人でなし結果論
投稿者: neo_con_spiracy 投稿日時: 2005/05/04 06:29 投稿番号: [70297 / 118550]
>同様に、明治9年に権助論を採用するのは理想ではあっても実際無理だった、
>ということを納得して欲しかったということです。
こういうモノの言い方って、
際限が無いだけに意味が無いよね。
「満州国運営に米国をひきいれて
日米でソ連に対抗するのは、
理想であっても実際無理だった」
「1945年において竹槍と玉ひねりではなく銃砲での本土決戦を計画するのは、
理想であっても実際無理だった」
「熊本大学が警告を発したときにチッソの廃液をとめることは
理想であっても実際無理だった」
つまりfrom_east_coastさんの
結果論オヤジ批判というのは、
歴史に対する思考停止を促進するものでしかない。
で上の様に並べてみると、
少なくとも水俣のケースを結果論と切って捨てる思考停止は
常識的にいって人でなしなわけだ。
ならば何を基準に
思考停止を停止
するのか?
それは結局、
今日や未来にかかわる問題かどうかということ。
なぜ私が今、靖国の議論にからめてジハードキチガイ批判をしているかといえば、
それが今日の日本にかかわる課題だから。
前にも投稿した様に今まさに、
イラクで自衛隊は「イラクの民主主義と平和と繁栄」のために命をかけている。
彼らに万一のことがあったときに
靖国ジハード思想をひきずった施設を
慰霊の枠組みにするのは、
現場の自衛隊員の志からしてもまずいんじゃないの?ということ。
さらに
国連常任理事国になって憲法も改正することにして
Peace
Makerもやるぜ!なんてことになったら
日本として
どんな理念のためにに兵隊を送るのか?が
まさに問われることになる。
誰かがいってた話だけど、
「お国のために命をかける」(=忠義のための死)
が
「お国連のために命をかける」にかわるだけじゃあ、あまりに滑稽でしょ。
というわけで、思考停止を停止
して議論をすることも時には必要なわけ。
これは メッセージ 70219 (from_east_coast_25 さん)への返信です.
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