のウソ 13
「南京大虐殺の写真はニセモノばかりである」
「事実」 日本の軍隊に従軍して写真をとっていた従軍カメラマンはたくさんいた。
南京戦では200名をこす新聞記者やカメラマンがいた。しかし、撮影も報道もしていない。
【厳しい陸軍の検閲があったからである。】
「左に列挙するものは掲載を許可せず」といい、・・・我が軍に不利なる記事写真・・・というのである。これでは「我が軍に有利な写真しか」載らない。
南京安全委員のマッカラムは日記に書いている。
「1938年1月8日、難民キャンプの入口に新聞記者がやってきて、ケーキ・りんごを配り、わずかな硬貨を手渡して、この場面を映画撮影していた。こうしている間にも、かなりの数の兵士が裏の塀をよじのぼり、構内に侵入して10名ほどの婦人を強姦したが、こちらの写真は一枚も撮らなかった。」
しかし、平站自動車第17中隊の写真班の村瀬守保氏は輸送部隊であったために比較的自由に写真を撮り、検閲もうけなかった。
戦後「一兵士が写した戦場の記録」という写真集をだしている。この中には南京大虐殺現場の生々しい写真が何枚か収録されている。「虐殺された後、薪を積んで油をかけられて焼かれた死体。ほとんどが民間人でした」のキャプションがついたものがある。
参考文献
[1] 南京事件調査研究会編、「南京虐殺13のウソ」大月書店、19\xA3
これは メッセージ 71056 (battamama さん)への返信です.
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