re:パピヨンの視点(1)
投稿者: bonno_216 投稿日時: 2005/03/08 16:19 投稿番号: [66583 / 118550]
長いので3分割します。タイトル・テーマは共通です。文字制限の関係により文脈の途中で切れることがあると思いますので、とりあえずは通して読んでみてください。なお、「パピヨンのテーマ」へのRESは、この最後の項の返信につけます。
国家の戦闘能力が、体制の「民主化度」で決まるという説は、なかなかユニークですが証明不能です…というか支離滅裂です。国家としての戦闘能力は、人口や経済力、工業力、技術開発力などを総合した「国力」によって決まるということは学術的常識です。いかに民主化が進んだ小国でも、独裁体制の大国と戦争をすれば負けます。国力が対等の場合、体制が多少は影響するかも知れませんが、戦争は対等規模の相手とだけやると決まっているわけじゃありません。戦争に強いということは、民主的社会である証明にはなりませんし、民主化は戦闘能力を高めるためのものでもないのです。
市民革命によって絶対君主が打倒された時、国家権力は君主から国民に移行されたとみるか、分散し消滅したとみるかの問題ですが、ここでは言葉の意味という側面から考察してみたいと思います。
もともと「○○権」とは、その権利の所有者と非所有者を区別する言葉です。「人権」といえば人間にだけ認められた権利であり、動物に人権はありません。会社における「決裁権」とか「代表権」「人事権」などの権利は、それぞれに専権者が存在し、平社員が勝手に決める権利はありませんよね。でも、その会社が「民主化」し、専権者を定めず、すべて合議で決定することにしたら、先の「権利」はどうなったことになるでしょう?
移行したのか、消滅したのか?
まあ現実には「すべて合議」というのは非効率ですから、委員会などの特定機関に権利を「委任」する形をとるでしょう。その場合、専権者から委員会に権利が移行したと言うことができますが、委任と引き替えに承認などの手続き義務が課せられ、権利自体は「縮小」しています。
そう考えると、君主が専権的に持っていた多くの権利は、市民革命によって、大部分が「消滅」したと見るのが正解だとわかります。また、なんらかの特定機関に委任された権利は、君主が持っていた権利から大幅に「縮小」「制限」されたと考えるべきでしょう。
これは メッセージ 66564 (cosmic_belt さん)への返信です.
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