>結果論オヤジ
投稿者: neo_con_spiracy 投稿日時: 2005/04/28 05:00 投稿番号: [69626 / 118550]
>これを結果論といいます。
>歴史の結果を見た私たちが当時の日本人を評価するときに、
>結果として負けたのだから何をとってもキチガイということはたやすい事です。
>でも、私はそうしたくはない。
はい、残念でした。
私が言ってるのは結果論でもなければ、
戦後の価値で戦前・戦中を断罪するナンセンスでもない。
明治政府が"天皇への忠義のために死ぬ"ことを称揚しはじめたのと同時に、
"そんな死には何の意味もない"という議論がちゃんとでている。
元祖犬死=楠正成を称えるために
明治政府が湊川神社を建立したのが明治5年。
"楠正成の死が忠義の死なら、
ご主人様のお金を無くした申し訳無さに
ふんどしで首をくくった権助の死だって忠義の死。
差別しないで権助の記念碑くらいたててやれ。
つまり文明の発展や人々の安全繁栄を目的としない討ち死になんぞ
意味が無いってこと"
と、福沢諭吉が
痛快に主張した「学問のすすめ」が
明治9年。
「学問のすすめ」は当時のベストセラーだから
当時の日本国民にはすでに
忠義の討死
と
文明のための討死
という
考えかたの選択肢が提示されている。
で、忠義の討死自体に価値をみとめることを選んだのは
結局は日本国民自身。
参拝したい人がそれぞれの思いで靖国を参拝するのは自由だけど、
殉死に対しての日本人の価値観が
明治5年レベルにとどまるなら
やっぱり明治9年の福沢並に口を極めて非難しなければならない。
というわけで、極めて残念なことに
私がしているのは
明治5年の価値観に対して
明治9年の価値観をもって嘲笑してるだけ。
インデペンデンスデイとか宇宙人とかカラフルな要素は全く関係無い、
古臭い議論なわけです。
これは メッセージ 69597 (from_east_coast_25 さん)への返信です.
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